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「緋紋の花はどこにいても絶対に安全という保証はありません。教会内でも個別に護衛がつきます。各部屋ごとに身の回りの世話を手伝う仔狼が一人と、神聖騎士が二人。花の部屋は花片数に合わせて決められるため、高位は個室、下位は大人数の相部屋になります」
「花紋で人数を決めるんですか? 女性同士ならあまり関係がないんじゃ……?」
何人の花がいるのか知らないけれど、限られた部屋数で相部屋になるのはわかる。でも女性同士なら匂いも関係ないし、平等な部屋割りしてもいいと思う。それでいくと八花片のわたしは一人部屋になってしまいそうで、匂いもしないのに気が引ける。
「高位の花は特に狙われやすいのです。対象が少ないほど守りは強固になります。そして厳しい規律に縛られる神聖騎士といえど、血迷う狼が出ないとは限りません。《花護騎士》と呼ばれる部屋付きの神聖騎士は、時に同じ神聖騎士から花を守る役目も負っているのです」
血迷うってそんなっ、誤解だ。
シラーさんは誓約を交わしたことを卑劣だと怒っていた。ロベルトさんはきっと、花を守るのが神聖騎士の役目だと思って助けてくれたんだろう。職務に忠実な人なのだ。
わたしとの誓約のせいで彼は神聖騎士としての在り方まで疑われている。黙っていられなくて口を開いた。
「違うんですっ、ロベルトさんはわたしを助けるために誓約を交わしてくれたんです! わたしがこの世界に来たとき、なぜかお城の王花の庭で目が覚めたんです。無断で侵入したってクリストフェル殿下に捕まって剣を向けられ、殺されるかもしれないって思いました……。だけどロベルトさんが助けに来てくれたんですっ。尋問されることになっても傍で守れるからって、花狼になってくれたんです!」
パンッ、と教科書が閉じられた。
「……あなたはここに運ばれてきた時、指輪を嵌めていましたね。誓約を交わしたのは指輪を嵌める前ですか、後ですか? あなたが暗殺を企んでいたという確証を持っているのならともかく、無断で侵入したというだけで重罪を科すことはできないでしょう。軽い罪とも言えませんが、尋問を行うにしても教会の八花片を相手にそうそう不当な真似ができるとは思えません。騙し打ちのように誓約を交わす必要があったのでしょうか?」
カルステンさんと同じ質問。答えに窮して唇を噛むしかなかった。
違うのにっ……!
わたしは匂いがしないのだから、狼にとって異性としての価値はない。
しかも異世界人だと自称している子供だ。花狼になって何の得があるだろう?
例え氣の力を上げることが目的だったとしても、わざわざわたしを主花に選ばなくたって彼ならいくらでも相手がいるはず。ロベルトさんは助けてくれただけだ。
自分の不甲斐なさに拳を握る。食い込む爪より胸の方が痛かった。
この場で彼を弁護できるのはわたしだけなのに、シラーさんの誤解をとくことができない。
しばらくわたしを見つめ、シラーさんはふうっと息を吐いた。
「首座主教も何をお考えなのか……。この上あの男をあなたの花護にするなど、わたくしには図りかねます」
「…………わたしの花護騎士にはロベルトさんがなってくれるんですか?」
たしかに昨日の夜、彼はわたしの部屋付きになったと言っていた。
また会えると約束してくれたことが嬉しくて深く考えなかったけれど、単純に喜ぶことはできそうにない。シラーさんの顔に懸念が色濃く表れていた。
「花護騎士として選ばれるのは、教会内部を守る任に就く内務の神聖騎士からです。通例を破り、神聖騎士の身で“八花片”の花狼であるロベルトを、花護として受け入れる内務はいないでしょう。それにあなたのもう一人の花護も外務から選ばれました。任命式が滞りなく終了すればいいですが……」
内務の神聖騎士から選ばれる花護騎士が、わたしの場合はどちらも外務だから問題らしい。
神聖騎士として内務と外務で能力に違いがあるんだろうか? デスクワークの人と、外回りの営業の人ぐらい仕事内容が違えば途惑いそうだけれど……。
「任命式って何ですか?」
「教会の登録がすめば、部屋の割り振りがなされます。その時に花護騎士を任命するのです。任命式は主教が執り行い、あなたと花護になる神聖騎士の他に多くの内務が立ち会います。あなたはハールベリスにとって十四年ぶりの八花片ですから、注目が集まることでしょう」
任命式にはわたしも出なくちゃいけないらしい。憂鬱になりながら、シラーさんの言葉が気になっていた。
過去にはこの国にも八花片がいたんだ。実際ハールスにはひとりいるそうだし……ひょっとして本国の人だったのかな? 両国の人の行き交いはどうなってるんだろう。簡単に行けないとしても、もし本国の八花片に会えたら色々話を聞いてみたい。
「以前この教会に、本国の八花片の方がいたんですか?」
「いいえ、セントポーリア様とは違います。――ハールスに寧花の八花片、楚々と香り、ハールベリスに恋花の八花片、愛らしく香る――詩人が歌ったのは昔のことです。今はもうこの国に八花片はいません。……あの方は、亡くなられましたから」
ハールベリスにいたのはわたしと同じ、恋花の八花片だったんだ。
亡くなったと話すシラーさんの顔は強張っていて、わたしはロベルトさんとクリストフェル殿下の会話を思い出して口にしかけた問いを呑みこんだ。
――その人はどうして亡くなったんですか……?
