26・災厄は竜の姿をしていた 後編
手足の先だけが白い黒猫が水かきがついた手にすりよった。オバケネコのフローはシボッツとは生前からの付きあいだ。他の三匹、ローテとミルにフラウアも。四匹のネコは同じ日に産まれて、同じ日に死んだ。
「おつかれさま。……申しわけないけど、お礼にわたせるオヤツがないんだ」
まだウィッテンペンの隠れ家に身をよせている。魔物にとっては、食事も水も人間時代をなつかしむ嗜好品でしかない。こういう事態では食べものの用意は後回しになりがちだ。
長旅を終えたフローにおいしい報酬がないなど前代未聞のネコへの不敬であったが、長年の友はシボッツの不手際を許した。
冒険心あふれるフローは遠く離れた場所まで放浪し、シボッツの関心を引きそうな情報を持ち帰ってきてくれる。フローがぺたぺたと歩き回れば、床に浮かび上がる光る肉球のメッセージ。
その報告を読みとき、シボッツはいても立ってもいられなくなってウィッテンペンの部屋へとかけこんだ。
「ふひひっ……。そんなにあわててどうしたの?」
机にむかっていた魔女は書きものの手を止めて顔を上げた。ノートの内容は隠れ家にうつってからの日々のシボッツのようすだ。あまりキレイとはいえないクセのある字でびっちりと書きこまれている。
「そうせかさなくたって、マカくんたちを救出する計画は進めてるよ。何度も説明したけどさ、準備が整うまではここで大人しく私と暮らすしかないからね」
ウィッテンペンはそういうものの、一向に動きのない日々にシボッツは焦燥感をつのらせていた。少なくともウィッテンペンが直接救出に関する準備をしている姿は見たことがない。戦い好きの仲間への連絡など見えない部分で行動してくれているのかもしれないが。
魔女と小鬼が手をこまねいている間にオモテ側で事態が動いた。
「子どもたちがつかまっている教導者の施設をイフィディアナが襲撃した」
たいして驚くようすもなくウィッテンペンは熱意のない相づちを打つ。
「しーちゃんのとこの飼いネコは優秀だね。へーえ、生みの親と感動のご対面とかドラマがあったのかな? もう助かったんだ。それじゃ後はイフィディアナの仕事じゃない?」
「イフィディアナは目的を達成する前に引き上げてしまったようだ。マカディオスは自分が竜の子だとはしらないし、状況的に救出が難しかったのかもしれない。だから俺たちがイフィディアナと協力すれば今度こそ……」
「ふーん。マカくんは教導者にクソ装置つけられてたでしょ。外れたの?」
「……いや、それはまだ……。でもっ……」
シボッツの言葉をさえぎるようにウィッテンペンがたたみかける。
「竜が動いてるならそのうちどうにかなるでしょ。押しつけられた役目をおりるチャンスが回ってきたと思えばいい。いい加減、君は小さい連中の幸せに心をくばってばかりいないで自由になりなよ」
「……見捨てるわけには」
「だれのことを?」
ウィッテンペンの問いかけの真意がつかめず、困った顔で問い返すような視線を送るしかなかった。
「だから、君が本当に救済したいのはだれ? ってこと」
考えるまでもない質問だ。シボッツは即答する。
「マカディオスとセティノア」
ウィッテンペンの威圧的なため息。机の上のノートを閉じて乱暴に端にどかす。でもけっしてページが破れたりしないよう注意を払って。
「そりゃそうかー。はいはい、私もお供いたしますよ」
気ままなイフィディアナに会うのは難しいが方法はある。
妖精市場で買った便せんで紙飛行機を折る。縁でつながった相手に必ず届く手紙。そういう魔法がかけられている。
この方法で何度も竜へ手紙を送っている。返事は一通もこないのだが……。
魔女のホウキで紙飛行機を追えば白い竜のもとへたどり着くという寸法だ。でもここで問題が一つ。
「相乗りする時って背中にしがみついてもらうか、前に抱きかかえるかだけど耐えられそう?」
ちょっと想像してみたがダメそうだった。短い間なら気をまぎらわせて恐怖をおさえこめそうだが、長時間の飛行に耐える自信はない。ウィッテンペンの長い爪は、シボッツの心臓をムリやり引きずり出したりしないとわかっているのに怖くなる。すらりと背の高い美麗な女の魔物。その共通点から、どうしても過去に自分の心と体を痛めつけていった者を連想してしまう。
