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花と狼  作者: riki
第一章 花狼の誓約
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「この世界では、遥か昔に神が花と狼から対なる人間を創ったことから、女性は《リシェ》、男は《レナード》と呼ばれます」

「花と狼というのは、単なる比喩じゃないんですか?」

「花は狼を惹きつける香りを持つのですよ」

「ひきつける?」

「ええ。狼は己の花統――《花》の系統のことですが、三種の花の香り、いずれかに惹きつけられるのです」


 つまり。

 テュリダーセでは女性は花のようにいい匂いがして、その匂いは男性を惹きつける。

 香りは三種類あり、その系統を花統という。

 狼は三種の花のうち、自分の花統の花に惹きつけられるということ。

 なんとかここまでは解りました、とわたしはロベルトさんに頷いてみせた。


「しかし世界に花は少ない。そのため狼が奪い合うことになります」

「女性が少ないんですか?」

「この国では大体狼七、八人に対して花が一人の割合ですね。リン様の世界では違うのですか?」

「そこまで極端な違いはないと思います、たぶん半々に近いぐらいじゃないでしょうか?」


 深く考えずに答えたらロベルトさんはふう、と溜息をついた。

 わたし、何か疲れるようなことを言ったかな。


「……リン様の世界であれば、教会は必要ないのかもしれませんね」

「え? わたしの世界にも教会はありますよ。いろいろな宗教があって、教会に神社にお寺もたくさん建ってますけど」

「ああ、宗教という意味合いでの教会ではないのです。この国の教会は、太陽神を崇める宗教的役割の他に、花の保護という側面も持っているのですよ。狼から自分の身を守る力を持たない花は、ともすれば奪い合いの末に悲劇を迎えます」

「……悲劇って、死ぬってことですか?」

「花と狼は違う生き物です。狼の振るう力は容易に暴力に変わりますから」


 言われてみると、金髪の青年はわたしを軽々と抱え上げた。筋骨隆々としているわけでもないのに、見た目によらず力持ちだなんて思っていたけど、狼だったら普通なのかも。

 ロベルトさんだってこの部屋の重そうな扉を楽々開けて入ってきてたし。


「花が身を守るためには教会に属するか、《花狼リカード》を得るのが一番です」

「花狼?」

「他の狼から、主たる花を守る狼のことです。その関係は国によって保護され、国王であれ二人を引き離すことはできません」


 いきなりロベルトさんがわたしの手を取った。

 驚いて訳を尋ねようとした言葉は、真剣な瞳にぶつかって消えた。


「――いいですか、リン様は今とても危うい立場にいます。王花の庭園は、王宮で最も立ち入りが困難といわれる場所です。この部屋も、王が見初めた花を囲う王花の離宮と呼ばれる建物で、近衛が厳重な警備を布いています。そんな中に現れたリン様を彼らは厳しく尋問するでしょう。国の威信がかかっていますから、どうやって侵入したのか、独りなのか、仲間はいるのかといった事を喋らせるために、拷問も辞さないはずです」


 握られた手が小刻みに震えだす。

 聞かされた言葉を理解するにつれ、さあっと血の気が引いた。

 あの花畑がそこまで重要な場所だったなんて。厳重な警備もなにも、神様にテュリダーセに連れてこられて目が覚めた場所があそこだったんだもの、侵入方法を聞かれても答えようがない。

 クリストフェル殿下はわたしが拷問する気かと聞いたときに笑っていたけど、尋問はすると言っていた。尋問してもわたしが何も喋らなかったら? 喋らないんじゃなくて答えられないのだと誰も信じてくれなかったら? 業を煮やして拷問にエスカレートしたっておかしくない。


「教会に属さぬ花はよほど強い後ろ盾がなければ軍に逆らえません。しかしリン様はこの国にきたばかりで縁をお持ちではない」

「きょっ教会ってロベルトさんが属しているところですよねっ? だったら、下働きでもなんでもしますから、わたしを教会に紹介してもらうことはできませんか!?」

「リン様がそう言い出されるのを待っていました」


 待っていたとはどういうことだろう?

