52・想いの手紙
マカディオスはフィーヘンと取引した。彼女がほしい素材を手に入れてお小遣いをもらう。幸せな赤ちゃんの寝息を詰めた小ビン。マンダラゲの白い花。密林に生えるツル状の木バリエラの樹液。夢をいきかうヒツジの毛。カラフルなカエル、赤青黄色の三種類。
今日は生きたサシハリアリを袋いっぱいつかまえてきた。
「絶対にお家の中で逃がしちゃダメでぃすよ!」
冒険に同行していたセティノアが怯えた顔で注意する。
「二人ともおかえり。労働してかせいだお金でほしいものを買うなんて、いっちょまえにしゃかいのけーざいをグルグル回してますな」
リビングの上等なイスに陣どってバンドネオンを演奏している居候。ダイナが手を止め口をはさむ。
「面白いよね、ウラの世界じゃ紙がお金だなんて。セティノアは絵が上手いし、好きなだけお金の券を作って大金持ちになれたりしないの?」
「しないでぃすよ! どんな恐ろしい目にあうか……ヒェ」
オモテ側でお金といったら、統治者の紋章が刻まれたピカピカのコインに決まっている。
ウラに身を寄せる魔物たちは出身地も年代もさまざまで、各自が持つコインの規格や価値もバラバラだった。最初は重さを量って対応していたが、混ぜものなど質の良し悪しの差もあり公平な取引をするのはむずかしい。
長い間、ウラではなんとなくの相場感覚で贈与、詐欺、窃盗、強奪、交換がおこなわれていた。単に生きるだけなら魔物にお金は必ずしも必要ないという事情もあり、不便で乱雑にウラ経済は回っていた。
ある魔物が、その悪知恵を働かせる前までは。
人間時代は古物商にして貸金業の家に産まれ、紆余曲折の末にウラへとやってきた年老いた魔女カロトゥセン。彼女は治安良好な縄張りを持つ有力な魔物たちに根回しをして、カロトゥセンが持つ金銀と交換できる紙切れを広めたのだ。もちろんコインを持つ自由も残されているが、魔女の息がかかった地域の店では従来のコインを受け取らない。実質は紙幣使用の強制となる。
「はー、カロトゥセンは紙幣の管理をする代わりに、本物の金貨や銀貨を魔物たちから回収してるってことかー。こうしてお金持ちはますますリッチになっていくのだ!」
セティノアとダイナがかわしているお金の話を聞き流し、マカディオスは貯めたお札を一枚二枚と数えていた。期日までに魔法の手紙が買えそうだ。がま口財布をパチンと閉じてしまう。
魔女の屋敷の玄関からドアの開閉音がした。ヨトゥクルだ。ここ最近の彼はよく屋敷の外に出かけるようになった。
どこにいっているのかマカディオスは聞いたことがある。いっしょに遊びにいきたかったし、ちょっと先輩風を吹かせてウラ側を紹介したかったから。
マカディオスはしっている。ヨトゥクルは新しい住まいを探しているのだと。魔女の屋敷から出ていく準備をしているのだ。
「お、おかえり!」
「……」
ただいまの言葉はなく、かといって完全にムシするわけでもない、びみょうな匙加減で頭を少し動かすあいさつをヨトゥクルは返す。
セティノアがムリに明るい声を出す。
「ヨトゥクルにお土産もありますよっ! 香り豊かなコーヒー豆でぃすわ!! いかがでぃす?」
「いりません。僕その飲みもの嫌いになったんですよね。魔法の制御が未熟で眠らないよう努力していたイヤな記憶を思い出すので」
「ハ、フハァ……」
「やだねー。いつまでも根に持っちゃって。ちゃんと説明して分け前だってわたしたのにさ」
まぜっかえしてきたダイナをヨトゥクルが長めに残された前髪の奥から睨みつける。
ギスギスした空気!