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午後になって、わたしはシラーさんと二人で謁見室に向かっていた。
王宮に行っていた首座主教さんが帰ってきたらしい。
人払いをされているという廊下は静まり返っていた。教会内部をきちんと見るのは初めてだ。離宮より派手さには欠けるけれど、柱の彫刻や壁の絵画は美しく、まるで博物館を歩いているようだ。
物珍しさにきょろきょろ周囲を見回していたら、躓いて転びそうになった。先導してくれているシラーさんの雄弁な視線に「……すみません」と謝って、あとは足元を見て歩くことに集中した。
首座主教は偉い人らしいから、怖い顔のおじいさんを想像していたけれど、美形の人は歳を重ねても美形なんだなあと納得する苦み走った男性だった。四十代ぐらいだろうか、金色の長い髪には白いものが混じっていて、瞳は鮮やかな瑠璃色をしている。
「はじめてお目にかかりますな。もうシラーから聞き及んでおられるかもしれませんが……私はグラナート聖堂教会の主教を務めております、ハーラルト・リヒトフューレン・ダールガンと申します」
そう言って男性は深いお辞儀をした。首から下げた金色のメダリオンが揺れ、黒い服に映る。
……ダールガン、さん?
おそらくロベルトさんの上司で、クリストフェル殿下がひどく嫌っていた人だ。穏やかな微笑みを浮かべたダールガンさんは、誰かに恨まれるような人に見えないけれど……。
「は、はじめまして。わたしは花の位八花片、恋花の鈴・ハールスラントです。ご迷惑をおかけするかもしれませんが、どうかよろしくお願いしますっ」
わたしも緊張で上ずる声で挨拶を返した。
シラーさんに教えてもらったとおりに両手をお腹の前で軽く重ね、一歩足を引いて膝を曲げる。背筋はまっすぐ、顎は引いて、上体は傾かないように腰を落とす感じ、で……。
……うぅ、よろめいてしまった……。ダールガンさんも笑ってるし、後ろにいるシラーさんも呆れてるんじゃないだろうか。
「ようこそリン殿、教会はあなたを歓迎します。さあ、腰を下ろして楽にして下さい」
謁見室の調度品はどれもこれも手の込んだ彫刻があり、値段の見当もつかない物ばかりだ。促された椅子の座面は繻子張りで、手すりも背もたれも床の絨毯が覗ける繊細な透かし彫りがほどこされ、触れるだけでも傷をつけてしまいそうだ。肩をすくめて縮こまり、そうっと腰をおろした。
わ、ふかふかだぁ。
ダールガンさんの押し殺した笑い声で顔がゆるんでいたことに気づき、慌てて表情を取り繕った。庶民丸出しで耳が熱くなる。
「……いや、申し訳ありません、あまりにお可愛らしい様子で……。リン殿のような花なら、三人もたれても壊れる心配はありませんよ」
「す、すみません……」
「記憶を無くされたそうで、さぞ心細い思いをされたことでしょう。ここにはリン殿を苦しめるものはありません、ゆっくりと養生して下さい」
「ありがとうございます。わからないことだらけで、ロベルトさんやシラーさんにたくさん助けてもらっています。二人には本当に感謝しています」
「彼女は優秀な教師ですから、あなたのよい相談相手になるでしょう。もちろん私にも気兼ねせず頼って下されば力になります」
「よろしくお願いします」
気遣うような瑠璃色の瞳は深くて、わからない。わたしが異世界から来たということを知っているんだろうか。シラーさんは何も言わないし、ロベルトさんが話したのは彼女にだけなら、迂闊な返事はできない。わたしはお礼を言うだけに留めた。