「じゃ、ホウキの下に君が乗れるカゴを吊るそう。それなら平気?」
「うん……。ありがとう」
コクリと頷く。
こんなにも気遣ってくれているのに、ウィッテンペンを恐怖の対象と認識してしまう自分の心が憎かった。
もし、この心の枷がとれたなら。そんな時がいつかくることをひそかに望んでいる。
涼しい風が吹き抜ける谷。白ユリの群生地で憩うイフィディアナの姿があった。
「あらあら。また会ったわね。奇遇だわ」
こちらの存在に気づいた竜の第一声はそんなのんきなものだった。
シボッツは雑談の間もおしんで単刀直入に用件を切り出した。
「マカディオスたちの救出に微力ながら俺も加わりたい。情報提供や後方支援で役に立てると思う。足手まといにならないようにするから」
せっぱつまったシボッツに対して、イフィディアナの返事はおっとりとしたものだった。
「マカディオス?」
「アイウェンとお前の子だッ! ……まさか、俺が出した手紙にも目を通してないのか?」
返事がこないと気をもんでいたが、読まれもしなかったなんて。
「あらっ、もしかしてもう孵化しているの? それは早すぎて困ってしまうわ……。ねえ、ちっぽけな子守鬼さん。ぜんぜん話が見えてこないわ。救出だとか情報提供だとか、いったい何をいってるの?」
「……オモテ側で正答の教導者の関連施設を襲撃してきただろう。ヤツらにさらわれた我が子を助けにいったんじゃないのか?」
竜はその大きな瞳をパチパチとしばたかせた。
「ええ、教導者のところにお邪魔してきたわ。でもマカディオスって子がそこにいたなんて、私はちっともしらなかったのよ。用事でちょっとうかがっただけだもの。人間たちは私にお土産まで持たせてくれたわ」
イフィディアナは満足そうに腹をなでた。
竜がもたらす災いから逃れるためオモテの人間は仲間の中から犠牲者を差し出している。イフィディアナは生贄に対して特別な思い入れがあるようで、どれだけ暴れていても生贄を喰らえばすぐに引き上げていく。
イフィディアナに事情を伝える。
竜に説明をする小鬼の後ろで魔女は沈黙と警戒の姿勢を崩さなかった。
「言いにくいことを報告してくれてありがとう。正答の教導者に子どもをさらわれるなんて悲しいことよね。たしかに残念だけど、そんなに自分を責めないで子守鬼さん。気にしないで良いのよ」
気にしないで良い?
子どもがさらわれているのに?
穏やかな口調で語られる言葉にぞわぞわと鳥肌が立つ。
「保存用の卵をもう一個わたすわね。最初の卵のことはずいぶん可愛がってくれたようで私も嬉しいわ。そこまで大事にされて、きっとあの子も幸せだったでしょうね。今度の卵は台なしにならないように上手く保管しておいてね。はい、それでこの話はおしまい」
「……お前、何をいってるんだ」
イフィディアナは笑みを引っこめ、迷惑気味に頭をふった。
「そんな風に睨まないでちょうだい。自分の思ったとおりに話が進まないからといってロコツに不機嫌になるなんて、立派な大人の態度ではないわよ。あなた、自分のしたいことばかり周りに押しつけて、どういうつもり? 教導者の施設を更地にするのは簡単だけど、そこから特定の命を無傷ですくい上げるのは私にとっては難しくてめんどうで必要性を感じない雑事でしかないのだけれど」
良い感じに話がこじれてきた。
魔女はマジメな表情をたもちながら、しめしめとばかりになりゆきを見守っている。
ウィッテンペンは、キツくにぎりしめた手をわななかせているシボッツの後ろ姿をながめる。
ここまで価値観の違う相手に自分の倫理観にそった行動を求めても意味がないだろうに。そんな冷淡な視点で竜と小鬼のやりとりを静観していた。
この手の相手に感情をぶつけても仕方がない。それよりも強大なイフィディアナを使って自分の目的を達成するためにどう働きかけるか考えた方が得策だ。自分ならそうする。
心が通じあわなくても、相手を利用することはできるのだ。
シボッツはそういうところが甘いというか、道徳的すぎるというか。愚かだなぁと魔女は思っている。そんな愚かさもふくめて愛おしい。
守りたい存在のために恐ろしい竜と対峙している小鬼の愚かさに、うっとりもする。ウィッテンペンの両親は、魔女の嫌疑をかけられた娘を群衆から守る素振りさえ見せなかったというのに。
