Start The [Ghastly] Farewell 4
ようやくバングルから手を離す事が出来たレイは深いため息をつきながら、自身に熱い視線を向けるエリザベータの隣へと腰を下ろした。
「すまないレイ、ついカッとなってしまって……」
「次がねえのはアンタもだぜ、イヴ? ああいうプライドだけの連中は好きにさせときゃいいんだよ」
申し訳なさそうに詫びてくるイヴァンジェリンにそう言いながら、レイはブラックフレームの伊達メガネを外す。
その伊達メガネはレイの気に入りのブランドの物であり、わざわざ雇用主が武器発見用のスキャナーを組み込んだ品だった。
自身の嗜好を汲み取ってくれた点は感謝しかないが、そのカスタムがレイにブランドの一ファンとしてどこか情けない気持ちを抱かせていた。
「軍属に何か思うところでもありますの?」
「元軍属の傭兵はプライドばかり高くて面倒くさかったんだよ。ああいう感じの、なんとなく分かるだろ?」
ネクタイを緩め、シャツの第1ボタンを外しながらレイはエリザベータの疑問に答える。
代表取締役であったジョナサンに無条件で気に入られていたという理由があったとはいえ、レイよりも多く戦場を知っていた元軍属の傭兵達のレイへの風当たりはとても強かったのだ。
狙った誤射、足りない補給物資、1人だけ離された見張りのポイント。
その何度も死に掛けた日々を思い出したレイは、思わずうんざりとしたような表情を浮かべてしまっていた。
「さてレイ、そしてジェーブシュカ。この依頼をどう考える?」
晶が1人で退室したのを見届けたイヴァンジェリンは、首筋の刺青に触れてアブネゲーションを起動させながら2人にそう問い掛ける。
アブネゲーションの赤い視界にはロンバードの言葉の全てを録音したデータと、屋敷のセキュリティのソフトのアイコンが並んでいた。
イヴァンジェリンはアイコンを目視認証で操作して、屋敷を施錠してから赤い視界を消す。
アブネゲーションは戦闘をするための鎧を持ってはいないが、この屋敷自体がアブネゲーションにとっての鎧であるとも言えた。
「何も考えなければ自軍の戦力を殺された事による報復、もしくは国防軍からの離脱者に対する制裁、そして考えたくはありませんが――」
「嫉妬狂いの化け物である俺の排除、ってところか」
エリザベータがハーフアップに纏めた金髪の毛先を玩びながら紡いだ言葉の最後を、レイはシニカルな笑みを浮かべて平然と続ける。
レイはプロジェクト・ワールドオーダー阻止の際に重傷を負っていた。
その過去がイヴァンジェリンをそうさせたのかは分からないが、完治した後もレイの仕事のほとんどはフリーデン商会から送り届けられる新兵器のテストだった。
その結果としてレイとイヴァンジェリンは姿を現す事はほとんどなく、イヴァンジェリンを手中に収めたい者達は屋敷を襲撃するしかなかった。
そしてその襲撃者達をことごとく排除しているレイは、あらゆる人間達にとって邪魔な存在となっていた。
その事実を理解していても納得が出来ているわけではない、イヴァンジェリンとエリザベータは思わず顔をしかめてしまう。
いつか取り返しのつかない事になってしまうのではないか、そう思えてしょうがないのだ。
そんな懸念に2人が頭を悩ませていると、応接間の扉が乱暴に開かれる。
面倒な客人は既に帰ったはずだとレイが扉へ視線をやると、そこに居たのは晶を連れ立ち、オフホワイトのシャツとブラウンのスカートを纏い、胸に小さな銀の十字架を輝かせるフィオナ・フリーデンだった。
フィオナはイヴァンジェリンがフリーデン商会に注文していた商品の納品のついでにサマーバケーションを利用してリュミエール邸に逗留していたが、国防軍仕官の突然のアポイントメントに別室で待機させられていた。
「待たせて悪かったな、退屈だった――」
「イヴァンジェリンさん。さっきの依頼、今からでも断ってください」
暑苦しいとばかりにシャツの襟に指を入れているレイの言葉を無視して、フィオナはイヴァンジェリンへと言い放つ。
その言葉に意図を持ってフィオナを隣の部屋に居させていたイヴァンジェリンは面白いとばかりに口角を歪め、知っている情報と食い違っているフィオナの様子にレイは思わず問い掛けてしまう。
