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花と狼  作者: riki
第二章 花護の騎士
31/43

29

 目下聖堂では大掃除が始まっていた。床を片づけて広い空間を作るらしい。神聖騎士たちを指揮し、壁際に椅子を積み上げさせているのはヘンリクさんだ。

 ダールガンさんとゼルギウスさんが会話しながらその光景を眺めており、わたしはジークベルトさんと一緒に舞台の袖に下がる。そこへ二人の騎士がやってきた。

 先に階段を上ってきたのは長い金髪を襟足でまとめた男性。歳は三十代半ばぐらいだろうか、涼しげな目許が女性に騒がれそうだ。左眼は青く、右の眼窩には金縁の単眼鏡を嵌めこんでいる。レンズの色は紫だった。屋内でサングラスでもないだろうけれど、一風変わったそれすらもおしゃれに見える。彼は優雅な身ごなしで拝跪すると頭を垂れた。


「可憐なる花に御挨拶に参りました。私はユーリウス・リッター・フォン・ケンプフェルと申します。グラナート神聖騎士団、内務士長を務めております。お目にかかれて光栄です、八花片」

「――へぇ、思ったよりちっちぇえな。ちゃんとメシ喰ってんのか?」


 ユーリウスさんの横をすり抜け、ぬっと顔を寄せてきたのは大柄な騎士だった。

 不躾な視線に固まっていると、ユーリウスさんが背後から彼の服を引っぱったようだ。ぐえっと潰れた声をあげて後ろへ数歩たたらを踏み、「息が止まっただろうが!」と怒鳴っている。


「花を怯えさせるなど言語道断ですね」

「ああん? おれのツラがひでえってのかよ?」

「いいえ、……いえそうですね。君の顔が怖いのは万人が認めるところでしょう。今日ぐらい髭を剃ったらいかがです? それよりもまず礼儀として、名前を名乗るべきではないですか」


 むっとしたようにユーリウスさんを睨み下ろしていたけれど、強面の騎士は右腕でマントを捌くと片膝を突いた。翻ったマントがふわりと床に闇を投げる。意外にも流れるような拝跪の所作に、口調から感じるような乱暴さはなかった。


「おれはラルフ・リッター・フォン・コーエン。グラナート神聖騎士団の外務士長だ」


 ラルフさんは屈んでも大きい、一言でいうなら熊のような人だった。

 長身で筋骨隆々とした体に他の騎士と違って黒のマントを羽織っていた。体格に見合う武器なのか、背にたずさえた大剣の柄が肩口から覗いている。瞳は濃い灰色で、指で掻き雑ぜたようにあちこち飛びはねた髪は短く、金茶色をしていた。同じ色の髭が口と顎を覆っているため一見して歳はわからないけれど、ユーリウスさんとさほど離れていないように思える。

 士長、という役職がどんなものかわからないけれど、二人の胸にある金の階級章が地位の高さを窺わせた。

 わたしは軽く息を吸って本日三回目になる自己紹介を行った。……だんだん挨拶もスムーズにできるようになってきたけれど、十六年ワンセットだった鈴木の姓を名乗れないことが、少し寂しい。

 跪いていた二人が立ち上がると、目の前に壁が現れたようだった。

 見上げる身長差のせいで、彼らにそんなつもりがなくても威圧感を受ける。無意識に一歩、後退ってしまった。


「花を怯えさせるのは言語道断じゃなかったのか、ユーリウス。そう見下ろすな」

「きゃっ!」


 ぐんと開けた視界。

 バランスを崩しそうになった腰を支え、わたしを抱き上げたジークベルトさんが言った。

 平行に近づいた視線の先でラルフさんとユーリウスさんは微妙な顔をしていた。


「……一番驚かせたのは団長じゃねえか?」

「私もそう思います」


 その通りです、ジークベルトさん。ドキドキ脈打つ胸を押さえていると、「すまん、すまん」と頭を撫でられた。セットした髪を崩さないよう気遣う手に、こくりと頷いてみせる。

 怒ってはいません、ただびっくりしただけで。高所恐怖症の人間として、突然目線が高くなると心臓の挙動が怪しくなるんです……。


「団長、どうして任命式にラルフがいるのか、理由をお聞かせ願います」

「おれだって知らねえよっ。任命式は内務の管轄だろう? いきなり呼びつけられて参ったのはこっちだぜ。大慌てで飛んできたってのによお、どっかの内務さんは剃り忘れた髭に文句を言いやがるしな」

「君の髭はいつもでしょうが。花にとっては晴れの舞台ですよ? 顔は整えられませんが、身嗜みは整えられるでしょうと言ったんです」

「……あんだよ、やるか? 教会にこもってばっかじゃ、舌は尖っても腕は鈍るだろ」

「受けて立ちますよ。重い荷物を背負って外を駆け回れば“腕”が鍛えられるのか、君が教えて下さい」

「よせ、二人とも。お前たちがやりあってどうする? 心配しなくてもいいぞリン嬢、こいつらは寄ると触るとじゃれ合う仲良しなんだ」


 いわゆる犬猿の仲ですか?

