24・わくわく矯正生活
矯正学舎で社会適応学習中の生徒としてのマカディオスの生活がはじまった。
あわただしく食事と身支度をすませて、朝の八時に指定の部屋にむかう。正答の教導者にしたがうと思うとムカムカするが、ヤツらの手口をしるためと心にいい聞かせてガマンする。
昨日は施設の案内だけだったが、今日からは本格的な勉強がはじまるという。
部屋にやってきたエマが指導鞭をピシッと伸ばす。
「おはようございます。オモテの住人となるためのこの機会を活かせるか否かはあなたの努力次第です。励んでください。そして規則として事前に伝えておきます。迷える民を正しく導く目的ならば、正答の教導者は一般人に暴力を振るうことが容認されています」
「ふーん。だれに? どういう理由で?」
小鬼の家ではそんなことは絶対に許されなかった。
だれがだれに対しても。
「質問の際は手をあげて指名されてから発言してください」
マカディオスは素直に手をあげなおしたが、エマがいっこうに指名してくれないので質問はけっきょく宙ぶらりんのままだった。
「まずはテストからはじめましょう。今のあなたがオモテの住人として理想的な状態からどれだけ乖離しているかを数値化できます。最初のテストではどれだけ点数が低くても罰則はありません」
次からは罰則があるということだ。
「適応してください。まわりから求められた成果を出すこと。それがオモテで生きる者の義務です」
マカディオスはすかさず手をあげた。
まわりとは具体的にどの人物をさすのか。
その義務の根拠となるのは何か。法か道徳か慣習なのか、あるいは気分次第のものなのか。
「ではテストを開始します。制限時間は30分です。あぁ、時計の見方はわかりますか?」
あげられた手が目に入っていないようすでエマは一方的に話を進めていく。
「問題ないようですね。では開始」
突き出された白紙の答案を見て、エマは己の過ちを認めて謝った。
「これは……。あぁ、すみません。私の確認不足のせいであなたにムダな時間をすごさせてしまいました。あなたに基礎的な識字能力があるという前提で組んだ教育課程は根本的な見直しが必要です」
まったくそういうことではないのだが、エマはマカディオスに一から丁寧に文字を教えることにしたようだ。
ズレている。何かがすごくかみ合わない。
「聞く能力と話す能力には目立った困難は確認されませんね。文字の理解を進めながら実技を中心に学んでいきましょう」
作品をしあげたり、運動場でスポーツしたり、自力で調べものや計算をして結果を発表するのかな、とマカディオスは思った。そしてにっくき敵組織につかまっているというのに、ちょっぴりワクワクしている自分をいましめた。
「無貌の作家よ。我らは善良なる市民です。かくあるべしと努力します。どうか我らの命を取り除かないでくださいますよう」
「何それ」
「正答の教導者の祈りです。授業の前に唱和する決まりです」
奇妙な祈りがはじまった時点でイヤな予感はしていた。マカディオスの期待は外れる。エマが指導したのはこんな内容だった。
日常的な挨拶をするタイミング。
人の目を見る練習と見すぎない練習。
各シチュエーションにおける適切な声量の判断。
ある発言が、冗談か皮肉か誤解か悪意あるウソかの見わけ方。
うんざりしてしまう。こんなこと習うまでもなくだれもが当たり前にできることばかりだ。
新鮮な知識や技術に触れるといった期待が消えた今、猛烈な眠気にとらわれる。
机にもたれて気持ち良くうとうとしていたところに、バチンと突然不快な刺激。腕の表面で何かが弾けた。
指導鞭の先端を電気でバチバチさせたエマがマカディオスを見下ろしていた。
「居眠りを禁じます」
「この機械、居眠り防止機能ついてねえの? まあ不真面目な態度にもなるぜ。すっげえ退屈」
指導鞭の電気が炸裂した。
「まずあなたの話し方は立場と状況に不適切であると指導します。あなたは教えを受ける立場にあります。指導者には敬語を使いなさい。本心はどうであろうと社会的に望ましい挙動をとれるかどうかが問われるのです」