「何か分かったのか? フィオナのことでもねえし、直接会話したわけでもねえのに」
「あんなの会話しなくたって分かるよ、あの人達はレイ兄さんに手に負えない"隠している何か"を片付けさせたいだけ。それでレイ兄さんが死んじゃっても知らないし、レイ兄さんがなんとか出来たらラッキーって、そんな無責任な考えでお願いしてたの」
フィオナは対象と2、3言葉を交わすだけで、対象が自身にとって信用出来る人間か理解出来る。
それがフィオナの父である、ダミアン・フリーデンに教えられていたフィオナの能力。
会話時の相手の声、相手の表情、相手の視線。
そういったいくつもの情報から、相手を信じられるかどうかの評価を下す。
その能力は自身の立場に苦しめられて来たフィオナの処世術であり、自身を守るための防衛手段でもあった。
そしてそれはダミアンの考えているようなテレパス染みた才能ではなく、あくまで経験とデータから導くものである。
そのためフィオナ自身が相手の何かを知らなければ、フィオナは相手を見極める事は出来ない。
しかしそれは逆に言ってしまえば情報が1つでもあり、その情報の提供者が交渉に長けてさえいなければ相手の言っていることの真意を把握することはフィオナには容易いという事だった。
何か考えを持って依頼の撤回を申し出たフィオナの様子を余所に、レイはどこか拍子抜けしたような表情を浮かべていた。
「こっちは金で命を売って、あっちはそれを少なくはない金額で買う。わざわざ死んでやるつもりはねえけど、傭兵なんてそんなもんだろ?」
「でもわたしはフィオナさんの仰っている懸念は理解できるわ。うちに失ったD.R.E.S.S.の代わりになりえる社長とレイ君が居るとはいえ、1000万ドルという大金で国防軍の部隊を動かさずにうちに来る理由は怪しいじゃない」
どこか思考停止したようなレイの言葉に、晶はフィオナにソファへ腰掛けるように手で促しながら意見する。
10代の内に普通の人間では稼げない金額を稼いでしまったイヴァンジェリンだからこそ気にしていないが、1000万ドルは民間の企業でなくても膨大な金額だ。
それに軍事衛星のアクセスコードという国家の機密まで交渉材料になっているこの交渉を、軽く考えることは晶には出来るはずもなかった。
そんなレイが生きてきた戦場とはかけ離れた日本で生きていたからこそそう考える晶の意見に、フィオナは強く頷いて肯定し、イヴァンジェリンはそのもっともな意見を否定する事は出来ない。
しかしオブセッションの影すら見つけられていないイヴァンジェリンにとって、軍事衛星のアクセスコードは喉から手が出るほどに欲しい物なのだ。
「依頼は請けてしまいもう引き返すことは出来やしないが、何者かによるこちらに対する威嚇行為を感知した瞬間に任務を終了しよう。アクセスコードは欲しいがレイの身に何かあっては意味がないというのも分かるからね」
「チャンスであることには変わりはねえしな。俺は金が欲しい、イヴはアクセスコードが欲しい。もしこれが俺を殺すための偽の依頼だって言うなら、逆に殺してやらなきゃ一生片付きもしねえ。なんにせよ避けられやしねえってことだな」
「……随分自信があるのね」
「自信だけで戦争は出来ねえよ。ただやらざるを得ない状況になって足掻くのは、1番最悪のパターンだって教えられてきた」
シャツの中に隠してあるメダイをシャツの生地越しに撫でる晶に、レイはあくまで飄々とした態度を崩さずに応える。
ブルズアイ、ゴリニチ、サイネリア、オブセッション。
名前を知っているだけの民間軍事企業から送り込まれた傭兵達、家族同然の時間を過ごしてきた育ての親まであらゆる存在達。
自身の命を狙うその全てを殺したからこそ、今の安寧を得られたレイを動かし続けているのは、そんな価値観からだった。
「調査はポイント付近からUAVを飛ばして行う。レイ達には私が操作するUAVの映像をモニタリング、そして対象の把握をして欲しい」
「あいよ、UAVはどれくらいで用意できる?」
「明日の昼には用意できる。あらゆる妨害を考えてテキサスには車両で向かう。運転手はレイ、私、アキラの順番で交代だ」
「でしたらわたくしがレイさんの代わりに運転手を務めますわ」
距離にして約1300マイル、もしくは約2000km。
