Breed [Hollow] Blooms 6
ロサンゼルスのダウンタウンにある安アパートの最上階。
その部屋にあるのは薄汚れたユニットバス、備え付けの家具は扉のないドレッサー、大きく裂けたソファ、そして電源の入らない冷蔵庫だった。
――最初のギャラで買うしかねえか
そう胸中で毒づいたレイは、その冷えるどころか明かりすら点かない冷蔵庫の扉を叩きつけるように閉める。
気付かないまま昨日飲み物を冷蔵庫に入れた自身が悪いというのは分かっているが、それでも朝は冷たい飲み物が飲みたかったレイの怒りの矛先は冷蔵庫に向けられていた。
しかしどう足掻こうと、冷蔵庫が動いていない事実に変わりはない。
ソレに舌打ちをしたレイはソファに掛けたままにしていたトラッカージャケットを羽織えい、荷物をポケットに詰め込んで家を出る。
レイは壁に弾痕が残る我が家から、歩いて20分ほどのH.E.A.T.の社屋へと歩いていく。
途中飲料水を買おうとした自販機には何かで激しく殴られた跡が残っており、レイは自身が引っ越してきた地域の内情を深く理解させられた。
擦れ違う人々は硝煙と麻薬の匂いを漂わせ、そしてその目は獲物を求めているように見えた。
そうは言ってもこの数時間後には最新にして最強の兵器を手に入れるレイにとっては、たかが強盗程度では杞憂にもなりはしない。
そして冷たい飲み物を諦めるために深いため息を何度かついた頃、レイはH.E.A.T.の社屋へと辿り着いた。
より多く触られているせいか色が変わり始めているドアノブをひねって、レイは金属製のドアを開けて中に入る。
かつてアメリカ1のD.R.E.S.S.部隊と言われていたフルメタル・アサルトに所属し、今でも優秀な傭兵の1人であるジョナサン・D・スミスが代表取締役であることから大した期間も置かずに大手へと成長したH.E.A.T.の社屋受付は、受付と小汚いベンチが並ぶだけの空間だった。
「おはよう、ミス・チードル」
「おはようジュニア、今日から正式所属だったわね」
レイは受付に座っている恰幅の良い黒人の受付嬢にそう声を掛けると、チードルは人の良さが窺える笑みを浮かべて挨拶を返す。
チードルは所属前から施設に出入りしていたレイにとっては数少ない顔見知りであり、チードルは7歳の頃から出入りしていたレイのことを気にしていた数少ない人間だった。
「ああ、だからもう子供扱いすんじゃねえぞ。それでジョナサンから何か聞いてねえか?」
「出勤したらまず第1会議室まで来るようにって仰ってたわよ。場所は分かる?」
「突き当たりだろ? 問題ねえよ」
そのレイの社会人となったとは思えない態度にチードルが肩を竦めていると、レイは手をひらひらとさせながら指定された第1会議室へと向かって歩みだす。
その決して長くない距離を歩く間にも代表取締役であるジョナサンに特別扱いされているレイへは厳しい視線が送られ、レイはそれらの鬱陶しさに思わず舌打ちをしてしまう。
レイがジョナサンの庇護下に入って得られたものは掛け替えの無いものではあるが、ジョナサンの鬱陶しさはたとえようもないほどに不愉快なものだった。
それを説明したところで理解は得られないことを理解し、そもそもジョナサンとチードル以外との接触をなるべく避けていこうとしているレイにはどうすることも出来ない。
やがて辿り着いた1という金属プレートが付いている扉をレイは乱暴にノックする。
入室を許可する返事の代わりに、ドアノブに付いたランプの色が施錠の赤から開錠の緑の変わったのを確認したレイが何の気なしにその扉を開けると、何者かが室内からレイへと強く抱きついてくる。
それを咄嗟に殴り飛ばしそうになるも、見覚えのある赤毛にレイは舌打ちを堪えながら握り拳を解く。
「おはよう、レイ」
「……なんでアンタが居るんだ、アネット?」
吐き気と苛立ちを堪えながら、レイはやんわりと抱きついてきたアネットを引き剥がす。
自身にどんな価値があるのかは分からないが、ジョナサン達の考えを理解しているレイは2人と少しずつでも距離を空けておきたいと思っていた。