敬語。ちょっと丁寧なしゃべり方だ。
セティノアの口調は独特なのでそのままマネするのはマズい気がする。
以前、月夜の森で荒ぶる年寄りの魔物にシボッツが丁寧な言葉で話しかけて落ち着かせていた。相手によって話し方を変えるのはなんだか奇妙な気がして落ち着かないが、シボッツもしていたことならきっと間違いではないと思えた。
「OK、わかりました。オレもわざと問題を起こしたかったんじゃなくて、気づいたらいつの間にか寝てたんです。教えてる内容がつまらないし、全然意味があると思えないから」
意外にもエマはマカディオスの言葉を受け止め、しばらく静かに考えこんだ。
「そうですか。あなたはそのようにとらえているのですね。……ここで教えているのはとても実用的で有益な内容だと私は認識していますよ」
エマの表情にはわかりやすい変化は何もなかったが、その頭の中ではカチカチと思考が高速で動いているようだ。
「私は矯正学舎の卒業生です。それまでだれも教えてはくれなかった、人間に求められる機能の数々を私はここで得ることができました。それらの知識と技術は私が生きる上で感じてきた多くの困難を緩和する役に立ちました。……五歳の誕生日を迎えるまで私は一言もしゃべりませんでした。単語、文法、発音の習得に自分が納得できるまでずっと黙って学習にあてていたのです。私は自分が最初にしゃべった言葉を覚えています。幼稚な話し方で無意味な遊びに誘ってきた大人に『非常に不愉快です。ただちにやめてください』と」
「えっ、そうなのっ? オレも最初にしゃべった言葉を覚えてる気がする! よろしく、とかそんな感じのことを言ったん……です! あ、もしかしてほかの人は普通そういうの覚えてない……んですか?」
巨大でぶ厚い竜の卵の殻をぶち破ってすぐ、マカディオスは立ってしゃべって考えることができた。
だが当然エマはそんな事情はしらない。
「個人差は大きいですが……生後半年ほどで喃語がはじまり、そこから不完全ながらもじょじょに言葉を習得していくという成長過程が多数派のようです。あなたの話からすると言語学習の面で私と性質が近いのかもしれませんね。身体動作については共通点はありますか。私が日常生活に支障なく体を動かせるようになったのは生物と物理の学習が進んでからです。人体の構造や重力の理解が深まるのに比例して私の身体能力は向上していきました」
「うーん。オレは外で遊ぶのとか最初から得意だった。そうだ、このふざけた尻尾を外してくれるなら、オレの格好良さを見せてあげられますけど? どうですかね!?」
「マニピュレーターはあなたにとって有益な装置です。過度な力を抑制する補助器具ですから。自由がほしければ社会適応の勉強に励むことです。個人のスコアを向上させなさい。それがあなたの生きる術です」
淡々としたエマの言葉はおおいに反抗心をまねくものではあったが、彼女が矯正学舎の卒業生と聞くと少し印象が変わってくる。
無意味に感じられる奇妙で退屈な授業。
正答の教導者側は本当に助けになるであろうことを教えようとしていたのだ。教導者の目線ではマカディオスはウラから救出された罪なき者。なんとかオモテの世界にしがみつけるように教えようとしている。
もっともマカディオスはオモテで生きることが至上の価値とも思っておらず、マニピュレーターとおさらばしてさっさとウラに戻りたいというのが本願なのだが。
たぶん、テストを白紙で出さなければマカディオスの習熟度にぴったりの授業を受けられたのだろう。きっと興味をそそる知識を得られたはずだ。
あんなことしなければよかったと自分のおこないを反省するも、今度は別の視点の考えが浮かんできた。
正答の教導者は完全な味方というわけではない。自分が何をどれだけ理解しているか、素直に明かさなかったのは慎重な行動ともいえる。そんな風にも考えられる。