記入済みの登録書を渡すと、無言で目を通していたダールガンさんが花紋と指輪の確認を求めてきた。わたしはドキドキしながら襟を引き下げて花紋を見せた。
形式だけといった目視の他に、香りを気にする素振りはない。
ダールガンさんはわたしに匂いがないことを知っているようだ。よく考えれば教会の総責任者らしい彼に話が通っていないはずがない。それでもあらためて問われなかったことにホッとしていた。
「結構です。では指輪を」と指し出された手に、ロベルトさんが届けれくれた指輪を乗せる。表裏を転がし紅綾石を光に当ててひとつ頷くと、「リン殿を正式に教会の《花》として認めます」とダールガンさんが言った。
「……あ、ありがとうございますっ!!」
返された指輪を強く握りしめる。
嬉しい。
この国だけじゃなく、世界から見てもわたしは部外者だった。居場所はどこにもなかった。
わたしを育んでくれた人々と故郷は遠く、二度と戻れない世界にある。
でも居場所ができた。教会の花だと認められた。
これでロベルトさんの傍に居られるんだ。
シラーさんを振り返って笑う。水色の瞳が細まった。喜んでくれているとわかる優しい眼差し。
ああっ、早くロベルトさんにも伝えたい!
彼が来てくれなかったら今ごろどうなっていたか。ロベルトさんは命を救ってくれただけじゃなく、この世界でわたしの居場所までくれた。
お礼を言いたい。ううん、言葉だけじゃ感謝を伝えきれない。何かロベルトさんにしてあげられることがあればいいのに。わたしにできることなら何だってするのに。
今度聞いてみよう、わたしにできることはありませんかって。
「リン殿、もう熱は下がったと報告を受けましたが、体調の方はいかがですかな?」
「おかげさまで、シラーさんに看病してもらってすっかり治りました」
「それはよかった。この教会では花片数に応じて部屋を分けておりますが、リン殿は《八花片》、高位の花のため個室になります。部屋にはそれぞれ身の回りの世話を手伝う仔狼が一人と、教会内で花の身を守るための護衛、《花護騎士》が二人付きます。後程シラーが部屋へ案内しましょう」
……やっぱり、個室がもらえるんだ。
わたしが寝ていた部屋は療養のためのいわば病室で、家具が少なくて殺風景だったのは本来もっとベッドが置かれていたかららしい。八花片がいると大々的に知らせていなかったので、ベッドをよそに移し、わたし専用の病室にしているのだとシラーさんが教えてくれた。
「実はリン殿の体調がよければ、花護騎士の任命式を明後日行おうと考えているのですが」
「……明後日ですかっ!?」
明後日って、いきなりだ!
任命式ってどういう内容の式典だろう。わたしも出なくちゃいけないようだし、何をしたらいいんだろう? 無意味に焦ってしまう。
「身体がよくなればリン殿も他の花と同じように教会での生活を送ってもらいます。手始めに部屋を移りますが、移動の時など傍にいるのがシラー一人では危険が大きすぎるため、早急に花護を任命しなければならないのです。身体が治ったばかりのリン殿には急ぎの日程で無理を強いてしまいますが、許して下さい」
「も、もちろんですっ! 許すも何も、そこまでわたしのことを考えていただいて本当にありがとうございますっ。身体は健康そのものですから、明日でも明後日でも全然大丈夫です!」
「はははっ。では明日、と言いたいところですが、準備もありますからな。明日は身体を休めて下さい」
「はいっ!」
年配の男性に申し訳なさそうにされては「とんでもない」と首を振るのが精いっぱいで、はた、と我に返った時にはそういう段取りに決まっていた。
……一日猶予をもらえたことを素直に喜ぼう。
とりあえずは、挨拶でよろめかないよう特訓だ。




