43・不朽の歯車
かつて人間であった自分に与えられていた名は忘れた。
ただ、ひどい人間であったことはおぼえている。
そんな器でもないくせに分不相応にふるまった。自分の本質とは真逆の人物像を一日たりとも休むことなく演じ続ける。無慈悲なまでに厳格で。鼻持ちならぬ冷徹さ。隙も弱みも感情も、だれにも見せないように用心して。
自分という歯車だけが強く休みなく動き続けてさえいれば、すべて上手くいくのだとおろかにも信じていた。
領主と村人の板ばさみになる、気苦労の多い家業も。
家を継がせる子どもを得る手段とわり切った婚姻も。
とっくの昔にどうしようもなく壊れた関係の家族も。
村人の希望を満たすために、専門的な技術と知識を要する仕事をこなし。
領主の私腹を肥やすために、この手で厳正に税をとり。
父親の失意を癒すために、優秀な息子でありつづけた。
そこまでやってもけっきょくは自分に期待されていた役割を果たせなかった。
果たせなかったのだ。
シダの胞子が舞う森の中、シボッツの意識がゆっくりと目覚める。
――おはよう。よく眠れた? それじゃメインをそっちに返すね。
艶やかな黒髪と白いふわふわ髪が入れかわる。
禍々しく巨大な一角はつつましやかな小ぶりの二本角へ。
獰猛でしなやかな長身は生命力が希薄な華奢な短躯に。
肉体の変容と同時に主導権の譲渡も完了する。小さな妖姫はコケと草葉で整えられた褥の上で背伸びした。
小鬼は時々眠りに落ちる。夢を見ていた気もする。内容はまったくおぼえていない。
魔女は一切眠らない。小鬼をおびやかす敵が近づいてこないように、ずーっと見張っている。
――見張りが必要なら交代でするのに。そんなことちっとも気にすることはないんだよ。
やわい力加減で右の頬をなで耳朶をくすぐる魔女の左手。
小鬼は目を閉じ、こてりと首をかたむけて、魔女の戯れを心地よく受け入れる。
大切な何かをごまかしているような、うすぼんやりとした予感はある。
それでも今この時が幸せだと心からそう思う。
朝の明るい光をあびながら、マカディオスとセティノアは廃墟の村の探検にくり出した。
道は消え去り井戸は埋まり草地の中に建物の残骸があるだけだ。どこまでも続く混沌たる緑の巨大帝国。木の枝で草をかきわけて頑張って進んでいたセティノアが助けてほしいと音を上げる。
「ほいよ!」
マカディオスはセティノアを肩の上に乗せて進んだ。ずんずんと歩くたびにバッタやキリギリスが草むらから逃げていくのが面白い。
そうして草の大海原にこぎだして盛大な冒険をしても、特にめぼしい情報も物品も見つけられなかった。
「少し離れたところにも廃墟があったよな」
川上にも数件の建物。かなりガタがきているというのに、川の水を受けて回る水車は今もよどみなく動き続けていた。
「……? ?? おかしいでぃす」
「何が?」
「頑丈な石造りの建物が崩れるくらいの時間がたっているのに、壊れやすい木製の水車がここまで良い状態で残っているなど、ぜってーあり得ないことなのでぃす!!!」
「じゃあ、ボロボロの廃墟に新しい水車だけ取りつけたとかじゃねの?」
「なんのために!?」
「……観光用の……オシャレ装置として……」
「観光客なんてどこにもいねーでぃしょうが!」
マカディオスは古い水車を見つめた。
住民がだれもいない滅びた村で、唯一動き続ける生活の名残り。自然に朽ちることも、壊れて止まることすら許されず、過去にとらわれたままでいる。マカディオスの目にはそんな風に水車が見えた。
「それにしてもこの水車は……」
セティノアはやけに真剣な顔になる、様々な角度からなめまわすように水車を観察する。
「ほかに何か気づいたのか?」
「ンハッ!? ……なんでもねーでぃすよ! 少し鑑賞していただけでぃす」
その口からカエルのグミがこぼれ落ちたのをセティノアは必死にごまかした。
崩れかけた水車小屋の内部に入ってみる。
小屋といっても、作業場と居住空間にわけられたそれなりに大きな建物だったようだ。下流側にあった村人の家々と思しき跡地と比べるとこちらの方が立派ですらある。
「はあ、こりゃあ水車小屋ってより、水車邸とか水車御殿って呼びたくなるな」
「マカディオス、あっちの部屋にいきますよ。水車の動力で何か仕事をしていたはずでぃすから」
扉が落ちて外れた大きな部屋をのぞきこむ。
歪んだ支柱。外れた無数の歯車。われた石臼。
その荒廃の中でたった一つ。
木製の歯車だけが動いていた
他の歯車とかみあわず、石臼に仕事をさせることもなく、なんの役目も果たしていない歯車が一つだけ。
「……信じがたいことでぃすわ」