マカディオスとセティノアには彼が不機嫌になる大きな心当たりがあった。フィーヘンが要求した素材の一つ、夢をいきかうヒツジの毛。それを手に入れるのにマカディオスはヨトゥクルに協力をたのんだのだ。おずおずと聞いてみる。
「髪をわけてってお願いしたの、やっぱりイヤだったか?」
「フェヒィーン……きっとセティのヘアカットの腕前がヘッポコだったせいなのでぃす……」
意外にも二人へのヨトゥクルの態度はわりとやわらかかった。
「そこはまぁべつに……。体の一部を魔女に素材あつかいされるのは楽しい気分じゃありませんが、マカディオスの話を聞いて僕も承知した上ですから」
短くなった髪の毛先をつまみ、髪型についても特に問題はないと思いますよ、と自分自身とセティノアを同時にフォローする。
その後で不愉快そうに肩をすくめ、長い鼻先を忌々しげにダイナにむける。
「……そこの女が僕の髪を切る行為を毛刈りと称したのはこの三日間ずっと恨んでますけどね。食事の時も、出歩いている時も、本を読む時も」
「怒ってる理由がわかった」
しかし三日も不機嫌オーラを放ち続け、だれかがさっしてくれるまで黙っているヨトゥクルもなかなか陰険な性格をしている。音楽の才での劣等感もふくめ、とにかく彼はダイナと相性が悪い。
名指しされた当の本人はまったく反省していなかった。
「悪気のないジョークなのに?」
「ダイナがどんな気持ちで言ったかはちょっと置いておきましょうね。言われてヤな気持ちだったって本人が直接伝えているのでぃすから」
「オレはダイナのそういうてきとうなところも楽しいなって思うけど、相手を傷つけちまったんなら謝らねえと。な?」
子どもの精神性を持った魔物二人に、ダメな大人のお姉さんはさとされてしまった。
「ぬぁ……幼児が悪いことしたお友だちを説得するみたいな上から目線で話しかけやがってよぉっ! ヤダヤダ! 大人になってから叱られるなんてヤダ! 自尊心がズタボロになっちゃう!!」
大人の威厳はどこにあるのか。自尊心とはなんなのか。
イスの上で四肢をバタつかせ思いっきり駄々をこねる片メカクレ妖しげセクシーお姉さんを見て、マカディオスとセティノアはそんな哲学的な問いを心にいだくのだった。
「叱られている内が華だと思いなせー。友だちから本当に愛想を尽かされたら、もう注意すらされなくなるのでぃーす」
「わー! それもっとヤダー! なんだかんだでこの四人でつるむ時間が好きな自分がいる! イヤな思いをさせてごめんなさい、ヨトゥクル。あなたを不快にさせたこと、反省しています」
あれだけうるさくわめいていたのに、途中から品の良いしっかり者のお姉さん風の姿勢とツラがまえに流れるように変化した。
「……釈然としないものを感じますが……今回は水に流しますよ。ここで謝罪を拒絶すれば僕の方がわからず屋の悪者になりそうですし」
「フフ、ありがとう。いやー、器の大きさを見せつけられてしまったね」
「それで……マカディオスは期日までに目標金額に届きそうなんですか?」
「おう! バッチリだぜ!」
「手紙に魔力をかよわせるのはセティが担当しますの」
正確な居場所のわからない相手にも届く魔法の手紙のすごさをマカディオスは語る。
前はシボッツの飼いネコたちが妖姫の所在を把握しているようだった。けれども仇敵クルガフィカに一矢報いるために四匹が集結した結果、もう妖姫の足どりはわからない。
あの時ネコたちが全員あつまってくれてよかったとマカディオスは思っている。クルガフィカとの戦いに参加した者のだれが欠けても、マカディオスの命はなかった。魔力を持たない者や死んでいった者たちもふくめて。とうぜん、オバケネコたちだって。
マカディオスはあらゆる性格の人々を大ざっぱに愛している。
ふざけすぎるダイナにしろ、気難しいヨトゥクルにせよ、マカディオスは友人としてゆるい好感を持っている。どんなにクセの強い性格でも、それがその人がこれまで生きてきた中で作り上げられてきたものだと思うと、しみじみとした愛おしさと切なさがわいてくるものだ。
それでもクルガフィカやユーゴのように、なんのためらいもなく身勝手な理由で人を残酷にあつかう者だけは受け入れがたい。すんごくきらいなタイプ。
牙の魔女ウィッテンペンはいったいどちら側なのだろうと思う時がある。
マカディオスはウィッテンペンから直接ひどい仕打ちをされたことがない。
でも、ウィッテンペンはたぶん、その気になればたやすくできるのだ。なんのためらいもなく身勝手な理由で人を残酷にあつかうことが。
オモテの世界をさまよう妖姫は、ここしばらくは打ち捨てられた空っぽの城に滞在していた。
