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花と狼  作者: riki
第二章 花護の騎士
30/43

28

 今日は任命式当日だ。

 わたしは緊張に高鳴る胸を押さえ、鏡と向き合っていた。


「腕を伸ばして……もう少し摘んでおきましょうか」


 着付けをしてくれていたシラーさんが、わずかにたるんでいた袖を手早く詰めてくれた。

 任命式の時に花は正装するらしいけれど、急遽決まった式だ。借りた正装は大きすぎたため、昨日一日がかりでシラーさんがサイズ直しをしてくれた。あえなく戦力外通告を受けたわたしは邪魔にならないよう部屋の隅で自習していた。役立たずですみません……。


 試着のときに何度か袖を通していても、やはり綺麗な衣装を身に纏うと心が浮き立つ。

 いつだったか家族写真を撮りに行ったとき、「まだ早いが」と父が選んでくれた振袖。慣れない草履にそろりそろりと歩いていたら、「あら、急におしとやかになったわね」と笑った母。晴れ着を見てほしい人は近くにいないけれど、きっと両親なら「頑張ってこい」と送り出してくれるはず。

 花の正装はパフスリーブドレスで、胸の下に切り返しがあり花紋が見えるように胸元は大きく開いている。上にはセーラー服の襟みたいな短いケープを羽織る。

 ドレスは薄布を何枚も重ねた作りで、下の布がほんのり透けていた。一番上はベージュ、次に黄色、オレンジ、最後に赤。全体的には明るいオレンジに見えるけれど、動くと風をはらんで翻る裾に虹のような暖色のグラデーションが表れる。布地はシルクだろうか、光沢があって腕や足に触れると滑らかで気持ちいい。

 裾にほどこされた刺繍は幾何学模様や唐草模様と一枚一枚違うけれど、雑然とした感じはない。薄い布地が重なり透けて見えることも計算されているのだろう、調和のとれた美しさがある。

 刺繍が金糸でされているは、ハールス人が太陽の金を尊ぶからだと教えてもらった。金髪の男性が髪を伸ばしているのも同じ理由で、狼の魅力の一つに数えられるそうだ。北国だから自然と信仰の対象が太陽になったのかな。

 シュッと衣擦れを立て、胸の下に濃い赤が一文字に走った。ぐるぐると巻いたサッシュベルトは身体の前で結ぶ。シラーさんの手元を集中して見ていたけれど……再現不可能な複雑な結び方に寝る前まで絶対に解かないでおこう、と後ろ向きな決心をした。


「息苦しくはありませんか?」

「大丈夫です」


 ふわりと広がっていたドレスが帯によって引き絞られ、胴にくびれができていた。わたしはつい身体を左右にひねって鏡を覗く。

 視覚のマジックですごい着痩せ効果だ。胸も鳩尾までのコルセットで整形されており、寄せて上げて増量。実物より三割増しスタイルが良くみえる。

 嬉しくなってクルリと回ったら裾を踏みつけ、転びそうになった。裾の前部分は床すれすれの長さで、サイドから徐々に長くなり、後ろは床に垂れて広がっていた。

 前進あるのみのドレスだ。前に歩くときは裾を踏むこともないけれど、ターンとバックは転倒の危険に満ちている。

 さらにシラーさんは髪を結いお化粧までしてくれた。

 紅筆が撫でたあと、紅い唇をした少女が鏡の中にいた。

 この平坦な顔にメリハリができるなんて……着付けもメイクもヘアアレンジもこなしてしまうシラーさんは凄腕美容師さんみたいだ。わたしは見慣れた、でも見慣れない自分の顔を感激して眺めた。

 扉が鳴り、明るい声がした。


「リン、用意はできた?」


 扉を開くのを待ちかねたように顔を出したのはエリカさんだった。「あら……」と言ったきりまじまじと全身を往復する視線が気恥ずかしくて、俯いた。


「――驚いたわ! 見違えるようよ。さすがシラー先生の見立てね。よく似合っているわよリン!」

「ありがとうございます。服に着られている気もしますけど……」

「そんなことないわよ。ほら、緊張してても上を向いて。可愛く仕上がっているんだから、顔を見せなきゃもったいないでしょう」


 どこの王子様ですかエリカさん。赤くなった顔を上げたら、満足げに微笑んだエリカさんが「笑顔も忘れないで」と囁いた。同性でもドキッとさせる人だ。女子の先輩に憧れる友達の気持ちがわかってしまった。