これがどれだけ驚異的なのかマカディオスには知識の面ではピンとこない。
かわりに思ったままに歯車に話しかけていた。
「アンタってめちゃくちゃガッツのある歯車だな。筋肉はなくとも尊敬に値するぜ」
過去にとらわれた歯車が回り続ける音を背に、二人は古い水車小屋を後にした。
水車小屋のさらに上流にも何かが設置されているようだ。ツル草におおわれ、川を横切るようにかかっている。マカディオスはその正体に見当がついた。
「橋だな!」
「水門でぃすの。……こちらも奇妙なほどに状態が良いでぃすね」
セティノアによればこれは川を流れる水を制御する設備らしい。
「村があった時代には、貯水池から水車側に水を安定供給するといった使われ方をしてたんじゃねーでぃしょうか」
貯水池のさらに上流には完全なる深い森が広がり、人の暮らしの痕跡はまず見つからなさそうだ。探検はひとまずここで完了とする。
「川って長いよなあ。どこからはじまって、どこで終わるんだろう」
水の流れを目で追いながら元の場所に引き返す。
プラムの木が視界にうつった。ずっと昔はこのあたりで村人が果樹の世話をしていたのかもしれない。もうすっかり野生化している。ちょうど良い数に花実を間引かれることもなく、病気や害虫の予防もされていない荒々しくも小さな果実。
マカディオスはそれを一つもいで、太い指でわり開く。中の果肉は新鮮だし、虫も入ってない。かじってみる。
甘い。食べられそうだ。
セティノアの分のプラムを手渡す。
「クルガフィカへのお土産にしようぜ」
「そうしたいならセティは止めませんけど」
セティノアの返事にはまだクルガフィカへの不信感がにじんでいたが、プラムを贈ることを反対しなかった。臆病なセティノアが本気で警戒しているのなら彼女と関わるのを断固反対することだろう。
魔女の屋敷のみんなの分に、それからクルガフィカにわたす分。おいしい果実をもぎとろうと手を伸ばし……。
「イテッ!!」
バッと指をひっこめる。親指に鋭いトゲが突き刺さっていた。
目をぎゅっと閉じて思い切ってトゲを抜く。ズキズキする。
「あんぎゃあっ! ……うう、痛い……」
「もう、大げさな……血が出てるじゃねーでぃすか!? ナ、ナイフの刃だってとおさなかったのに!? なぜでぃーす!?」
取り乱しながらもセティノアは、ハンカチをマカディオスの親指に当ててくれる。たしかに出血しているけれど、ちょっと指の上で血の玉がふくれただけだ。すぐに止まる。
「このっ、何の変哲もなさそうなこの木っ! まさか、とんでもなくヤベー代物なのでぃは!?」
「ううん、ちがう……」
ふいのケガのせいでテンションが急低下したマカディオスが、たいそうしょんぼりとした声で否定する。
気を張っている時のマカディオスの皮膚を傷つけるには、竜のウロコを斬り裂くのに匹敵する力が必要だ。でも油断してる時はそうはいかない。屈強な人間のお肌くらいのタフさしかない。熱いココアで火傷しちゃうし、絆創膏をはがす時は痛いし、蚊にも刺されちゃう。
魔女の屋敷にすごすごと一時退却。
マカディオスがダイナの部屋をたずねると、ぬるい声とへろっとした笑顔でむかえられる。ベッドのはしに腰かけている。その手元にはバンドネオンではなく何冊かの本があった。
「あれ? おかえんなさーい、早かったねー。楽しかった?」
「川にいた魔物と友だちになって、近くの人がいない村を探検して、それから指にトゲが刺さった……」
キレイな水と消毒薬で手当した指を見せる。ちっぽけな傷を大げさにお披露目する。普段ケガなんてすることがないから、ちょっとの痛みがあるだけでも調子が出ない。
「ありゃー指かぁ。手のケガって気分が落ちるよねー」
「うん……。あと、お土産持ってきたんだぜ。台所のカゴの中にプラムが入ってるから好きに食べな」
「おー、いいねぇ。ありがと」
フィーヘンにも声をかけたが、どうでも良さそうな短い感謝の言葉だけが返ってきた。彼女が飲食の必要も興味もないことはわかっている。単にマカディオスが人とこういうちょっとしたやりとりをするのが好きなのだ。フィーヘンはあまりマカディオスに関心をむけないが、だからといって拒絶している雰囲気でもない。
ヨトゥクルは台所や食堂でプラムを食べたがらないだろう。ほかの住人と食事中に鉢合わせなんてしたくない、とか考えていそうだ。
なのであとで彼の部屋をノックして直接お土産をわたしにいく。おいしい果物を食べてヨトゥクルもちょっとくらいは楽しい気持ちになってくれるとうれしい。彼の心にかかるモヤがそうかんたんには晴れないことはマカディオスだってわかっていたけれど。