両親の気持ちはわかる。我が子をかばうことで生じる損得を瞬時に計算し、自分たちにとって最適な行動を選んだまで。ウィッテンペンも逆の立場なら似たような行動をとっただろう。
そういう苦さをしっている。
この人のそばにいたいと思う。
ずっといっしょにいられたら良いのに。
彼の甘い弱点に自分の苦さをそそいで、ふさいで、とけあい、おぎなったら。
竜に食い下がるシボッツと、小鬼の訴えをうっとうしそうに聞き流すイフィディアナ。
興味のないフリをしながら魔女はそのようすを冷徹に観察し続けた。
どうしてマカディオスに興味を示さないのか。
わざわざ卵を託したのはなぜか。
保存用とはどういうことか。
シボッツはイフィディアナの思惑を微塵も理解できていないようだったが、竜の言葉を聞くうちにウィッテンペンは察しがついた。
ひどい親だ。さすが災いの竜。ニヤリと笑ってしまう。保身と無関心だけの魔女の両親よりも、ずっと狡猾な手口。ウィッテンペンはイフィディアナたちの発想を心の中で称賛した。
たしかにそれは、私もやりたい。
こんな芸当はイフィディアナにしかできないことだし、仮に可能だとしてもシボッツから絶縁されるのは間違いないので実行する機会はないだろうが。
平行線の言いあいの末に竜が笑って吐き捨てた。
「あなたって、できそこないのふ卵器のよう」
なかなか強烈な罵倒ではないか。
イフィディアナに会いにいくと決まった時から、ウィッテンペンはチャンスの到来を待っていた。
これで飼い主を侮辱した相手に噛みつくという流れが出来上がった。これならシボッツに疑いと軽蔑の目をむけられずに、魔女の悲願を成就させられるだろう。
心が通じあうことのない、だれもが恐れる白い竜をちゃっかり利用して。
ウィッテンペンの行動は迅速だ。
ホウキに飛び乗り、手をつかまれたと認識する間も与えずシボッツを避難させる。
わざとイフィディアナのそばを無意味に旋回してから攻撃をしかける。獣の牙の形をした魔力の投射。竜にはかすり傷にもならないような、ぬるい攻撃。
それでも魔女の本心を見抜けない者には、執着対象のシボッツへの罵倒に反応して衝動的な行動をとったようにしか見えないだろう。
それでいい。
竜の爪や尻尾が届く間合いをわざとかすめていく。本気で怒らせるとめんどうだ。シボッツにまで流れ弾がいくとマズイ。地割れや竜巻などを起こされてもシボッツの身が危険だ。
なので、うるさい羽虫ていどの不快感を与えるにとどめる。
虫を追いはらおうとするような竜の反撃。ムチのようにしなった白い尻尾が自分に迫るのをウィッテンペンは満足げに見ていた。イフィディアナとの本気の死闘となればこちらも余裕がなくなるが、この程度の一撃なら対処はたやすい。
尻尾の軌道をしっかり見切った上で、ウィッテンペンは狙いすまして当たりにいった。
イフィディアナはすでにこの地から飛び去り、魔女と小鬼だけが取り残された。
なかなか上出来だ。
右腕が使いものにならなくなった魔女は、去り際のイフィディアナの言葉を思い出し、こっそりとほくそ笑む。
――気持ち悪い。こんなことに私を巻きこまないでちょうだい。もういやだわ、あなたと関わるの。
と、ウィッテンペンに。
――かわいそうに! とんでもない女に好かれたものね。
そういわれたシボッツは単なる捨てゼリフくらいにしか思っていないようだった。
「……ウィッテン!」
あの悲壮な声が自分にむけられたものだと思うと、心臓の高鳴りがおさまらない。
今だけは魔女のことだけを考えてくれている。
ウィッテンペンは浮き立つ気持ちをおさえて、左手をぎこちなく動かして地面に転がった帽子をひろう。その帽子で顔を隠した。
「ごめんね」
何に対しての謝罪なのか。
短い言葉は便利だ。足りない分は聞き手が勝手に想像してくれる。
「私がよけいなことしちゃったから、もうイフィディアナには協力してもらえそうにないね」
「違うッ、あの竜と協力しようなんて思った俺の落ち度だ! ……ウィッテンがこんな……、こんなケガをするなんて……」
わざと重傷を負ったなんて口が裂けても言えやしない。この秘密は地獄の底まで持っていくことにしよう。