「固くなっちゃ駄目よ? あれだけ練習したんだから、落ち着いてやれば失敗しないわ」


 昨日の午後、エリカさんが約束通り訪ねて来てくれた。

 一息入れようとお茶の準備をしていたところで、カップを並べているとさりげなさを装ってシラーさんに問われた。


「エリカ・ハールスラントといつ知り合ったのです?」

「昨日の夜です。隣同士だからと挨拶にきてくださったんです」

「迂闊なことは喋っていませんね?」

「記憶がないと言っておきました。本当に信じてもらえているかはわからないですけど、深く詮索されることもなかったので大丈夫だと思います」


 まずまず無難に切り抜けたことを伝えるとそれ以上は聞かれなかった。

 ティータイムってもっと美味しい時間だと思う。

 わたしが匂い消しのえぐいお茶をちびちび飲んでいる隣で、二人は優雅に紅茶を啜っていた。

 エリカさんは顔に似合わず豪傑で、目の前でいもむ……お茶の素材を口に放りこんだ。ポットに入る前の素材は想像より本物そっくりで、よく見ると細い毛がびっしり生えていた。

 「産毛が口に残るのよね」と素材を噛みつぶすエリカさんをわたしは心の底から尊敬した。「食べたら一瞬で終わるわよ?」とすすめられても毛む……を食す勇気がわきませんでした。

 教えてもらった任命式では、確かに花がすることはほとんどなく、仮に手順を忘れてしまっても近くにいる人間が教えてくれると聞いて安心した。

 エリカさんが帰った後も、ひとりで屈んだり立ったりと練習を繰り返していた。サイズ直しを再開したシラーさんは何も言わなかったけれど、今朝脚が筋肉痛ですと告白したら溜息をつかれた。でも中腰とか普段とらない姿勢なんです……。




「エリカ、間もなく時間ですよ」


 促されたエリカさんは、わたしの手を握り、「頑張ってね。また夜に話を聞かせて」と言って去っていった。シラーさんに尋ねると、花たちの講義が始まるそうだ。


「わたくしたちも参りましょうか」

「はい」


 履き替えた靴は踵のリボンを足首に巻きつけて固定するタイプだった。肘まである白い手袋を両手にはめて、スカートの裾を手繰り上げた。そういうデザインだとはいえ床を引きずって綺麗なドレスを汚したくない。ちょっと格好悪いけど本番までならかまわないよね。

 最後の仕上げとして、左右の首筋にクリームを塗られた。途端にツンと鼻を刺す臭気に何を塗られたかはあえて聞かなかった。毛虫クリーム、じゃなくて日焼け止め。うん、そうに違いない。

 花が出払った館は静まり返っていた。足を踏み外さないよう慎重に階段を下りて、玄関についた。


「手を離してもいいですよ、八花片」

「……裾が汚れてしまいます」

「ここからはあなた自身は歩きません。任命式が行われる聖堂まで神聖騎士が抱えて行きます」


 シラーさんが玄関扉を押すと、向こうにいた誰かがすぐに気づいて扉を引いたようだ。瞬きの間に全開になった扉の向こうから眩しい光が入ってくる。

 手をかざし、段々視力が戻ってくると、逆光だった人影が判別できるようになった。

 外には二人の神聖騎士が立っていた。どちらも四十代ぐらいの男性だ。

 踝まである黒いロングコートと皮の剣帯。それぞれ腰に長剣を佩いている。陽光を吸い込む漆黒の団服にあって、チカッと煌きを放ったのは胸の階級章だろうか。

 剣を持っているのに、不思議と怖くない。ロベルトさんと同じ神聖騎士だからかな。

 向かって右の男性は威風堂々たる体躯の人だった。白髪混じりの金髪を後ろに束ね、青い瞳がやさしくわたしを見ていた。口髭の下に笑みがなければいかめしい顔に近寄り難さを感じただろう。


「――これはまた、なんと可愛らしい《リシェ》だ。私はついているな、っ……」

「まずは朝の挨拶でしょう団長。おはようございます、八花片」


 低い声で喋りだした団長と呼んだ人に肘を打ち込み、わたしの顔を覗きこんだのは左側に立っていた男性だった。穏やかな笑顔を浮かべている。真っ直ぐな金髪を一筋の乱れもなく結わえ、細い眉の下にある糸目を緋の花刻が彩っていた。この人は誰かの花狼なんだ。


「おはよう、ございます」

「昨夜はよく眠れましたか?」

「ええと、緊張してあまり眠れませんでした……」

「任命式や《花結びバンケット》の朝は、赤い目の花が増えますね」


 ふふっと可笑しそうに笑われる。バンケットって何だろう?

