38・まだ形が残っているうちに
パーティは明け方近くにお開きになった。イズムは自宅に帰り、ヨトゥクルもメイブの体を彼のベッドに戻しにいった。
朝日が目に痛い。ものすごい夜ふかしだった。一周回って早起きをしたような気分である。ダイナもまだ寝ているだろう。家に帰るのはもう少し後、ダイナが起きてからの方が良いだろう。
マカディオスは早朝の街を散歩することにした。
早朝の東地区では道端にゴミとゲロと酔っぱらいが落ちていて、歩きづらいといったらない。巨大なパイプオルガンがある中央広場を目指す。
緑にそまった街路樹がならび、小鳥が軽やかにないている。絵にかいたようなさわやかな朝の光景が広がっていた。挫折していった街の人々の想いを受け止める二つのオブジェにも朝日がふりそそぐ。結びつけられた小さな金属やビーズの飾りがキラキラと輝いている。
街の人が自分の夢に見切りをつけた後も、夢はまだそこで輝いているみたいで、マカディオスはしみじみとした気持ちになった。
「ぬおっ!?」
だがそんなポエミーな気分などネコには関係ない。
茶色のネコがマカディオスの頭に乗ってきて、地面に華麗に着地した。
「ローテか!」
街に入る時に別行動になったオバケネコの一匹だ。マカディオスにむかって一鳴きしてからローテはかけ出した。マカディオスは迷いもせずにその後を追う。
足を止めたローテを抱き上げる。石畳の広場を走り抜けてたどり着いたのは、小さな宿屋の裏手。ギンバイカの低い生垣が守っているのは、こじんまりとしたほの暗い緑の世界。ツボミをつけはじめたアジサイの低木。地面のところどころからホタルブクロとスミレが濃淡の紫をのぞかせている。
鉄製のガーデンテーブルとイスもある。そこに腰かけるおばあさんの足元には、太った灰色のネコがからみついていた。ミルだ。
「やめてちょうだい」
老女はなんとかミルを追い払おうとしているが、その抵抗はずいぶんと生ぬるい。生きものを傷つける気はないようだ。やる気のない踊りのように手足を緩慢に動かす。
ローテとミルは、この女性とマカディオスを引きあわせようとしている。
「あっちにいって。もう恐ろしいことに関わるのはうんざり」
このおばあさんは何か恐ろしい経験をしたのだ。
シボッツの飼いネコから逃れようとしている老女は、たぶんマカディオスのことだって歓迎しないだろう。話しかけ問いかけることで、彼女のイヤな記憶をほり返してしまうかもしれない。
「すみません。そのネコのことでお聞きしたいことがあるんです」
低い生垣越しにごあいさつ。存在するだけで威圧感を与える巨躯をなるべく穏やかに見えるようちぢめて、できるかぎりの丁寧さ。頭に茶色いネコを乗せてマカディオスは老女に話しかける。
老女はぎょっとした顔で固まって、何度か目をしばたかせてからそっけなく顔をそむけた。
「……だれなの? 私からは話すことなんてないんだけど。でもちょうどよかった。この灰色のネコを引き取ってちょうだい。エサもやってないのにからみつかれて迷惑だわ」
「このネコたちの飼い主を探してるんです。なつかれてるみたいだから、何かしってるんじゃないかって」
おばあさんはマカディオスをじっと眺めた。
「あなた、変な格好だけどどんな役割なの? 魔物を殺す人?」
「殺してないです」
ユーゴを逆さに持ち上げて、ヤツの頭を大腿四頭筋で締め上げて、脳天を地面に叩きつけたけど。死んではいない。
「何か、しってることがあれば、何でも教えてください。お願いします」
「……私、オモテから外れたような輩に関わるのはイヤなのよ。魔物なんて本当に嫌い……憎い……。魔物になるような生き方をしている人間なんて、どうせとんでもない悪人だわ。魔物になる前にさっさと処分してしまえば良いのに! そうすれば私は……」
おばあさんの眉間に深いシワがきざまれる。苦悶のシワが。