 疑問が顔に出ていたらしく、ロベルトさんはすぐに答えてくれた。


「教会に登録するのは常に花の意思でなければならず、神聖騎士の私が強制することはできません。リン様が望まれればいつでも教会は庇護します。……略式ですが、これを小指に嵌めると教会に登録されたことになります」


 用意の良いロベルトさんが手のひらに乗せてくれたのは小さなピンキーリングだった。金色の指輪に硝子か水晶か、透明な石がひとつ付いている。

 わたしは一も二もなく指輪を手にした。指が震えて時間がかかったけど、その指輪は左手の小指にちゃんと収まった。ちょっとサイズが大きくてグルグル回る。


「登録書は後程書いて頂くことになりますが、今を持ってリン様は教会に属する《八花片》となりました。――これよりすべての神官、神聖騎士が、《光核の徒ディアマン・ヘルツ》としてリン様を守護致します」

「あ、ありがとうございます」

「といっても、まだ安心はできません。近衛から国防を盾にリン様の身柄を引き渡すように迫られれば、教会も応じるしかないでしょう」

「拷問されちゃうんですか!?」

「その様な真似はさせません。そのために私を、リン様の《花狼》にして下さいませんか」


 ロベルトさんがわたしの花狼になる? ……花狼って、花のことを守ってくれる狼のこと?


「ええと、ごめんなさい。よく意味がわからないんですけど……?」


 自分の頭が悪いってことを自己申告するのはかなり恥ずかしい。

 赤くなりながら問い返すと、ロベルトさんは「説明不足でしたね」と苦笑した。

 いいえ、とんでもないです。自称異世界人の小娘に、「一から世界のことを教えてほしい」なんて面倒なことを頼まれて、快く説明してくれているロベルトさんにはどう感謝していいかわからないほどです……。


「教会に属する花は神聖騎士が護衛しますが、近衛が行う尋問の場まで付き従うことはできません。私も本来ならこの離宮に立ち入ることができない身分なのです。ですが花狼になれば、常にリン様をお守りできます。花狼となった花と狼を引き離す権利は国王でさえ持ちません。もし教会が近衛にリン様を引き渡すことになっても、私が傍についています。リン様に不当な扱いはさせません。……その傷の様な行いは絶対に」


 力強く言い切ったロベルトさんに圧倒された。

 クリストフェル殿下に斬られた痕、何も尋ねられないから気づかれていないのだと思っていた。

 それにしても、ロベルトさんは出会ったばかりのに、どうしてこんなに良くしてくれるんだろう……? 嬉しいけれど不思議で、途惑う気持ちがわいてくる。


「で、でもロベルトさんにはご迷惑じゃないんですか……? だって、わたしなんか守っても何もいいことないかもしれないんですよ。わたし、一文無しなんです。もちろん働くところがあったら働いてお礼します! 今は……お礼になるようなもの、何も持ってないんです……」


 厚意をお金に換算するのは失礼かもしれないけど、感謝の念だけでは表せないぐらい救ってもらっている。

 手に職ってこういう時切実に必要だと思う。もうすぐ高校に入ってはじめての夏休みで、どこかでバイトしようと思っていた矢先に死んでしまった。働いた経験があれば胸を張って「稼いで返します」と言えるのに。雑用ならこなせるだろうけど、ロベルトさんにお礼ができるほどお金になる雑用なんて、あるかわからない。


「それに、……それにわたしの花狼っていうのになったら、ロベルトさんも疑われるんじゃないですか?」


 何よりそれが一番の懸念だった。

 敵の侵入者と疑われているわたしを庇うようなことをすれば、ロベルトさんまで国に疑われてしまうんじゃないだろうか? 下手したら反逆者として。


「先程の話ではないですが、私には後ろ盾があります。ですからリン様が心配されるようなことにはなりません。お礼についてもリン様が気にする必要はありません。教会に属する花を護るのは神聖騎士の第一義の役割です」

「でも……」

「――私に騎士としての役目を果たさせて下さいませんか?」


 そ、そんな聞き方はずるいと思う。

 ロベルトさんの言葉に甘えてしまいたくなる。


「お願い致します、リン様」


 おもむろに膝をついて拝跪したロベルトさんを前にして、それ以上断わりを口にすることはできなかった。

 わたしも正座して、ぺこりとお辞儀する。


「こ、こちらこそよろしくお願いします」

「では、花狼の誓約を受けて下さいますね?」

「はい。誓約ってどういうものかわかりませんけど、教えてもらえればロベルトさんの言う通りにします」


 柔らかな微笑を浮かべたロベルトさんに、笑って頷き返した。

 この時もっと深く考えるべきだった。花狼について詳しく尋ねるべきだったのだ。

 異世界の心細さと不安から自分を守ってくれる人が嬉しくて、飛びついてしまった提案。


 ――この誓約がどういうものなのか、わたしは何もわかっていなかった。

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