 首を傾げるわたしの前で、二人の騎士は申し合わせていたように腰を落として拝跪した。


「教会へようこそ、愛くるしい花よ。私はジークベルト・リッター・フォン・ガウス。グラナート神聖騎士団団長だ。本日は八花片を送る任を拝命した」

「わたしはヘンリク・リッター・フォン・テニエスと申します。グラナート神聖騎士団副団長を務めております。以後お見知りおき下さい」


 団長のジークベルトさんと、副団長のヘンリクさん。……もしかしなくてもロベルトさんの上司で、とても偉い人なんじゃないだろうか。跪かせていてもいいの!?

 おろおろとして、二人が何かを待っていることに気づいた。慌てている場合じゃない、エリカさんにも落ち着けと言われていたのに。深呼吸を一度。


「わたしは、花の位八花片、恋花の鈴・ハールスラントです。こちらの教会でお世話になって日も浅く、まだわからないことがいっぱいです。ご迷惑をおかけすると思いますが、よろしくお願いします!」


 やった! よろめきませんでしたよっ、シラーさん、エリカさん!

 筋肉痛になりながら挨拶の練習をした甲斐があると、わたしは密かに喜んだ。


「新たな場所でわからぬことがあるは当然、何なりとこのジークベルトにお尋ね下され」


 茶目っ気をみせたジークベルトさんが片目を瞑り、わたしはふっと肩の力が抜けて頬を緩めた。


「笑顔が咲くとはこのことだなヘンリク。花は笑っているのがいい」

「異論はありませんが、またどこでそんな言い回しを覚えてきたんですか?」


 そんな会話を交わしながら立ち上がった彼らはシラーさんに挨拶をし、「さて、そろそろ聖堂へ向かおうか、リン嬢」とジークベルトさんが言った。

 応じて腕を伸ばすと、手慣れた動作で膝を掬われた。抱き方が非常に上手い。あっという間に身体がグラつくこともなく、太い左腕に腰かけていた。おまけに開いた右手で、よれていたドレスを直してもらってしまった……。


「ううむ、久々に花を抱くなぁ。任命式に送るなど幾年振りだろうか」


 感慨深げに頷きながらジークベルトさんが歩き出した。ヘンリクさんはその横につく。

 向かう先は聖堂だろう、大きな建物がある。後ろを振り返り、シラーさんにぺこりと頭を下げた。彼女も講義があるのに、忙しい時間を割いて着付けをしてくれたのだ。


 数日ぶりに外の空気を胸いっぱいに吸い込む。

 早朝薄く雲のかかっていた空は澄み渡り、そよ風が心地いい。春の陽はじんわりと肌をあたため心まで陽気にしてくれる。背筋を伸ばした拍子に、爪先にカチャッと固いものが触れた。位置からしてジークベルトさんの腰の剣だ。


「ごめんなさいっ! 靴を脱いでいたらよかったのに……」


 汚してしまわなかっただろうか? 騎士にとって剣は単なる武器以上に大切なもののはず。失礼なことをしたと青ざめて謝ると、怪訝な顔をされた。


「抱き上げても簡単に脱げぬ靴を履くのが普通だが?」

「でも汚してしまったら……。それに大切な剣を、すみません……」

「なあに、たとえ蹴られようと黒い服、払えば汚れは目立たぬものだ。花は細かいことなど気にせず、馬に乗った気で行きたい方を指さすぐらいでちょうどいい」


 馬なんてとんでもない! 必死で首を横に振る。抱き上げて運ばれるだけでも申し訳ないというのに、朗らかに笑ったジークベルトさんはまったくこだわっていないようだ。

 そうだ! ウエディングドレスほど裾は長くないし、風になびく旗みたいに頑張って全力疾走したら地面を引きずらないかも! 閃いた名案は首を伸ばして距離を目測したところで廃案になった。

 遠い……。わたしはマラソンよりも遠足派だった。

 ふと真顔になってジークベルトさんは、くん、と鼻を鳴らした。憶えのある仕草に身体が縮こまる。


「……シラー女史はさすがだな。ひと嗅ぎで萎えるこの調合、若狼にはたまらんだろうなぁ」

「変態臭い真似と発言は慎んで下さい。リン嬢が驚いているでしょう」


 驚いていたのは彼らの思う理由とは違う。

 言われなかった。“匂い”がしないって……。

 クリストフェル殿下もロベルトさんも、狼はみんな、わたしには匂いがないって言った。

 緋紋の花に求められるのは香りだ。それはどんなもの? なんの匂いがすればいいの?