しかしアネットは確かにここに居て、レイはその不愉快さを隠すように取り繕った笑みを浮かべていた。
「アタシも入隊したのよ、レイが心配で――」
「それだけのために? 意味分からねえ」
レイはアネットの入隊の理由を知りながらも、あくまで知らなかったように振舞う。
18歳という法的にも自立出来るようになる年齢まで、レイは余計なことをしてあの家に連れ戻されるのはゴメンなのだ。
自身の反応に少し不満そうなアネットからレイが目を逸らすと、既に会議室にはネイビーの上等なスーツに身を包んだジョナサンと、ダークブラウンのミリタリージャケットと黒いカーゴパンツに身を包んだ金髪碧眼の大男が居た。
「これで全員が揃いましたね。これから説明を始めるので席に着いてください」
レイはジョナサンに促されるままに席に着き、アネットはレイの隣に座って断りもなく腕を組もうとするがジョナサンからの咎めるような視線に気付いてやめる。
レイの篭絡は必要事項ではあるが、そのためにH.E.A.T.を侮辱するのは許さない。
ヘンリーが率いたフルメタル・アサルトよりも、遥かに多くの人間達の上に立つこととなったジョナサンにとってH.E.A.T.は誇りなのだから。
「早速ですが自己紹介をお願いします。そうですね、今日から所属する2人からお願いしましょうか」
ここに集められた理由も説明しないままジョナサンは笑顔で3人にそう要求し、レイと金髪碧眼の男が怪訝そうな表情を浮かべていると、何も考えていなかったのであろうアネットが元気よく立ち上がって2人の方へ顔を向ける。
「アネット・I・スミスです。どうぞよろしく!」
こざっぱりとした美少女の人好きのする笑顔に金髪碧眼の男は顔を緩め、レイはゆがめてしまいそうな表情を必死になって堪える。
アネットが座ったのを確認したレイはゆっくりと立ち上がり、どこへ見るでもなく自己紹介をする。
「レイ・ブルームス、どうぞよろしく」
あくまで端的な自己紹介をしていたレイは、金髪碧眼の男の値踏みするような視線から逃れるようにパイプ椅子に腰を掛ける。
その男がどこまでレイの事を知っているかは分からないが、ジョナサンに無条件で目を掛けられている自身のことを良くは思っていないだろうとレイは考えたていた。
「ヴィクター・チェレンコフだ、お前たちと違って実戦経験もある。頼ってくれていいぜ?」
チェレンコフと名乗った金髪碧眼の男はそう言いながら、アネットへ熱い視線を送る。
その男は180cmをゆうに越えているだろう大柄の体は、鍛え抜かれたいる雰囲気をレイに感じさせていた。
「自己紹介が済んだところで今日の趣旨を説明しておきましょう。3人には小隊を組んでもらいます。戦闘スタイルなどの適正から鑑みて、隊長にはレイ・ブルームスに就いてもらいます」
そのジョナサンの突然の言葉に、レイとチェレンコフは驚愕から顔を歪めてしまう。
レイは自身の隊長としての適正の低さを理解し、チェレンコフは未だ実戦経験のない新入りがその立場を就くことを理解できずに居た。
「聞いてねえし、俺は実戦経験があるミスター・チェレンコフが推させてもらうぜ」
「ええ、言ってませんよ。社の情報を部外者に話すわけないじゃないですか。それにこれは適正を鑑みた社の決定です、覆る事はそうそうありませんよ」
ジョナサンはレイの咎めるような視線を無視して、はっきりとそう言いきった。
H.E.A.T.を侮辱するようなアネットの行動は許さないが、自身の悲願を果たすために和を乱すことに躊躇いはない。
そんなジョナサンの歪み始めている思考に、レイは顔を引きつらせてしまう。
――面倒ごとを増やしやがって、クソッタレが
チェレンコフから向けられているキツイ視線を感じながら、レイは胸中で毒づく。
間違いなくチェレンコフはレイが隊長に推薦されたのを縁故によるものと断定し、自身への風当たりはとても強いものになるだろうとレイは断定する。
しかしどんな環境でも強くなければ生き残れない。
害虫や獣が住まう密林で、水の1滴もない砂漠で、人が人以下の畜生に成り下がる紛争地帯で戦う傭兵が仲間との軋轢程度で折れてはならないのだ。