「ごめんなさいね。あなたには関係のないことだったわ。……まだ混乱しているの」
内側で燃え盛る憎悪の熱を逃がすように老女は長いため息をついた。
「……いいでしょう。私のお願いもきいてくれるなら、しってることを話してあげる。このネコたちを引き取って、もう私につきまとわないようにしてちょうだい」
「わかりました。ミル、こっちこっち」
手招きすると、ミルはさもうっとうしそうな顔。重たい体をおっくうそうに動かして、マカディオスの足元までやってきた。屈んでミルを抱き上げる。見た目よりもずっしりしている。
ネコの飼い主の魔物について老女は語った。
その容貌と行動。遭遇と別れの経緯。
老女がもたらした手がかりはマカディオスをおおいに混乱させるものだった。
ふわふわとした幻想的な白い髪や水かきのある大きな手は、まぎれもなくシボッツの特徴だ。でも少女の姿になっているなんて。おかしい。生命力と体温が低そうなゴブリンおじさんだったのに。
「あの魔物は……私を保護するような行動を見せたけれど、不気味で仕方がなかった。話がつうじないの。マトモじゃないわ。こうして人間の街に無事に戻ってこられるなんて思いもしなかった」
マカディオスの思考がグルグル回る。
シボッツはどうなってしまったのだろう。
ウィッテンペンはこの事態を把握しているのか。
「どうなってんだよ……」
「家族ごっこに飽きたんじゃないかしら?」
言葉で心臓がにぎりつぶされたかと思った。
老女が人里近くで解放された時のことをそう表現しただけなのだが。
マカディオスたちのことをさしたわけではない。
「あなた、魔物に興味があるようだけど、そういうことは正答の教導者に任せた方が良いわ。魔物に関わるとロクなことがないし、存在するだけで世の中を悪くするものよ」
会話の最後に老女はそう忠告した。
夢遊病事件の原因となっている魔物の正体。シボッツの身に起きている異変。
二つの情報をひっさげてダイナの家へとマカディオスは戻った。今度は部屋の番号を間違えない。
ダイナとセティノアはマカディオスの帰りを喜んだ。
セティノアは情報に耳をかたむけ、ダイナはマカディオスの朝食を用意してくれる。ちょうど話が終わったころにホットケーキが焼き上がった。焼き色はまちまち。焦げ目の強いものやまだらなものもある。見た目はいまいちだが、あたたかいうちにおいしく食べる。
スクランブルエッグとベーコン状シート、緑黄色野菜カプセルもそえられている。
「ネコの飼い主はシボッツのはずでぃすが、別人みたいになっているのが気になりますね……。便宜上、妖姫とでも呼んでおきましょうか」
「シボッツが姿を変える魔法を覚えたとか?」
「仮にそうだとしても奇妙な言動の説明がつきませんよ。それに……」
左右非対称の体。
女性的な容貌の変化。
ふわふわとした白い髪の一部が黒い直毛になっていること。
「なんというかこれは……すごくイヤな感じでぃすわ。マカディオス。もし妖姫を見つけても、無警戒に近づいてっちゃーダメでぃすよ」
ホットケーキを食べながら頷いた。
「シボッツもウィッテンペンもこの街にはいねーのでぃすね?」
夢遊病事件を引き起こしている魔物はお隣さん。
ネコの飼い主と同行していたおばあさんも、街の外でわかれたといっている。
「ミルとローテとも合流できました。セティたちがここにとどまる理由はねーでぃすね」
マカディオスはホットケーキを食べ終えた。
「ヨトゥクルは自分の力に困ってる。好き勝手暴れてる魔法の力をしずめる方法を見つけねえと。セティノアはオレより魔法にくわしいよな? どうすりゃいいか、意見を聞きてえ」
「それって隣の部屋の人でぃすよね?」
セティノアは心底イヤそうな顔で壁を見つめた。首を横にふり、声をひそめる。
「気に障ると壁を叩くような人でぃすよ? イヤでぃすね」
