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花と狼  作者: riki
第三章 恋花の八花片
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35

 呼び寄せられるままテーブルに着く。テレビドラマの中ならカツ丼を注文するところだ。


「それで? 彼、よほどあなたに思い入れがあるのかずっと立っているわよ。さすがに夜中は交替しているようだけれど」

「あっあの人はわたしの花護騎士です」

「それはわかるわ。誰かの《花狼》なのもね」

「……わかり、ますか?」

「花刻を隠そうとしてないもの。グラナートは首座主教の統治する聖堂教会よ? すべての教会の顔ともいえるわ。いくら実力を重んじていても内務にトリスタン狼を配置するなんて異例よ。理由があるとすれば――」


 わたし、ということでしょうか?

 首をかしげると、エリカさんは憐れむ顔で頷いた。


「あなたと同時期に現れた彼が無関係だと考える人は少ないでしょうね」

「もしかして、噂になってたりするんでしょうか?」

「それはもう! 外を見れば嫌でも姿は目に入るでしょう? 聖堂教会ここで一番関心を集める話題といったら花狼のことよ。あなたたちは格好の的になっているわ」


 本当に、もっと早く気づけばよかった。

 わたしが寝込んでいたから、ロベルトさんは館の前にいるのだろうか? 花護騎士の任務内容を知らないけれど、門番ならまだしも、日長一日館の前に立って警護するものだろうか? 認めることと好悪の感情は別もの。試合で実力を示したからといってすぐに反感は消えないはずだ。ユーリウスさんの態度も友好的とはいえないものだった。

 目立つ真似をすれば風当たりが強くなりそうなのに、ロベルトさんは真逆の行動をとっているように思える。


「彼はあなたの花狼なの?」


 直球ゆえにかわしようがない質問は、認めなければ疑惑に終わる。

 黙っていればいいのかな。それとも花狼だって明かした方がいいのかな……?

 判断をひとつ間違えると離宮の二の舞だ。

 わたしの情報はどこまで公表されているんだろう。黒髪の花で八花片であること。一目でわかる事実は隠す意味がない。異世界からやってきたことと匂いのしないことはおそらく伏せられている。

 ロベルトさんのことはどうだろう? 神聖騎士でありながら誓約を交わしたことは罪に問われることだ。

 ……だけど順番が違ったら? 花狼でありながら神聖騎士になることは罪になるんだろうか?

 直接相談はできないから、ロベルトさんの行動がヒントのはず。


 ヘンリクさんは花刻があるにもかかわらず副団長を務めていた。おそらく規律を守っているなら誰かの花狼でも問題はない。ロベルトさんが槍玉にあがる理由は、人種問題に偏っている気がする。

 ハールベリスではトリスタンの“狼”が明らかに差別されている。同じ黒髪のわたしが嫌悪の目を向けられないのは、八花片の花だから。花の意思は尊重すべきもの、その認識が国中に浸透しているのなら――。

 わたしは覚悟を決めてエリカさんをまっすぐ見つめた。

 どうか選択を間違えていませんように。


「ロベルトさんはわたしの花狼です」


 エリカさんは「やっぱりね」と、答えを予想していたようだった。


「あなたの花護は普通の狼じゃ務まらないわ。主に対する危機を察知すること、身命を賭して対象を護ることにおいて、花狼より優れた存在はいないでしょう。それに、あのハンスに勝ったそうじゃない! 実力も十分あるのね。そんな強い花狼をもてるなんて素晴らしいわ!」

「……すごいのはロベルトさんです。わたしには何の力もありません」


 緊張していた肩から力が抜け、それと一緒に詰めていた息もほうっと洩れた。

 ダールガンさんは目に見える部分はそのまま利用したんだ。

 ロベルトさんを花護にするにはそれなりの建前が必要だとしたら? 外見上からわかる花刻は隠せない。

 降ってわいた黒髪の八花片と、トリスタン狼の神聖騎士。無関係を装っても憶測をまねくならば、同郷で花狼なら一定の理解を得られると考えたなら? 任命式で実力を披露したことで、内務の騎士たちが彼を見る目は変わったはずだ。