 そろって眉をしかめた騎士たちは同時に何かを言いかけ、それに気づくとお互い口を噤んだ。……なるほど、たしかに気は合うみたいだ。


「ラルフを呼んだのは、八花片の花護の件でだ。異例だが外務の長として同席させることにした」

「本当に異例づくしですね。外務から抜擢など、内務士長として歯がゆい思いです……。こういった見せ物は好きではありませんが、今回に限っては賛成します」


 「――あの“緋”が関係しているのですか?」と、囁くような声音。ジークベルトさんに抱き上げられているから、狼じゃなくても内緒話のトーンを拾えてしまう。

 ……わたしが聞いてもいい話なんだろうか?


「それもあるが、それだけではない」


 ユーリウスさんの目が一気に険しくなった。


「……収まりがつきませんよ?」

「いずれ相応の対処をする」


 ジークベルトさんの厳然とした態度に、すっと青の視線が落ちた。けれど引き結ばれたままの唇は、決してユーリウスさんが納得していないとわかる。

 肌に痛いほど空気が強張っていた。

 ……話題はわたしの花護について? なぜか胸が騒ぐ。

 不安のもとを見つけ出そうとジークベルトさんを見ても、「ん?」と片眉を上げた表情からは一切の思惑が読みとれない。


「団長、おれも一応外務をまとめる者として聞いておきてえんだが、あいつらは外務の“新参”かい? あまり見ねえツラだからよ」

「どうかな、外務も数が多い。把握するのも大変だろうラルフ、“見逃していた”こともあるかもしれんぞ」

「おれは部下の覚えがいいってのが自慢なんだが……。まあ、“夜回り”の連中とはほとんど顔を合わさねえしな。風の噂にうちグラナートが“狗”を飼ってるって耳にしたもんだから、変に勘ぐっちまった」

「クルークも夜に羽ばたけば犬に見えるのかもしれんな」

「……それはねえぜ団長……」


 ラルフさんは飄々と笑う相手に呆れた様子で溜息を吐いた。

 ところどころ単語に違うニュアンスを含めたような会話は、やはり声を潜めて行われた。内務と外務のトップらしい二人は、ジークベルトさんに何を確認したがったのだろう?

 多分わたしと、そしてロベルトさんに関係があると思う。だけど問いただす内容がつかめない。自分が何を知りたいのか、曖昧なままでは質問すらできないのだと知った。

 おそらくこの人たちは明確に答えを求めなければくれないだろう。答えをもらえたのか逆にはぐらかされたのか、今のわたしではそれも判別できない。

 もどかしい気持ちを抱えながらも結局尋ねられず、大切なものを見落としているような焦燥だけが心の隅に残った。


「――人が働いているというのに、三人で頭を寄せ合ってまたどんな悪だくみをしていたんです? わたしの胃痛の原因はあなた方ですよ」


 いつの間にか舞台の上にヘンリクさんが上がって来ていた。


「私も勘定に入れているのか?」

「何をおっしゃいますか、団長が主犯です。そして火種を蹴散らして広げるのがラルフ、煽り立てて燃え上がらせるのがユーリウスでしょう。毎度尻拭いをさせられるこちらの身にもなってほしいものです」


 三者三様の抗議をさらりと無視し、ヘンリクさんは「さ、用意が整いましたよ。参りましょうリン嬢」とわたしに向かって微笑んだ。

 ……実は騎士団で最強なのはヘンリクさんかも。三人を適当にあしらいながら、舞台の袖から追い立てている。

 わたしも床におろしてほしいと頼んだけれど、ジークベルトさんに却下された。

 危ないからって、……足元がおぼつかないと思われているんだろうか? 正装も裾に気をつけたらひとりでも歩けるし、手を煩わせるのは申し訳ない。

 もう一度頼んだら、危ないのはそういう意味じゃなくて、これから行われる試合を観戦するのにジークベルトさんの近くが一番安全だからだと言われた。他の狼たちも黙って頷いているから、わたしの希望は通りそうにない。諦めて団服の肩に手を置かせてもらった。

 試合ってどんなものだろう? ロベルトさん、大丈夫かな……。


 会場のセッティングはすっかり終わっていた。神聖騎士たちは聖堂の両端によけ、中央に大きな円形の空間を作っている。がらんとした床は本当に体育館みたいだ。繰り広げられようとしているのは学生のスポーツじゃなく、危険をともなう試合だけれど。

 ジークベルトさんだけが楽しんでいるのかと思っていたら、集う狼たち皆が興奮しているようだ。ユーリウスさんやラルフさんの目も輝いている。

 男の人が勝負事に熱くなるのはテュリダーセでも同じらしい。苦労性のヘンリクさんだけは少し疲れた顔をしていた。……あの、準備お疲れさまでした。

 舞台中央でジークベルトさんを挟み、左右にユーリウスさんとラルフさんが立つ。ヘンリクさんは審判役をしなければ、とこぼしながら下におりて行った。本当にお疲れさまです……。


 舞台を見上げる神聖騎士の憧憬が籠った眼差し。もちろん三人とも素敵だし、自分たちの団長や士長に尊敬しているのはわかるけれど、抱き上げられた腕の中で余波を受けるのはとっても居心地が悪いです。

 うろうろと目線を下げると、舞台の下にロベルトさんとクラウスさんが控えているのが目に入った。

 彼らの勝利を望む者はごく少ない。冷やかな周囲を気に留めることもなく、落ち着いた態度で試合が始まるのを待っているようだった。

 吸いつけられるように目があった。

 ――ロベルトさん、ロベルトさん!