敵意ある存在が入ってこないよう城壁のまわりを魔法のイラクサで囲んである。感知と罠をかねそなえた封鎖の魔法だ。ぶ厚いブーツや鎧ごしだろうとイラクサにだれかが接触すれば痛みが走る。イラクサから離れさえすれば何事もなかったかのように痛みは消える。傷跡も悪い成分だって何も残らない。今は教導者や悪人よけに痛みのていどをかなり強く設定してある。
イラクサの茂みの先には、自然のツル草がからんだ城壁。
城の庭は朽ちゆく文化の退廃と生い茂る植物の精彩が入りまじり、何時間でも物思いにふけっていられる場所だった。
最近あの白いネコを見かけなくなった。どこでどうしているのか、ケガはしていないか、ご飯は食べているかなんて、考えても一向に解決しないことばかり考えてしまう。
心配事から気をそらすように、妖姫の視線は赤黒い実をつけた野生のキイチゴにむいた。あれを煮込んでジャムを作りたい。ナベもビンも責務も何もかも置いてきてしまったけれど。
今は幸せだ。欠けていた己が完全になれた気がする。完璧、ではなくて完全。
妖姫を構成する二人の魔物の思考は今や溶けあって混然となり調和し安らいでいた。
完全なる安らぎがそこにあった。
庭の上空をゆうゆうと飛んでいたカワウが急な吐き気に襲われて飲みこんだ魚をオンゲロゲロと妖姫の目の前に落とすまでは。
妖姫はどんくさくぺたんと尻もちをつく。
落下物はマス。魚だ。
草地の上に魚が落ちているという光景に、妖姫はなぜかとてつもない恐怖を感じたがどうして自分が怯えているのか何一つ心当たりがない。
茶色いマスの口からは何やらビンがのぞいていた。ビンの中身はジャムではなく手紙だ。妖姫は青空と魚を交互に凝視してから、マスの口からビンをおっかなびっくり引きずり出す。
フタを開けようとしたがびくともしない。固くしめてあるというよりは妖姫が貧弱なのだ。持ち方を変えて試行錯誤をくり返しても腕が痛くなっただけだった。しょんぼりとした困り顔で手紙入りのビンを見つめる妖姫。
その表情が一瞬で本心の読めない酷薄な笑顔に変わり、左腕に生成された口が長い舌でビンをからめとる。あんぐりと大口を開け豪快にガラスを粉砕。水かきのついた右手は紐で巻かれた紙を用心深くつまみ上げる。左手の口がぶ厚いガラスと金属のフタをのんびりと咀嚼する音を聞きながら、妖姫は奇妙な手紙を静かに読み進めた。
「……?」
この手紙はたしかに自分に宛てて書かれたものだと直感した。なぜか二人分の名前らしきものが書いてあるけれど。おかしい。だって自分は完全な一人のはずだ。
胸がざわつく。
ヘタな字だがありったけの誠実さで書かれているのがわかる。知らない人物からの必死の訴え。内容はまったく理解できないのに。
頭が痛い。
――気にしなくていーヤツだよ、これは。
ぬるりと意識の分離。
集合体である妖姫としてではなく、個別の存在である魔女の心の声がした。
――私宛の督促状、取り立て人は追い返してやらなきゃね。えぇ……いいの? いーの、いーの。あー……借りたものはきちんと返さないと……だれかと約束したんじゃないの? へーき、へーき。約束なんてしてないって。
勝手に自分だけのものにした。
返す気なんてない。
ずっと独り占め。
待てども待てども手紙の返事がこない。
どうしたんだろうという不安と鮮やかな奇跡への期待で、マカディオスの情緒は綱引き状態。
お店の人に相談しにいったが、邂逅の手紙には返事を強要する力まではないという。力なくお礼を告げてしょんぼりと帰っていくマカディオスを見かねたのか、メジロのお姉さんはアメをくれた。断面の柄がキレイに見えるようにカットされた水色の花模様のアメだ。
手入れがおろそかになって秋の雑草がのびのび育った魔女の庭で、マカディオスはぼーっと空を見上げている。もらったアメはラムネ味。空気をふくんだ軽やかな舌触り。優しい余韻を残して溶けていく。
足音が近づいてくる。
「マカディオス」
少し思いがけない相手に名を呼ばれてふりむく。
やはりフィーヘンだ。部屋の外で彼女を見るのはめずらしい。こうして庭に出てまで話しかけにきてくれるのも。
「セティノアたちの話がぐうぜん聞こえたものだから……。あの人に手紙を出したんだね」
「おう」
返事はまだこない。
「……ウィッテンペンが姿をくらましてすぐに、私も彼女に魔法の手紙を送ってる」
それだけつぶやいてフィーヘンはマカディオスのとなりにしゃがみこんだ。
不器用であっさりとした感情表現だが、なんとなくフィーヘンの心情は伝わってきた。フィーヘンは落ちこむマカディオスをなぐさめようとしている。
不安と期待の綱引きを味わった者同士として。