 誓約の経緯は限られた人間しか知らないのだろう。もし知っていたらエリカさんは怒っていた気がする。シラーさんと同じく狼には厳しそうな人だから。


「花狼が花護騎士も務めるのは、珍しいことなんですよね?」

「グラナートでは聞いたことがないわね。そもそも神聖騎士が主花をもつ例も少ないわ。この国で教会に属していない花は皆無に近いから、相手がいないのよ。フィリップなんて神聖騎士のことを“正義感をこじらせた被虐趣味の変態ども”って言うのよ」

「被虐趣味?」

「ご馳走を前におあずけが快感になってるからだって。護国騎士と神聖騎士の不仲は有名だけど、それはあんまりよね?」


 手を出せないのに傍で護る騎士たちは、それなりに我慢を強いられることだろう。その状況を快いと感じるかどうか、狼でもないわたしにはわからない。ただ花の保護を第一義とする神聖騎士なくして今の教会制度はありえないことだけはわかる。これまで出逢ったどの騎士の人も真面目に任務をこなしているように見えたけれど、一風変わった喜びに身を浸しているんだろうか?

 想像しかけてぶるぶると首を振った。わたしったら、なんて不謹慎で恩知らずな真似を。


「同じような例がある教会はないんでしょうか?」

「他の教区と交流がないから答えられないけれど、滅多にないことだと思うわよ。あなたの噂が広まっているのは彼のこともあいまってよ。聖堂教会は自分の花狼を見つけるための場所だから、まだ花狼をもっていない花はあなたに憧れて話を聞きたがるでしょうね」

「エリカさんも同じ経験をされたんですか? フィリップさんという花狼がいらっしゃいますし」


 どんな対応をとればいいのか聞きたくて何気なく言った言葉に、エリカさんの顔が一瞬で強張った。


八花片あなたが羨ましいわ。花狼が花護騎士だなんて……特別扱いなのかしらね?」


 押さえた口調に滲む羨望。菫色の瞳は暗く陰っている。

 何がエリカさんの気に障ったのだろう? 自分に向けられた強い感情に途惑って立ちすくんでしまった。


「どうして……」


 無意識に思考が声に出ていたみたいだ。

 エリカさんはふと俯いた。見えるのは噛みしめた唇だけ。

 細い息を吐いて、「ごめんなさい」と上げた顔には後悔の色があった。


「花片の多少を言うのは意味がないわね。それにあなたは知らないのに……。いずれ誰かから聞くでしょうから話すわ。あたしとフィリップは花結びで出逢ったんじゃないの」


 醜聞よ、とエリカさんは笑った。

 ちっとも楽しそうじゃない、表情を選び損ねてしまったような空虚な笑みだった。


「教会は無条件に花を守るわけじゃないわ。果たさなければならない義務と、守るべき規律があるのは知ってるわよね? 花結びに参加すること。教会に身を置く間は、教会を通して花狼を決めること。簡単に思えるでしょう? あたしも蕾のころは早く強い狼を見つけて教会を出たい、外の世界はどんなに楽しいんだろうって夢見ていたわ。花結びに参加できる日が待ち遠しかった」


 教会は身の安全と教育、そして花狼を得る機会も提供する。女性というだけで過分に優遇されているような保護制度は、甘いだけではないのだ。わたしもいずれ果たさなければならない義務。漠然と日本のお見合いをイメージしていた花結びだけど、想像とは違うのかもしれない。


「フィリップとは父について王宮に行ったときに出逢ったの。顔を見かけるくらいの関係だったけれど、二年前に王宮で襲われ、あの人が護ってくれたことがあった。それをきっかけに親しくなったあたしたちは、花結びの参加もなく、教会を通すこともなく、誓約を交わした。……六花片のあたしこそが模範となって規律を守らねばならなかったのに」


 状況が重なる。わたしもロベルトさんに助けてもらい、誓約を交わした。

 それはルール違反だ。ルールを破れば罰がある。

 エリカさんたちには何が課せられたのか、辛そうな表情で教えてくれた。


「秩序は例外から崩れるもの。教会はあたしたちが逢うことを禁じた。誓約を交わして以来あの人と逢ってないわ。外出も面会も許されなくて、あの人が花結びに参加することもない。あの人は《傭兵》から《伯爵》まで成り上がった努力の人よ。あたしと誓約を結んだことで護国騎士にまで身分を落とされた。領地も館も国に返上し、また底辺から這い上がることを義務づけられたわ。築き上げた経歴も財産も、全部あたしが奪ってしまった。あなたからフィリップの話を聞けて嬉しかったわ。でもそれ以上に妬ましかった……八つ当たりを言ってごめんなさい」


