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7. 義母の策略

 寒い冬の晴れた日に、マリアの魂は天に上った。

 近しい親族だけを呼んだ葬儀や諸々の手続きも終わり、アイリスはマリアのベッドに突っ伏してぼんやりと過ごしていた。

 なんだか、力が抜けてしまったのだ。

 マリアの命がもう長くないことは、一年ほど前からわかっていた。

 本当にかぎられた短い時間だ。結婚して安心させようかとも思ったが、結婚となれば色々と準備で忙しくなる。それではマリアのそばに居られる時間が限られてしまう。だからアイリスはマリアのそばにいることを優先して、誰の申し出も受けなかった。

 その間、伯爵代理の仕事も心配かけないようにこなした。

 自分は大丈夫だとマリアに思ってもらえるように。


(力が出ない……)


 マリアが亡くなった今、アイリスはひどく無気力になっていた。

 日々の雑務はなんとか執事のフィルに協力してもらいこなしているが、まるで自分の魂も抜けてしまったようだ。


(お父様も、お母様も、もういない。私これからどうすればいいの)


 背後で小さく扉が開く音がした。

 侍女のシーナが様子を見に来たのだろう。アイリスは起き上がることもせず声をかけた。


「シーナ、食事ならいらないわ……」

「ああ、かわいそうなアイリス! こんなに元気をなくして」

「……え!?」


 予想外の声にアイリスは慌てて起き上がって振り向いた。

 そこにいたのはフロスト子爵家の息子、ジャスティンだった。


「ジャスティン様……どうしてここへ?」

「決まっているじゃないか! マリア殿を亡くして嘆き悲しんでいるアイリスを慰めるためだよ。応接間に通されたけど、いてもたってもいられなくて」


 まるで演者のように悩まし気に長い前髪を書き上げたジャスティンが近づいてくる。

 女性の私室に勝手に入って来るなんて非常識にもほどがある。しかもここはマリアの部屋だ。アイリスは自分の部屋に入られるより嫌な気分になった。

 アイリスは怒りを顔に出さないようにこらえ、立ち上がって頭を下げた。


「ご心配おかけして申し訳ありません。準備をしてまいりますので、応接室でお待ちくださ……!?」

「無理をしなくていいんだ、アイリス。辛かっただろう。僕は君を愛しているんだ。怖がらないで、僕に身をゆだねて」

「は、離してください! ちょっと……何するんですか!」

「いだ!?」


 ばちんと派手な音がして、ジャスティンがよろめいた。

 アイリスは急に腕を引かれて抱きしめられそうになり、咄嗟についひっぱたいてしまったのだ。

 やってしまったという気持ちもあったが、それより怒りが先にわいてきた。

 何が愛しているだ。


「お母様の部屋でよくもこんなことを……! 出て行って!!」

「……ふん、生意気な女め。少し優しくしてやったら付け上がりやがって!」

「きゃっ……!?」


 頬を抑えていたジャスティンが憎々し気にアイリスを睨んで襲い掛かって来た。肩を強く押されたアイリスはベッドに倒れこむ。起き上がろうとしたがすぐにジャスティンが覆いかぶさって来た。


「やめて!!」

「うるさい! これでノーマン伯爵家は俺のもの……!?」


 アイリスを押さえつけて下卑た眼差しでジャスティンが笑う。しかしすぐに彼はアイリスの視界からいなくなった。背後から強い力で引きはがされたのだ。

 バキッという鈍い音と悲鳴が聞こえて、アイリスは慌てて起き上がった。


「殿下……」


 そこにいたのは肩で息をするクライヴと頬を腫らして床で伸びているジャスティンの姿だった。

 真っ青になったシーナがアイリスを抱きしめた。


「お嬢様、もう大丈夫ですよ」

「シーナ……、ど……して、殿下が……?」


 抱きしめられてもまだ恐怖で身体が震えている。

 どうしてここにクライブがいるのだろう。マリアが亡くなって以降は、アイリスが忙しいのもあってクライヴには会っていなかった。

 都合の良い幻でも見ているのだろうか。

 アイリスの視線に気がついたクライヴがそっとアイリスの両肩に触れた。


「アイリス、大丈夫か」

「は、はい。あの……あ、りが……うう」

「アイリス」


 冷静に大丈夫だと言いたかった。なのに言葉とは裏腹に涙がこぼれて止まらない。

 クライヴは親族だけの葬式だから、と花だけを送ってくれて出席はしなかったので、久しぶりに顔を見た気がする。

 アイリスが落ち着くまで訪れるのを遠慮していたのだろう。

 クライヴの顔を見たら不思議と心がほっとして、アイリスはひさしぶりに大声を上げて泣いたのだった。



 ジャスティンはクライヴとフィルによって兵に引き渡されていった。

 彼への罰がどうなるかはわからないが、おそらくノーマン伯爵領へは出入り禁止。そしてフロスト子爵家も何かしら罰を受けることだろう。

 クライヴはジャスティンより少し遅れてノーマン家へやって来たところで、物音とアイリスの叫び声に気がついて駆けつけてくれたのだという。

 その夜、アイリスは私室で一通の手紙を読んでいた。

 それはクライヴから渡されたものだった。

 彼が、生前のマリアから託されたもので、彼女が亡くなった後に渡してほしいと言われていたらしい。


『愛しいアイリスちゃんへ


 アイリスちゃん。私はお父様と結婚するときに、あなたを幸せにすると、お父様と、あなたの本当のお母様に約束しました。なのに、こんなことになってしまってごめんなさい。

 あなたの幸せを見届けられなくて、ごめんなさい。

 本当なら私が母として、これからあなたに淑女としての礼儀作法を教えたり、一緒にパーティーへ行ったり、恋の話をしたり、ウェディングドレスを選んだりしてあげたかった。

 あなたのこれからのことを思うと、本当は心配でなりません。

 あなたは小さな頃からしっかり者で、頑張り屋さんで、そしてとても優しい子でした。私に心配かけまいとずっと無理をしていたこと、知っていました。

 いつかあなたの心が折れてしまうんじゃないかと心配していました。

 あなたの支えになってくれる誰かがいればいいのにと、いつも思っていました。

 だからクライヴ殿下に手紙を書きました。

 私が母として唯一できたのは、あの方に託すことだけです。

 もちろん結婚するかどうかはあなたの判断です。どちらであってもあの方はあなたの力になってくれるでしょう。

 だってずっとアイリスちゃんのことを大切に思ってくれているのだから。


 私はこの世を去りますが、いつでも天の国であなたを見守っています。

 どうか幸せになって。

 自分の人生を生きてください。

 そばにいられなくてごめんね。


                                  母より』


「……まったく、お母様ったら」


 とめどなく溢れてくる涙を拭いながらアイリスは笑った。

 ふわふわと綿菓子のような人だったのに、意外と世話焼きなところがある。まさかクライヴからの婚約の申し込みが、マリアの策略だったとは。

 アイリスが独りぼっちにならないようにと考えたのだろう。


「私はお母様と一緒にいられればそれで満足だったのに、急に男性を紹介されたって困るわ」


 アイリスは筋金入りのマザコンなのだ。

 男などより母親と一緒にいることが楽しくて幸せだったのだ。

 ぎゅっと手紙を抱きしめてアイリスは涙を零す。

 今はまだ辛いけれど、アイリスを想う気持ちのこもったマリアの手紙が、いつか心を癒してくれる気がした。

ここまでよんでいただきありがとうございました。次で完結になります。

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