「気持ちはわかるぜ。腹が立ったにしろ、あんな風に伝えるのは乱暴なやり方だと思う。ただ、ヨトゥクルは魔法の暴走のせいでここ数ヶ月ちゃんと眠れてねえんだって」
「ンェエ……、だから大目に見てやれと? マカディオスは強いからその人のことべつに怖いって思わねーのかもしれませんが、セティみたいに弱く見える者はよくイジワルな人に八つ当たりのターゲットにされるんでぃすよ。事情があるにせよ、そんな風にピリピリしてる人にわざわざ関わりたくないでぃす」
身を守ろうと警戒すれば感じが悪いとまわりに言われ、無防備でいてイヤな思いをした時は隙をさらしたせいだとまわりから責められる。セティノアはそう感じている。
「オレはそんなこと言わねえよ。隙をさらした方が悪いってのは、まあネコとかトンビみたいに言葉もルールもつうじねえ動物相手だったら、そう言うかもしれねえけど」
ダイナはこれをブラックユーモアとして受け取ったようだ。体をくの字にして笑っている。マカディオスとしては他意のないそのままの意味の言葉だったのだが。
まだくっくと笑っているダイナをスルーし、セティノアとの話を続けた。
「セティノアがヨトゥクルと会わねえのはとうぜん自由だ。ただオレはヨトゥクルと関わるつもりだから、もうちょっとここにいてえ」
「そうでぃすか。……部屋をかしてくれているダイナはどう答えますかねぇ?」
マカディオスとセティノアの視線がいっせいにダイナにそそがれる。
「ダイナ! ダメだって言ってやってくだせー!」
「いや! そこを頼むぜ! オレ、家のお手伝いとかめいっぱい頑張るし、ウラの世界の話も好きなだけ教えるからさ! な?」
「ンフフ、どうしようねぇ」
ダイナは魔物に興味があるのだ。ウラの世界からきたマカディオスが、魔物のヨトゥクルと親しむのをジャマする理由は何もない。
結局、すぐに街を出ようというセティノアの意見はとおらなかった。
「隣に訪問するならセティもいきますよ。ウソも一目瞭然でぃすし、もしも悪意ある魔物だった時にすぐに逃げ出す手段は必要でぃしょう?」
セティノアは自分を弱いと思って生きている。臆病で慎重だ。そこが良いところだなと思う。
同じ物事に直面しても、自分と違う考えを持つ仲間がいるのは面白い。どちらの意見が正しいとか間違っているかはあまり気にならない。出来事の受け止め方は人それぞれ、ということをありありと実感できるのが楽しいのだ。
前に間違えて叩いたヨトゥクルの部屋のドアを今度は彼に会うためにノックした。
ほんの少しドアが開く。
「いらっしゃい」
メイブの姿でいた時とは声が違う。これが本来の声なのだろう。
部屋の主は人間とはかけ離れた姿へと変貌していた。ヒツジの形に似た不気味なモヤを頭にかぶった、バランスの悪い二足歩行をする獣。
「前は人の形をたもっている時間がもう少し長かったんですけどね」
この姿では食事の買い出しもままならない。飲まず食わずでも一向に餓死する気配はない、とヨトゥクルは真夜中の微風のように暗く静かな笑いをふーっと吐き出した。
「もはや眠らなくても生きるのに支障はないのだと思いますが、一人で部屋でじっとしているといつの間にか眠りに落ちていることがあるんです」
「魔法の暴走をおさえるコツを教えてくれる人がいるんだ。会ってみるか? 隣に住んでるダイナも心配してる」
ヨトゥクルは困っている。
自分の力だけで解決できそうにない。
「……ええ。僕にそう勧めるのであれば」
臆病な気質のセティノアならこんな風に即断したりしない。どうなるかわからないことは不安だ。先延ばしやキャンセルにしようとあーだーこーだと知恵をしぼるはずだ。イヤなことが起こらないように。
ヨトゥクルを頷かせたのは好奇心や社交性ではない。マカディオスのお節介を全面的に感謝しているわけでもない。その首を縦に動かしたのはあきらめ。どうせどうなってもかまわないという自暴自棄の境地。イヤなことをさける気力さえも失っている。