「私は大丈夫。なんとか心臓は無傷で済んだけど……次の満月はまだ先だね。これじゃマカくんたちを助けにいけないよ」
「そんなことしなくていい!」
残った左手を小さな両手で包まれた。恐怖も忘れて触れてくれた。
帽子の裏側で、目を見開いて笑ってしまう。
「ウィッテンは何も気にせず休んでて。あの二人なら俺がなんとしてでも助け出すから心配しなくていい」
笑みが引く。
そうか。これでも諦めないのか。
なら、こちらも強硬策に出るしかない。
「……しーちゃん、一人でなんでもかんでも頑張りすぎるのはムリだよ。自分でもわかってるんじゃないかな。そんな力は自分にはないって」
左手に力をこめて、シボッツの手をにぎる。
「でも聞いて。子どもたちを救う方法が一つだけ残されてるよ。しーちゃん、自分の非力さがむなしくなったことはない? 無慈悲な力、戦いの経験、恐怖を感じない心。思うようにはいかないこの世界を少しでも思いどおりにするために、そういうものがほしいって感じない?」
シボッツが息をのむ音が聞こえた。
「私の心臓を君の体の中に入れて。そうすれば私の力を好きに使えるよね。だれにも邪魔されない強い存在になれると思わない? 大事な子どもたちだって教導者から取り戻せるよ」
たじろいで身を引こうとする小鬼の手をつかんで放さない。
「ふぃひひ……! 何を戸惑っているの? 次の満月がきたら何もかも元どおり。君のそばには可愛い子どもたちと……ついでに私もいる」
逃げようとしなくなったのでシボッツの手を解放する。
自由になった左手。魔女は躊躇せず自分の心臓をわしづかみにしてぐぽりと体内から取り出した。
「ほら! 君にあげる。特別だよ?」
魔物各自の体の中身はどれだけ詳細に人体をイメージできるかでリアルさに差がある。これはだいたいその魔物がどれだけ人の命を奪ってきたかに比例する。ウィッテンペンの心臓は非常になまなましく鼓動していた。見た目だけなら人間の心臓と遜色ない。
「……」
脈打つ魔女の心臓を小鬼はそっと優しく手に取ってくれた。
帽子の陰からこっそり覗き見る。
小鬼の胸が開いていく。固い蕾がゆっくりと花開くようだと魔女は思った。
彼の体内にはお菓子の生地みたいなふわふわのもちもちが詰まっていた。その奥に大切にしまわれている、ころんとした可愛らしいフォルムの心臓。ヒビだらけではあるけれど。
背を丸め、魔女の心臓を小鬼は胸の中に収めていく。
ふわふわと甘やかな空間に、そぐわしくないグロテスクが入りこむ。
異物感にしかめられたその顔を魔女は嬉々として凝視した。
胸に開いた亀裂が閉じる。シボッツの体の中では、二つの心臓がなかよくならんでいることだろう。
「これでいい……?」
「うん。……起き上がるのに手をかしてくれる?」
重傷を負ったこの状況だ。
心臓と体が分離していても体そのものは維持できるが、たいした力は出せない。
お人好しな小鬼は絶対に魔女に手をかす。断るわけがない。
シボッツはウィッテンペンにさっと近づく。
手どころか、その小さな全身でささえになろうとしてくれた。
彼の優しさがとても嬉しい。
これが自分だけのものになると思うならなおのこと。
「なっ……」
二人が触れあった箇所がどろりと溶けあう。コーヒーとミルクがまざるように、二人で一人になっていく。
「こわがることはないよ。この世のありとあらゆる悪いものから守ってあげる。私以外の」
「ウィッテン!?」
次の満月まで大人しくしている気もないし、心臓を託しただけで終わりにはしない。
魔女は小鬼とずっといっしょにいたいのだ。
危険がないよう、しっかり守ってやらなくては。
自分のことより他者を優先するシボッツが、ウィッテンペンの気持ちをないがしろにしたことがある。魔女はそれが嬉しかった。
シボッツが一番ないがしろにしているのは彼自身。自分の存在が彼に極めて近しくなっているという手ごたえを感じた。
「ひひっ、嬉しいよ。なんで、こんな……。幸せ、夢みたい。どうして……。大切にするからね」
儚くも妖しく艶やかなその声は、もはやウィッテンペンのものでもシボッツのものでもなかった。
こうして魔女も小鬼もいなくなり、後には一人。
正気をなくした妖姫が一人。