未来はとても複雑で、過去の行動がどんな良いことや悪いことに繋がるかを正確に予想するのは難しい。難しいけれど、時間は一秒たりとも止まることなく流れていくんだから大変だ。
「……えーっと。つまらねえとか意味がねえとか言ったの、良くなかったと思います。ごめんなさい。可能なら授業の続きを受けたいです」
反省する本心半分。
従順なフリをしておこうという打算半分。
「謝罪は不要です。それは私の精神状態になんら影響をおよぼしません。あぁ、しかし今のやりとりであなたの社会性の一部が判定できました。感謝と謝罪ができる個体はそれだけでもスコアが高いです。ほかの成績が優秀でも感謝と謝罪を実行できない個体はウラ側に落魄しやすい傾向が見られます」
スコアだの落魄だのはよくわからないが、小鬼の家を襲ってきたあの陰険な男は絶対に謝らせてやる。
そのために必要を情報をかき集め、計画を立て、実行する。必ずだ。
大人しく机に着き、エマの話にマジメに耳を傾けながら、マカディオスはふつふつと復讐心を燃やしていた。
その日の昼食は食堂でカツカレーを頼んでモリモリ食べた。当然大盛りである。摂取カロリー目標などはムシした。食事なんてものは数値よりも、気分よく食べられる量を自然に食べていればいいのだ。
購買では小さなクッキーを買って、ベルトのポケットに入れておいた。
エマからカードを渡されており、食堂やお店の係の人にそれを見せると何やらピッと操作して、マカディオスは食事にありつける。この手順をすっぽかして勝手にご飯を食べるのはダメらしい。
オヤツがないかと期待して三時ごろに食堂にむかう。エマだって間食を推奨していたし。
昼食の時間帯もすぎて夕食にとりかかるまで若干の猶予。今は従業員の休憩時間なのだろう。食事提供のスペースは閉まっていた。イスや机のある食事スペースは開放されているが、利用している人の姿はまばら。
ガランとした食堂はどこかよそよそしい。
マカディオスは外にうつることにした。木とも金属ともキノコともつかないナゾの素材のベンチがいくつか設置されたちょっとした広場。
次の授業開始まで間があった。時計は持っていないが時間の見方は習って覚えたし、鐘でもしらせてくれるので問題ない。
脚を肩幅に開くと、一歩を踏み出して深く腰を下ろす。ランジ。自重筋トレの一種である。
スクワットよりも負荷は軽いが、今は筋肉をデカくするより体幹やバランス感覚を強化したい。全力を出そうとしても機械に阻止されてしまう。
「元気だなー」
食堂の従業員ジョージが呆れ半分の顔で筋トレをながめている。
「今でこそこんなだが、俺も若いころはぶっとい力こぶしてたんだぜ。……まぁ体鍛えんのはともかくケンカッ早いヤツなんてのは低スコアって相場が決まってんだけどよ。でもよ、若ぇころの俺はそりゃすごかったんだ」
それからはじまるジョージの武勇伝。
マカディオスは筋トレを続けながら聞いてみた。代わり映えしない同じエピソードが何度もしつこくくり返される。それでも昔話を語る顔に大盛りの幸せとほんの一さじの切なさを感じとれて、マカディオスはジョージの話を中断させる気にはなれなかった。集中して聞きもしないけれど。
ふいに、ある足音が耳に届く。
マカディオスは動きを止めた。
離れた場所からでもわかる。
憎い者が発する気配、声、仕草。
全身の筋肉も神経も、一気に闘争の態勢をとる。
ヤツがのうのうと過ごしていることが不快で不快でたまらない。
いた。
小鬼の家を襲ったアイツだ。
メカニカルなメガネをかけた長身の男。
ここで感情にまかせて襲いかかるのは一番マズい手だ。
金属の尻尾はまだ外れていない。矯正学舎で敵を調べる機会も失うだろう。
怨敵を前にしても手も足も出せない。
だから、せめて、念じた。
(転べ! 空から鳥のフン落ちてこい! 急な腹痛が起きてトイレいくの間にあわなくなれ!)
当たり前だが反応はない。
(バーカ! ズボンのチャック開いてんぞ!!)