 わたしは無言で首を振って、エリカさんの手をぎゅっと握った。住む世界を違えた家族や友人たち。愛する人に逢えない苦しみは痛いぐらいにわかるから。

 エリカさんはフィリップさんと逢えなくなり、フィリップさんは降格処分。刑罰は一律のものではなく違いがあるらしい。

 わたしとロベルトさんにはいったいどんな処分が下されるのだろう……。今のところ逢うことを禁じられていないようだけれど、処分が決定したらダールガンさんから通達があるんだろうか。


「でも、花は望む場所で暮らせるんですよね? 花狼と引き離されることはないって聞きましたけど」

「規律に反しなければの話ね。あたしたちの場合は、たとえ逢うことの許可が下りても一緒には暮らせないわ。教会は力のない狼に花を託さない。《男爵フライヘーア》位では《六花片レダ》を守れないもの。教会を出ればすぐにでも逢えるでしょうけれど、《花守りエールデ》をもたない身では自殺行為よ」

「エールデ?」

「花の後ろ盾となって守ってくれる存在よ。――ただ好きというだけであの人の傍にいられたら幸せなのに。……今のあたしには花結びは苦痛でしかないわ。彼以外の狼はほしくない。でもそんなわがままは許されないの」


 わがまま? エリカさんの願いは本当にわがままなの?

 誰だって好きな人と一緒にいたいはずだ。教会に属しているから叶わないなんて……。


「ハールベリスはそれほど治安が悪いんですか? 花は本当に教会から離れて暮らしていくことはできないんですか?」

「身ひとつで、という意味? 無理よ。あなたの身の安全と衣食住は、誰が与えてくれるの?」

「与えられなくても、働いてお金を稼いだら何とかなりませんか? 住み込みで下働きとかっ」

「労働なら狼を雇うわよ、花より力があるもの。特別な知識や技術をもっているなら職もあるでしょうけれど、シラー先生のような一握りだわ。緋紋のあたしたちが報酬を得たいなら手段は自ずと限られる。労働よりも、知識や技術よりも、《狼》が欲してやまないものをもっているでしょう?」

「……身体を売るってことですか?」

「その気がなくても選択肢は狭められるということよ。この世界では狼の方が圧倒的に数が多いのをわかっているの? 《武》《農》《工》《商》、どの分野も売り手にしろ買い手にしろ狼ばかりよ。売買の価値が需要だとしたら、《リシェ》ほど高く売れて皆が欲しがるものは他にないでしょうね」

「……その気がなくても、女性は商品みたいに扱われるんですね」

「現実的に王都にも非合法の娼館があるのよ。……あなたは考え方が危なっかしいから忠告しておくけれど、無鉄砲に教会を飛び出せば傷付くのは自分だと忘れないでちょうだい。相手がフィリップや窓の外の彼でなくても、あたしたちは子供を産めるのだから」


 漠然と好きな人とする行為だと思っていたことが、わたしは恋花の狼すべてが対象になる。

 誓約を結ぶのはお互いの同意が必要でも、花の身が香りさえすれば狼は無理やりことにおよぶことができる。圧倒的に狼の方が力が強いから、花の気持ちを無視して襲うのは簡単だろう。悲惨な運命を回避するためには、強い花狼を得るしかない。誇張でも何でもなく、花の一生を左右するのは狼なんだ。

 でも……、と反発する心がわいてくるのを止められない。

 わたしは匂いがしないのに、本当にエリカさんの言うような危険が降りかかるだろうか? 日本では職業選択の自由も、女性が自立して生きることもできた。脅かされてると疑うわけではないけれど、抜け道はあるんじゃないか、と思ってしまう。消しきれない不満は、ハールベリスでの自分の立ち位置に納得いかないからことからきている。

 顔をこわばらせて黙りこくるわたしを見つめていたエリカさんが尋ねてきた。


「リン、あなたはどうして自分が“八”花片なのか、考えたことはある?」

「いいえ。花紋って生まれつきのものですよね?」

「天が与えし花の香り。花統も、花片の枚数も生まれつきのものよ。多花片の花にはそれに相応しい守りを、と神が定めているんじゃないかしら。あなたを守るためには八人の狼が必要なのよ」

「そんなっ……」


 一対一の関係なら、好きな人が花狼になってくれるのは素敵なことだ。

 一対多数の関係でも、好きな人が複数いて、みんな花狼になってくれるなら理想的だ。


 ――じゃあたった一人が好きなのに、複数の花狼をもつことを求められたら?