その続けて運転したことのない距離にレイと晶がうんざりとした顔をしていると、黙り込んでいたエリザベータが急にそう申し出た。
レイはやむを得ずにロシアでエリザベータ1人で逃走を続けさせたが、今回はエリザベータがこちらに付き合う義理などないはずだと眉間に皺を寄せる。
「……観光じゃねえんだぞ」
「それくらい分かっていますわ、それでも確かめないといけないことがありますの」
「個人的にか、それとも委員会の人間としてか?」
「レイさんがD.R.E.S.S.に関っている間はそのどちらもがわたくし自身ですわ。それに戦闘を視野に入れているのであれば、レイさんへの負担は出来る限り避けるべきではなくて?」
「でも――」
「でもも何もありませんわ。この事案は委員会としても見逃す事が出来ない案件であり、わたくし個人としても自分の"恋人"の安否に関る見逃す事が出来ない案件なんですの――ああ、それと免許がどうとか、うるさいことは仰らないでくださいまし」
あまりにも強硬なエリザベータの姿勢と、ロシアでの意趣返しのような言葉にレイは思わず舌打ちをしてしまう。
唯一戦闘が出来るレイの消耗は避けるべきなのは事実であり、リュミエール邸から出てしまえばイヴァンジェリンが無防備になってしまう以上、その申し出がありがたいのは事実だった。
元々交渉上手という訳ではないレイは、判断を仰ぐようにイヴァンジェリンと晶に視線をやる。
レイの負担を減らすべきだと言う点は同意出来る晶は何も言わずに肩を竦め、イヴァンジェリンはため息をつきながらエリザベータの透き通るような碧眼を見つめながら口を開く。
「……安全は保障しかねるが構わないかい?」
「ええ。わたくしにはドクター・リュミエールが防衛策を用意していないとは到底考えられませんの」
「いいだろう、UAVとテキサスでの拠点を今日明日の内に用意する。テキサスに着き次第拠点に向かい、翌日ポイントへ向かって調査を始める。何か質問は?」
そのイヴァンジェリンの言葉に晶は間髪おかずに手を挙げ、イヴァンジェリンは頷いて晶の発言を許可する。
「持って行く物資のリストをいただけますか?」
「それは拠点のポイントと共にまとめて今日中に用意する。リストを渡し次第、用意出来ている物から車に載せておいて欲しい」
「あとアテネ行きのチケットも用意しておけ、フィオナは明日中に帰す」
「え、嘘!?」
今の今まで蚊帳の外で放置されていたフィオナは、驚愕から思わず大声を上げてしまう。
テキサスへの道中をどう過ごすのかを考えていたフィオナにとって、それは考えても居ない事態だった。
「嘘じゃねえよ。ガキを連れてく訳にはいかねえし、ここに1人で残す訳にもいかねえだろ」
「ガキって1歳しか変わらないじゃない!」
「歳云々は置いておいても俺は傭兵、フィオナはただの学生。足手纏いを任務に連れて行く気はねえよ」
「あ、足手纏いって――」
「言い方は悪いけど、レイ君はフィオナさんのことが心配って言ってるのよ。分かってあげて」
怒鳴り返そうとするフィオナを晶はそう言って宥め、レイはその晶のフォローに舌打ちをして乱暴にソファの背もたれへ体を預ける。
仕事以外で気に入らないことがあればすぐに舌打ちをし、吐き出す言葉のほとんどが皮肉。そんな分かりやすい天邪鬼であるレイの真意を把握する事くらい、晶にはたやすかった。
そしてフィオナは世界の武器の流通を掌握しているフリーデン商会の令嬢であり、たとえ予定を変更してでも1人にする訳にはいかないのは紛れもない事実。
そんなフィオナの護衛をレイにさせていたイヴァンジェリンが、そんな事を理解していないはずがなかった。
「明後日の出発に合わせてお嬢さんのチケットは用意しておこう。しかし空港にまで送っていく暇はないため、こちらで護衛を用意しておく」
「……イヴァンジェリンさん」
「そんな目をしてもダメだよ、コレー。ジェーブシュカですら役割がなければ同行を許さなかったんだ、君を特別扱いするわけにはいかないよ――アキラ、私はラボに篭もる。何かあれば呼んでくれ」
そう言ってフィオナが向けてくる縋るような視線を切捨て、イヴァンジェリンはパーソナルソファから立ち上がって応接間を後にした。
フィオナとエリザベータ、晶、それぞれが抱えている懸念を余所にその足取りは軽い物だった。