反応はない。そもそもこれはウソである。離れた位置からもちゃんと閉まっているのが見える。マカディオスは視力もよかった。
呪詛もむなしく、男は悠然と建物の中へと立ち去っていった。
「ずいぶんと恨めしそうに睨んでたな」
いつの間にかジョージの武勇伝語りは止んでいたようだ。
「ま、お前さんにも色々事情はあるんだろうけどよ。教導者さんは恨みを買いがちな仕事だからな。ユーゴさんだってそんなに悪いところばかりの人間じゃねぇんだ。普段は別んとこで働いてるけど、こっちにもたまに寄るのよ。クソ魔物のせいで命を落とした親友の墓参りにマメにいっててさ。情のある立派な人だよ」
ジョージがなだめるようにマカディオスの腕を叩く。
その言葉に素直にうなずく気にはなれず、かといってその手を荒っぽく振り払う気にもなれなかった。
あの男はユーゴというのか。それがわかっただけでも上等だ。
部屋での一時。背中のストレッチ中にその声は聞こえてきた。
「マカディオス。無事でぃすの? ひどいことされてませんか?」
椅子に座った姿勢で太ももを抱え背中を丸めたマカディオスに、ポケットの鳥笛がささやいた。
臆病なセティノアはずっと姿を見せず、今もアリンコのナイショ話みたいに小さな声しか出していない。
「隙を見て転移陣でウィッテンペンの屋敷に逃げられますよ。いつ決行します?」
仮にこっそり監視されていたとしてもこの姿勢なら口の動きを隠すことができる。マカディオスが自室でストレッチをするのはよくあることで、教導者からとがめられたことはない。規則は多いもののここは牢屋ほどは厳しくないのだ。あんまり激しい動きで筋トレをしようとすると、うるさいとか外でやれと注意されるが。
「体をあやつる尻尾がまだ外せてねえ。脱出はコイツをどうにかしてからだ。それに……」
あの男、ユーゴをボッコボコにして謝らせるチャンスを虎視眈々とねらってもいる。
「ヤツらの拠点にいる方が尻尾を外す方法も探りやすいでぃしょうけど……。マカディオスが苦労しているのにセティはずっと隠れひそんでいるのは申しわけなく感じます」
セティノアの方こそ、そんなせまい場所でじっと潜伏していなければならないなんてつらいだろうに。マカディオスなら耐えられない。太陽の下のさわやかな風が吹く中、走り続けたりスポーツをしたくてたまらないのでは。
そうたずねてみる。
「いえ、ちっとも。気ままなお散歩はともかく、汗かいてゼーゼー走るのは願い下げでぃすわ。心配ご無用。セティのような熟練の引きこもりにかかれば、飲まず喰わずで百年隠れているのも余裕なのでぃす」
魔物のように飲食が不要な体だったとしても、マカディオスには百年間せまい場所でじっとしているなんてとてもガマンできそうにない。
人それぞれ得意なことは様々だ。
「食事しなくても死なねーのでぃすが、この前ポケットに入れておいてくれたクッキーは美味しいくちょうだいしましたよ。でも教導者に気づかれそうならムリしないでくださいね」
うん、と答えてマカディオスは次のストレッチにうつっていった。
矯正学舎での生活も一週間がたった。
午後三時すぎ、晴れた日にはマカディオスはベンチのある広場に顔を出す。
「マカ坊、ゆで卵と揚げたイモがあっけど喰うか」
「食べたい! やったー、ありがとうっ!」
マカディオスはジョージや食堂の従業員たちからたびたびオヤツをもらっていた。
食べっぷりも愛想も良いので、おじさんやおばさんはマカディオスに食べものをあげたがった。最初は遠巻きに見ているだけの者が多かったが、幼少期にウラの魔物にさらわれ異様な成長をとげた人間だと誤解されていることから、同情と善意をさそったのだろう。
「魔物どものメシはロクなもんじゃなかったろ。オメーはこれから、まっとうな人間のメシをたらふく喰っていかにゃならねぇ」
「……」
こちらを思いやる温かな笑顔でそういわれると、どう反応していいかわからなくなる。せっかくの食事もノドを通りにくくて仕方がない。
そんな気まずい空気がどうでも良くなるような、突然の。
爆音、崩壊、粉塵、悲鳴。
マカディオスの動きは反射的なものだった。破壊の発生地点を見きわめ、周囲の人を自分の体でかばう。
そして無意識に地面や近くの壁面を警戒して視線を走らせていた。そこから金属の虫が飛び出してくるんじゃないかと思って。
崩れた建物と煙のむこうで顔も見えないだれかが叫んでいる。
「竜だ!」
「イフィディアナが出やがった!」