「あたしたちはもっとも数多き《恋花》に生まれたことを感謝すべきなのよ。狼は楽よね、生まれた時から性愛の対象が決まっているもの。花は花統で好きになるわけじゃないから、系統が違うと悲劇よ。花紋を捧げて愛情を乞い、同情でもいいと願っても、決して花狼の誓約は交わせない」

「系統が違っても好きになってしまうものなんですか?」

「理性で感情が抑えられるなら、報われない恋に泣く花も減るでしょうけれど」


 好きになってはいけない相手がいるなんて、香りで系統を嗅ぎわける狼なら体験することのない失恋だ。


「高位の花は複数の狼と関係を持つものよ。過去の王族や上位貴族の相手は、ほぼすべて高位の花だったわ」

「エリカさんも……?」

「王族に気に入られていたら、王花になっていたかもしれないわね。血が近いでしょう? あちらが反応しなかったから幸いだったけれど」

「血が近いと何かあるんですか?」

「知らないのっ?」

「あの、常識的なことも時々抜けていて、シラーさんに教わっているところなんです」


 驚かれてヒヤリとしたけれど、初対面の時に記憶がないと言ったおかげか、「だから蕾用の教科書なんて持ってたのね」と枕元の本を見て信じてもらえたようだった。


「狼にとって《命花》というのは、血が近すぎても遠すぎても現れない特別な存在なの。彼らが自らの命花にかける情熱、というより執念というか執着は恐ろしいものがあるわ。クリスも恋狼だけれど、従兄妹でしょう? 年頃からいってあたしが王花あいてになればいいと周囲は思っていたようだけれど、緋紋になって彼の対象じゃないことがわかったの。――あなたは? クリスは何か反応を示した?」


 クリストフェル殿下の反応?

 出会いを思い返しても、疑われて嫌われていると感じただけで、良い意味での興味も好意も持たれてはいなかった。正直に答えると、「系統の八花片に興味を示さないなんて……」と、エリカさんは不審そうに眉を顰めていた。

 言えないけれど、原因はおそらくわたしに花としての匂いがないからだと思う。

 しかしエリカさんは他に心当たりでもあったのか、それ以上の問いかけはなかった。


「ごめんなさい、すっかり長居をして迷惑をかけてしまったわ。気分はどう?」


 すまなさそうに気遣う視線に首を振り、笑顔で大丈夫ですとアピールした。

 気が塞ぐのは別の理由だ。今後のために知りたかった情報で、自分が望んでいたことなのに、この世界を知るほど日本との差異に息苦しくなって自信を失ってしまう。

 体調が完全によくなっていないから、精神も引きずられているのかな……?

 憂鬱の原因を体調不良に結びつけ、わたしはお見舞いに来てくれたエリカさんにお礼を言った。


「わざわざ来て下さってありがとうございました。色々と話を聞くことができて嬉しかったです。早くフィリップさんと逢えるようになるといいですね」

「ありがとう。クリスがあの人を三青隊に引き抜いてくれたから、護国騎士から男爵位になれて希望が見えてきたの。だからクリスの性格は嫌いだけど、感謝はしているわ。いつか《伯爵》位になって迎えにきてくれるといいのだけれど……」

「きっと迎えに来てくれます。フィリップさんて、とっても強そうで人を率いるのに長けている感じでしたから、すぐに出世されると思います!」

「だったら嬉しいわね。二十歳までねばるつもりだから、間に合うように祈ってくれる? それか、物わかりのいい狼を見つけられることを。……フィリップの《命花》であるなら一花片でもよかったのに、あの人以外を必要とする花紋が恨めしいわ。だけど六花片の香りがあの人を惹きつけたのなら、もう一度生まれ変わっても六花片になりたいと思うでしょうね」


 ――それぐらい好きなの。

 今にも泣きそうに震えた声で呟いたエリカさんは、瞳にハッとする鮮やかな感情を浮かべた。その菫色を潤ませているのはきっと痛みだろうに、なぜ喜びを見出せるんだろう?

 人を好きになるって、どういう気持ちなんだろう……。

 エリカさんが帰った後も、わたしはぼんやりと考え込んでしまった。

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