「フフ、私の状況も聞かせてあげよう。この屋敷にあるいくつかの本を読ませてもらったんだけど……期待していたような発見はなかった! ゼロでーす!」
お手上げ! とでもいう風に両手を高く伸ばしベッドにぼすーんと背中から倒れこむ。
「魔物について書かれた本ってのは、ここには置いてないみたい。なんか動植物の本が多かった。オモテとウラで使われている文字が同じってことがわかったのは、ダイナお姉さんの魔物文化研究の小さな成果としよう! あー、でも屋敷ですることがないなー。困るなー」
チラッチラッとダイナがマカディオスにわざとらしさ全開の視線をむける。
だまっていると、ダイナはベッドから身を起こしグイッと顔を近づけてくる。顔面同士が衝突しないようにマカディオスは背中をそらさないといけなかった。
「お願いだよぉ、私も連れてって♡」
ダイナは作戦を変えて、おちゃらけたぶりっ子ポーズでたのんできた。
「んもーっ、ダメだってば! 危ないからダイナは屋敷にいてね、っていう話を聞いてなかったのかよ!」
ダメな大人のお姉さんにプチ説教をかます。
ダイナは特に反省するようすもなく、軽いため息を一つ。
「ミルがどっかいっちゃったんだよ。嫌われる心当たりはないのに」
魔法が使えないダイナのサポートとしてミルがいてくれるはずだった。
「ミルにもなんかあったのか? オレとセティノアについてきてくれたローテも、いつもとちがうようすでさ。オモテに出た後にすーぐどっかいっちまったんだよ」
どういうことか二人で考えこむが、ネコたちの意図も行方もわからずじまいだ。
「うーん。たぶん、ネコたちにはすごく大事な用ができたんだよ。ぜったいはずせないような重要なことがさ」
ダイナの同行についてセティノアとも相談しておこう。
セティノアは彼女の部屋で机にむかっていた。
「あぁ、マカディオス。あの村のかんたんな見取り図を作りましたよ」
「おおーっ! すげえな!」
「粗削りでぃすし、そんなに褒めてもらえるようなできばえじゃねーのでぃすよ」
何かと自分を過小評価しがちなところのあるセティノアだが、どうしてそんなに自信がないのかマカディオスにはわからない。こんなに見やすくまとまったすばらしい地図をサクッと仕上げちゃうのに。
「この村でセティが一番気になるのは、やはりここでぃす」
紙の上を小さな指がトンッと叩く。
「あの水車小屋か」
「推定される古さと水車の技術が一致しない気がするのでぃす。セティは建造物がふつうに好きなだけであって、水車に関する知識はあんまり……そう、たんなるニワカにすぎないのでぃすが……」
セティノアはそんな風に予防線をはってから説明に入る。
「作られたと思われる時期と水車の技術があってねーのでぃす。あのぐらいの年代であれば一般的に普及している水車は下掛け式か上掛け式のはずなのでぃすが……」
水車の下部で水を受けるのが下掛け。
樋などを使って水車の上部に水を落とすのが上掛けだ。
「へえ。どっちがすごい水車なんだ?」
「んんー、なんともいえません。地形や確保できる水量といった条件次第で、そこに適した水車というのは変わるので。……くっ! セティがもっとくわしければ計算や数値を出して教えてあげられましたのに……」
「いや、いいよ」
ひたすら数値のられつを聞かされるなんて立ったまま熟睡確定だ。
「あの水車はどっちなんだ?」
その質問をまってました、とばかりにセティノアがちょっぴり得意げな顔になる。
「あれは胸掛け水車でぃす。それだけでなく、より効率を上げるための工夫が水受けにほどこされていました。水車大工の腕はもちろん、設計士のセンスにもヘンタイ級の熱意を感じますね。あ、ここでいうヘンタイというのはほめ言葉でぃすからね! ……セティはくやしいでぃす!!! マカディオスにこのすばらしさを具体的かつわかりやすく説明できるだけの能力がセティにないことが!!!」
「だからいいってば」
「あの水車の底板と輪板がおりなす曲線がすごくグラマラス機能美なこととか、直線パーツのクモ手とカラミの配置と間隔が合理的コケティッシュであることを万人にもわかるように力説してーのでぃす!!!」
「建物マニアの視点がこわいんだけどっ!?」
べつに詳細なデータまでしりたいとは思わない。むしろざっくりと要点をまとめてもらった方が理解が進む。セティノアとマカディオスは、このあたりの考え方もだいぶちがっている。
思い返してみれば、シボッツは細かいことを気にする性質でありながらマカディオスに物事を教えるのが上手かった。彼なら、あの不思議な水車についてどんな風に説明してくれるだろうか。