 よかった、元気そうだ。先ほどは事態の目まぐるしさに彼をよく見る余裕がなかったけれど、顔色も普通で、どこかに傷がある風でもない。

 ……傍に行って話したいな。彼に報せたいことがたくさんある。

 わたし、教会の花として正式に登録してもらったんです。エリカさんとも知り会ったんです。とっても不味いお茶を飲みました。――いろいろ言いたいし、聞いてほしい。

 それに彼の話も聞きたい。あのあと無事に帰れましたか? わたしの花護になるかもしれないと聞いて、困りませんでしたか……?

 何日も親と会えなかった迷子のように、湧きあがってくる感情はひどく子供っぽいものだった。駆け寄っていけないのがじれったい。

 舞台の上と下、顔が見えて声も届く距離を、どうしてこんなに遠く感じるんだろう。


「――それで、内務からは誰が立つ?」


 ロベルトさんを見ていたら頭がいっぱいになって、話を聞いていなかった。

 試合の相手は誰がするか、という話らしい。この場を取り仕切るのはジークベルトさんのようだ。騎士がらみだからか、ダールガンさんをはじめ神官たちは一歩退いた場所で見守っている。


「私が!」

「……僭越ながら、私も」


 居並ぶ同僚の間をぬって、二人の騎士が舞台の下へやってきた。跪いて自己紹介をする。


「ダニエル・リッター・フォン・エクスナーです」

「ハンス・リッター・フォン・モットルです」


 どちらもハールス人だった。ダニエルさんはまだ少年と呼んでもよい幼さの残る顔の年若い騎士だった。きりっとした太い眉の下の目が明らかな闘志に燃えている。

 ハンスさんは四十代ぐらいだろうか、老成した雰囲気の人だった。穏やかな笑みを浮かべているけれど、挑戦者として名乗りを上げたからには見た目に反して覇気のある人なんだろう。


「では始めるとするか。まずはクラウス、ダニエル、行って来い」


 先にクラウスさんが行うらしい。「はっ」と短く応え、二人は設えられた空間へと踵を返した。


「……ジークベルトさん。試合って何で戦うんですか? どんな内容ですか?」


 わたしは声を潜めて尋ねた。

 なにをもって優劣を競うのか。腕っ節と言ってたから、喧嘩だろうか? 殴ったり殴られたりといった、人が痛めつけられる姿を見るのは苦手だけれど。


「《レナード》が強さと誇りを賭けるのは、己の“牙”」

「きば?」

「はははっ! 比喩だよ、素直な《リシェ》。得物は狼によってさまざまだが、神聖騎士の大半は剣だ。花を守るために揮う力でもある」


 思わずイーっとしてしまったわたしは口を閉じ、熱くなる頬を押さえた。

 無言で肩を震わせている両隣の士長はわたしの精神安定上見なかったことにしよう。


「……でも剣って、危なくないですか?」


 気を取り直して言うと、ジークベルトさんが目を眇めた。

 青い瞳にうっすらと差した影。わたしを見つめる、目の色。

 ――ああ、なにか失敗をした。

 無知をさらした言葉? 態度? わからない。わからないけれど、なにかでこの人に不審を与えた。

 見入られたように外せなかった視線の呪縛を解いてくれたのは、ジークベルトさんの方だった。


「……トリスタンの方がもっと殺伐としていると思うがなぁ? ハールベリスではあくまで腕試しだよリン嬢。しかし花護に相応しい実力を示す必要がある。我らにとっては傷も勲章、気にすれば単純な狼がつけ上がってしまうぞ? これも狼のさがと、花は高見の見物を決めこんでいればいい」


 やさしい瞳に戻ったことにほっとする。そこでようやく自分が息を止めていたことに気づいた。掌がじっとりと汗で濡れている。

 髪の色から、わたしはトリスタン出身だと思われている。でもトリスタンがどんなところか知らない。突っ込んで訊かれなかったのは、動揺したから見逃してくれたのかな。

 項垂れ床の木目を追って――舞台の端にたどり着く前に、自分の膝に引き戻した。

 弱い心が探している。

 近くにいてくれると知って、頼りたくなっている。

 これでは駄目だ。もうロベルトさんに迷惑をかけないようにしようと決めたんだから……。

 わたしは意識して顔を上げ、いよいよ試合が始まるらしい聖堂の中央に目を向けた。

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