ヨトゥクルの部屋にはゴミがたまっていた。床に散乱したビリビリのチラシ。ホコリをかぶった弦楽器のケース。多くの楽譜が収納された棚には使いかけの松脂の塊が放置されている。
「自分以外の魔物と会うのははじめてです。ずいぶんと人間の形を残してるんですね」
フリルとレースで彩られたボンネットがセティノアの頭をふんわりと包んでいた。ちょっぴりとがった耳がかくれて、こうしているとただの女の子に見える。お姫さまみたいに豪華な服が目立つけれど。
「……こういう発言が失礼なものでないと良いのですが。僕は魔物社会の常識やタブーを何もしらないので」
「魔物全体で共有してる社会通念なんてねーでぃすよ」
「そうですか。まぁどうせ僕はオモテの常識にも疎いんですけどね」
両手を申し訳なさそうにちぢめた。爪の表面がガサガサに荒れている一方で神経質なほど短くきっちりと切りそろえられていた。
ヨトゥクルは来客のおもてなしができるような状態ではなかった。ダイナは自分の家からティーポットやら徳用サイズの合成チョコレートやらを持ちこんで好き勝手にくつろいでいる。マカディオスはみんなの分のお茶とお菓子をくばってからヨトゥクルの隣に座る。
「まず考え方からでぃす。眠りを介しての入れかわりに対処するよりも、魔法の暴走が起きにくくする方が根本的な解決になります」
先生ぶって姿勢よく胸を張りセティノアの話がはじまる。
「感情が昂ってたりドロドロに渦巻いていると望んでもないのに魔法が発動するもんでぃす。ヨトゥクルはまず心の重荷を外すのを意識すると良いんじゃねーでぃしょうか」
「良かったな! めっちゃ簡単な解決策じゃねえか!」
「そうなんだ。手はじめにこのチョコをお食べー。安っぽい味で癒されるよ」
セティノアはマカディオスとダイナを険しい表情で見てから、ヨトゥクルの方へとむき直った。
「そう言われても、って気持ちはわかりますよ。すぐに気楽になれる人ならそもそも暴走していないと思いますから」
「……気の持ちようを変えたところで、ダメだった現実は何も変わらないですよね」
長らく日の目を見なかったヨトゥクルがようやくつかんだ称賛。一度手にしかけた成功へのチャンスは、思いもしない中傷によって汚名と屈辱で上書きされた。ヨトゥクルの本当の願いはこの受け入れがたい出来事の改変だ。魔法の力をもってしても太刀打ちできない事実に苦しんでいる。もちろんマカディオスの筋肉でも解決できない。筋肉は無力だ。
「起きちまったことは変えられなくてもよ! これから起きていく現実なら考え方と行動次第でいくらでも変わってくだろ! たとえば、過去にヒョロヒョロボディだったことは変えられなくても、スクワット、クランチ、プッシュアップを続けていきゃあ、いつか屈強ボディになるしよ」
力強さと優しさをともなった熱血さわやかな声で、ポージングをしながら良い感じのメッセージを伝えようとしている。
だがヨトゥクルはマカディオスの言葉よりも、ピクピクと動くゴリモリの筋肉のインパクトに意識のほとんどを持っていかれていた。しかたない。
「んん? ピンときてない顔だな。体の柔軟性とストレッチで例えた方が良かったか?」
「フフ。たとえ話が独特すぎて、逆に混乱をまねいちゃうあるある……」
安物のチョコを味わっていたダイナが口をはさむ。
「この街は人の心をすり減らしていくよね。この息苦しさはべつにここにかぎった話でもないんだろうけど」
音楽の才というある特定の能力が社会的に大きく評価される。仮にダイナや人間時代のヨトゥクルが鉄棒の大車輪を百回連続でしようと、高速反復横跳びで真空波を発生させようと、760aの住人としての評価は何一つ上がらない。
「魔物の体なら人間社会から離れても生きていける。ここから離れたら君は少し気が楽になるかもしれない。お逃げよ、完全にすり潰されちゃう前に」




