Drunk It [Poison] Blood 13
「失礼します」
晶がノックの後にそう告げて入ったその部屋は、相変わらずブラインドが下ろされたままで薄暗い社長室だった。
その社長室には黒い革張りのプレジデントチェアに腰を掛ける昌明と、そして今しがた社長室に招かれた晶の2人しか居ない。
――人払いをする必要がある内容ってことね
会計報告や修繕申告など何でもない用事であれば、来客に合わせて茶を淹れる加奈子・飯塚の不在に晶はそう結論付けた。
「急に呼び出してしまってすまないね」
「いいえ、わたしもご報告すべき事がありましたので好都合でした」
「報告ってのは例のことかい?」
「はい。後日報告書を仕上げて提出させていただきますが、その前にと思いまして」
「聞かせてもらうよ。ただその前に、まず僕の話を聞いて欲しい」
そう言いながら昌明はプレジデントチェアの背もたれに預けていた体を起こす。
その案件は会議に出席した全員が知っている事であり、昌明もその中の1人だった。
しかし昌明の口から放たれた事実は、それとは大きく違う物だった。
「無断欠勤を続けていた紅蝶・劉君が、横浜の路地裏で遺体で発見された。そしてフィルマン・ボヌール氏が昨晩から行方知れずになっている」
数週間見ていない部下の名前、そして不正請求幇助の疑いを掛けていた容疑者の名前。
そして晶にとって現実離れした2人のその末路と現状が、晶を混乱させていく。
「……申し訳ありません。理解が追い着かないので、何を仰りたいのかハッキリと仰って下さい」
嫌な予感、虫の知らせ、女の勘、そう言ったものの全てを越える追い立てられるような焦燥感が晶の胸に広がっていく。
晶は胸に広がり出す焦燥感を誤魔化すように、右手でシャツの生地越しにメダイに触れながら昌明に続きを促した。
「分かったよ。単刀直入に言う――第1総務部の怜・此花が容疑者である可能性が高い」
「社長は此花君が劉さんを殺害してボヌール部長を誘拐していると、そう仰っているのですか!?」
晶は昌明の告げた言葉と、それを断定しているような態度に思わず怒鳴り返してしまう。
しかし昌明はその怒鳴り声に不愉快そうに眉をしかめるも、それが当然であるような態度を崩したりはしない。
「劉君が本格的に無断欠勤を繰り返し始めたのは怜・此花が第1総務部に配属されてから。そしてボヌール君が行方不明のなったのも、例の調査の資料を纏め終えた昨日。あまりにもタイミングが良すぎる。その上ここ数週間の間、超高精度な情報奪取が行われていたのを情報部が感知した。もう疑わない理由は無い」
「そんなの無茶苦茶すぎます! 劉さんが無断欠勤を繰り返し始めたのはブルームス君が原因で、第1総務部の業務の多くをわたしと此花君と花里さんでこなせるようになったからです! そして例の不正に関する調査もわたし1人で進めていて此花は何も知りません!」
「しかし昨晩のブルームス君のアリバイは巽君が証明した上に、横浜駅で怜・此花も目撃されている。ハッキリ言って彼が1番疑わしいんだ。混乱させてしまったのはすまない、それでも――」
「待ってください、今なんと仰いました?」
昌明の告げた言葉に血が引いていくように熱が冷めていくのを感じながら、晶は昌明の言葉を遮る。
コートを羽織ったまま暖房が効いた社長室に居るというのに、晶の体は得体の知れない寒気から震えていた。
「ブルームス君のアリバイは巽君が証明し、横浜駅で怜・此花の目撃証言を――」
「殺人と誘拐の可能性が高いだけで何も確定していない案件を、平気で公安以外の外部に洩らしたのですか!?」
産業スパイなどという小さな存在ではない、明らかに手に負えないそれらを掻き乱している。
確かにそう言った昌明に晶は頭を抱えてしまいたくなる。
それは国防軍の公安部隊のような調査のプロではない晶であっても、それがあってはならない事実だと理解出来るのだ。
「そうだよ。調べるためには必要な事だったからね」
「社長はご自身がなにをされたか分かっておいでなのですか!?」
「必要な事だった。同じ事を繰り返させないでいおくれ、鴻上総務部長」
晶がなんと言おうと取り合おうとすらしていないと思えてしまう昌明の態度に、俯いて歯を食いしばる。
部下が殺人の容疑を掛けられているという事実、実の父のあまりにも浅はかな考え。
焦燥感、苛立ち、恐怖。それらが合わさった不快感が晶の胸中で暴れ狂い、そして父への失望感を育てていく。
「そこまで君が彼を信じるのであれば、彼を公安に突き出すのは待とう。そして君が彼の無実を証明してみたまえ。楽ではない仕事だけどいつも通りの仕事だろう?」
「……公安がそれを許すとでも?」
「褒められた行動じゃないのは分かるけど、少しの間押さえておくことくらい訳ないさ。僕だって社内の人間を犯人に仕立て上げたいわけじゃないんだよ」
「……了解しました。失礼します」
もうこれ以上、話していたくない。
そんな思いから晶は昌明の顔を見ずに一礼して社長室を後にした。