 自分ではわからない。

 ――狼は知っている。

 でも、わたしにはどうにもできないことだ。

 匂い消しのお茶とクリームが真実を誤魔化してくれたことが後ろめたくて、だけどそれ以上にほっとした。




 +++++++++++++++




 任命式が行われる聖堂は長方形の建物で、高校の体育館並みに大きかった。見上げる天井は悠々と広がり、壁面を飾るステンドグラスからこぼれた光が集まった狼たちを照らしている。

 入口から直線上に一段高く作られた舞台があり、祭壇が飾られていた。奥まった場所にあっても採光に工夫されているらしく、スポットライトを浴びたように聖堂のどこからでもよく見える。

 わたしは舞台の袖に控えていた。傍にいるのは副主教のゼルギウスさん。団服じゃないのは彼が神聖騎士じゃなくて神官だかららしい。五十代ぐらいの物静かな雰囲気の人だ。

 緞帳の陰から窺うと、舞台の前列にはジークベルトさんをはじめ立派な階級章をつけた神聖騎士の偉い人たちと、神官たちが並んでいるようだ。

 どうしよう、緊張してきた。深呼吸、深呼吸……。

 反対の袖からダールガンさんが舞台に現れると、ざわめきは潮が引くように消えた。

 誰もが耳をすましているのか、咳払いひとつない静寂。音がしないだけで、聖堂に集まった神聖騎士たちの熱気が高まっているのがわかる。


「――遥か昔、我ら地上の狼に降り注いだ祝福がある」


 ダールガンさんの声は張り上げているわけでもないのによく通った。


「祝福は神聖なる香りをもつ、八枚花弁の花であった。朗報を告げよう。野を駆ける獣に慈愛を教え、人に変えたるその天花が、今再びこの地に戻った」


 ゼルギウスさんに「参りましょう」と手を引かれ、途惑いながら舞台へと進む。

 えっと、誇大広告極まれりな言葉じゃなかったですかっ? 今のわたしのことじゃないですよねっ? あの紹介の後に出てきたのがわたしじゃ、ブーイングがおきます……!!

 エスコートがなかったら足をもつれさせていただろう。いきなり跳ね上がったハードルに戦々恐々としながら、中央で待つダールガンさんの隣に立つ。

 舞台から聖堂内が一望できた。

 居並ぶ人、人、人。優に百人は超えているだろう騎士たちの視線が、じっとわたしに注がれていた。これだけの人がわたしの一挙手一投足に注目している。

 ……緊張するなというのは無理です、エリカさん。

 場に呑まれまいと握った拳が震えた。すぐに足も震えだしそうだ。

 ごくりと生唾を飲みこむ。喉はカラカラで、心臓は早鐘を打っている。


「わっ……わたしは、……花の位八花片、恋花の鈴・ハールスラントといいますっ……よっよろしくお願いしますっ……!」


 真っ白になった思考の中で、かろうじて残っていた自己紹介。直角に下げていた頭を戻したところで、ハッとした。

 お辞儀してた……! あがってしまい、つい日本の挨拶をしていた。

 冷や汗をかいていると、ダールガンさんがすっと右手を上げた。シャラッと鳴った鎖とメダリオンが黄金に輝く。


「ヒンメルに咲くは、《恋花ロート》の《八花片サフィ》。芳しきこの花を二度と喪うことのないよう、我ら《光核の徒ディアマン・ヘルツ》は一丸となって守り抜くことを誓う!」


 ――応っ!! と響いた返答は、聖堂に集うすべての狼が発したのだろうか、鼓膜と建物全体を揺るがす大音声だった。

 圧倒されて目を白黒させていたら、「歓迎しているのですよ」とダールガンさんが微笑んで教えてくれた。

 髪も目の色も顔立ちもハールス人とは違う。かといって純粋なトリスタン人ともいえない容姿。初見で拒絶されてもおかしくないのに、教会の花と認めて護ってくれようとする。嬉しくて、瞳が熱くなった。

 ……泣いたらお化粧が崩れてしまう。わたしはぱちぱちと瞬きをして涙が引っ込むのを待った。

 ダールガンさんが「静粛に」と呼びかけると、人々の歓声がおさまった。


「これより、リン・ハールスラントを守護する《花護騎士ベート・ゼーレ》の任命式を執り行う。ジークベルト、選出騎士をここへ」

「はっ」


 ジークベルトさんは二人の騎士を従え、舞台に上がってきた。

 長身を包むのは黒い団服。色素の薄いハールス人が大多数を占める中、目立つ黒髪と褐色の肌で、けれど俯くことはなく真っ直ぐ前を向いている。前髪で隠れて覗くのは藍色の左眼だけ。わたしを見たロベルトさんは微かに瞳を細めた。

 眦に刻む緋色に胸がぎゅっと締めつけられる。彼は命の恩人で――わたしの花狼。

 後に続くのは金髪の騎士だった。歳はロベルトさんとそう変わらないようだ。額で分けた前髪は長く、残りは後ろで括っていた。背はロベルトさんより低い、というよりもロベルトさんが一般的なハールス人より高いらしい。身体つきは逞しかった。

 近くに来たその人にあっと声を上げそうになった。

 額から左眼を横切り頬に達する長い傷。昔のものらしく引き攣れた跡は白っぽくなっていた。左眼を閉じたままなのは、眼球も損傷してしまったからなのだろうか。秀麗な容貌だけに痛ましい傷が目を引いた。

 薄曇りの空を映したような青灰色の右眼が強くわたしを見返した。

 ……無神経な自分が恥ずかしい。顔の傷をじろじろ見られたら誰だって良い気持ちはしない。わたしは謝罪をこめて小さく頭を下げた。

 ダールガンさんの目前で二人はザッと跪き、頭を垂れた。鞘がコツリと床を打つ。拝跪の型に意味があるのか、ロベルトさんは右拳を、もう一人の人は左拳を反対の手で覆っていた。


「私が花護の騎士に推挙いたしますのは、こちらの二名です」

「ロベルト・リッター・フォン・アイヒベルガーです」

「クラウス・リッター・フォン・セーヴェリングです」


 彼らは顔を上げ、めいめい名乗った。

 ダールガンさんは検分するように二人を眺める。厳しい眼差しは目に見えない人格も見通そうというように鋭かった。

 主教と騎士団長の関係はわからないけれど、ロベルトさんを花護にするようジークベルトさんに薦めてくれたのはダールガンさんじゃなかったの……?

 ともすれば「否」と言われかねない張り詰めた空気に、わたしは手に汗を握りながら見守った。


「……いいだろう。二人を花護騎士と認めよう」


 よかった、と胸を撫でおろした瞬間、矢のように安堵を切り裂いた声。


「――異議がございます」


 聖堂は水を打ったように静まり返った。

 人々の視線を追っていけば、中心にいるのは一人の騎士だった。わたしからは遠すぎてどんな人かわからない。ただ彼の言葉ははっきりと聞こえた。


「その者たちを選出された団長を疑うわけではありませんが、通常であれば内務から選ばれる花護騎士が今回だけ外務からとはどういうことでしょうか? 実力の程も知れぬ者に《八花片》を護らせるのは納得がいきません」


 えっ、……どういうこと?

 エリカさんに教えてもらった任命式では、異議を唱えられるなんて聞かなかった。団長に選ばれた騎士が、主教によって花護騎士に任命される、それだけだ。

 はじめはちらほらと、すぐに聖堂中から同調の言葉が飛ぶ。外務の神聖騎士が花護になるということはこんなにも反発を招く行為らしい。

 予想外の展開はダールガンさんも一緒だったのか、ジークベルトさんと小声で話していた。

 やがて対応を待つ人々を見下ろし、ジークベルトさんが告げた。


「確かに生半な腕では八花片を護ることなぞできん。そこで、だ。こいつらに腕っ節を披露してもらおうじゃないか、今ここでな!」


 わっと賛同の歓声が湧き起こった。後には退けない盛り上がり様だ。

 ロベルトさんもクラウスさんも表情を変えないまま立ち上がった。この事態を予想していたのだろうか、自信や焦りといった感情は浮かんでいなかった。

 もし負ければ――花護の交代があるかもしれない。

 不安になって舞台を見回すと、ジークベルトさんと目があった。腕を組んで騒ぎを見物していたらしい彼は、ニッと笑って嘯いた。


「面白いことになってきたなぁ」


 お言葉ですがジークベルトさん、ちっとも全然っ! おもしろくありません……。

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