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5. 困った親戚と嘘つき王子

「それで、この間の話しはどうかね? 考えてみてくれたか? アイリスにとっても悪い話じゃないだろう」

「いやあ、ええとですね……」


 今すぐここから逃げたい、とアイリスは思った。

 午後の日差しの差し込む応接室にはずんぐりむっくりとしたつぶらな瞳の中年の男性とひょろりと背の高い眠そうな顔の青年が並んでにこやかに座っていた。

 ノーマン伯爵家とは遠縁の、フロスト子爵家当主のヘンリーとその息子のジャスティンだ。

 父が亡くなってから頻繁に訪れるようになった彼らは、どうやらジャスティンをアイリスの婿にしたいようだった。


「マリア殿も体調が良くないのだろう? 世間を知らない若い娘が伯爵代理など荷が重すぎる。早めにしかるべき相手と婚姻を結んで気楽な伯爵夫人にでもなればいいだろう」


 彼らが欲しいのは爵位と領地だ。

 現在、ノーマン家はアイリスが伯爵代理をしている。正式にアイリスが継ぐこともできるが、それには王家の承認なども必要で手続きが猥雑になる。そのため父が亡くなって母も病に臥せっている今、とりあえずは代理としてアイリスが仕事をこなしていた。

 しかし、もしアイリスが結婚すれば、その相手に爵位を譲ることも法律上可能ではあった。

 ふう、とアイリスは軽く息を吐く。


「ご心配ありがとうございます、ヘンリーおじ様。ですが、今は目の前のことで手いっぱいでして……」

「だから言ってるんじゃないか。なあ、アイリス。僕では君の力になれないか?」

「ジャスティン様……」


 ああ、君が心配だよと演技がかった口調と仕草のジャスティンにアイリスは乾いた笑いを浮かべた。


「そうだ、それがいい。アイリス、ぜひうちの息子と」

「何をしているんだ。アイリス?」


 お茶を持ったシーナが入室しようとしたタイミングで、色褪せた赤毛の頭がにょきりとこちらを覗き込んできた。

 ぎょっとしてアイリスは腰を浮かす。


「く、クライヴ殿下」

「出迎えにも来ないと思ったら、そんな奴らより俺の相手をする方が先だろ」

「なんだね君は急に。アイリス、その男は誰だ」


 あーあ、という顔のシーナを見てぱちぱちとアイリスは瞬いた。

 今日も予告なくやって来たクライヴだが、来客中に乱入してくるなんて何を考えているのだろう。

 ヘンリーが不快そうにクライヴを睨みつける。


「え、ええっとこちらは、クライヴ・ネイト・ランドール殿下です……」

「は?」

「それって確か第三王子の名前……って、ハハ! こんなとこにいるわけ」

「いや……昔、晩餐会で見たことがある。その目立つ髪……」


 冗談だと思ったのか噴出したジャスティンに、ヘンリーが目を丸くして呻く。

 え、とジャスティンが固まった。

 クライヴは微笑みを浮かべたままアイリスの肩に手を置いた。


「アイリス、こちらは?」

「……親戚のフロスト卿とそのご子息のジャスティン様です」

「そうか。初めましてフロスト卿。俺は彼女の母と古い知り合いでね。その縁でアイリス嬢と仲良くさせてもらっているんだ」

「そっそそそそうでしたか……! それは、なんと。ご無礼をいたしました」


 にこやかだが妙に威圧的な笑顔のクライヴにフロスト親子が青くなっている。


「こちらこそ突然来てしまい申し訳ない。俺はこれからアイリス嬢とマリア殿と茶でも飲もうと思っているのだが、あなた達も一緒にどうだ?」

「い、いえいえ! お邪魔をしてしまい申し訳ない! し、失礼いたします!」

「あ、アイリス……」


 クライヴの誘いに青い顔をしたフロスト卿がそそくさと立ち上がる。そしてまだ何か言いたそうにしていたジャスティンを引きずって部屋を出て行った。


 ばたん、と忙しなく閉まった扉を見て、アイリスはぽかんとしていたがすぐに我に返った。


「……クライヴ殿下! 一体何を」

「どうしていつもみたいにお母様が大好きなので結婚したくない、と言わないんだ?」

「え?」


 一瞬前まで社交的な笑顔を張り付けていたのに、むすっとした顔でクライヴが隣に座った。

 おもしろくなかったのか、とアイリスはため息を吐く。


「何度も言いましたよ。でも『いつまでも子供のようなことを言うな』『一緒にここに住めばいいだろう』と断っても断っても諦めてくれなくて」


 確かにそれはその通りだった。

 それに親戚付き合いもある。色々と面倒くさいのだ。


「なんだ、面倒くさい奴らだな」

「それを殿下が言いますか?」


 アイリスはジト目で隣を睨んだ。

 まったく同じように何度断っても諦めないクライヴは、腕を組んでアイリスを見た。


「邪魔をしない方が良かったか?」

「そんなことは、ありませんけど……」


 正直助かった。それに認めたくないが、内心ほっと安心している自分がいることにアイリスは気づいていた。

 先のことを考えると思いやられるが。

 じっと間近から紺碧の瞳で見つめられると落ち着かない気分になる。


(殿下がここに来るようになって三カ月……)


 さすがにそろそろ返事を返さないといけないだろう。

 ついクライヴの押しの強さに、なんとなく屋敷に来ることを許してしまっていたけれど。


「……クライヴ殿下は、本当に私でいいのですか?」

「どうしてそう思う?」

「好きでもない女でいいのですか? 」

「……は? ちょっと待ってくれ。俺が君を好きじゃないって? 本気で言っているのか?」


 アイリスの言葉にクライヴが勢いよく顔を向ける。

 驚いて少しだけ身を引くと、同じだけクライヴが乗り出してきた。

 伸びてきた指がアイリスの髪に結んである、淡い橙色のリボンをすくいとる。

 じっと紺碧の瞳がアイリスを見つめていた。


「まったく伝わってなかったのか? 俺がどれだけ……」

「でも、殺されるのが嫌だから、私と婚約したいんですよね?」

「…………あ」


 アイリスはぱちりと瞬いてじいっとクライヴを見つめた。

 彼は、このままだと嫉妬に狂った女に殺されると占い師に予言されたから、そうならないために好きでもないアイリスと結婚したいと最初に言ったのだ。

 口を押えて何やらブツブツ呟いているクライヴが気まずそうにこちらを見る。


「そ、そういえば、確かにそんなことも言ったような……」

「え、あの……。もしかして、あれ、嘘ですか?」


 すっと身を引いて座りなおしたクライヴが頭を下げた。


「すまん! 嘘だ! すっかり忘れてた!」

「え、ええええ!? じゃあなんでまた……」


 アイリスは頭を下げるクライヴを見て困惑した。

 どうしてそんなしょうもない嘘をついてまで、アイリスなんかを構っているのだろう。


「下町の占い師に、あんまり遊びすぎるとそのうち刺されるぞと言われたことはあるんだ。実際はそんな遊んでないんだが……」

「は、はあ……」

「あー……、なんと言うか、あれはただの言い訳で。なんとか君と婚約する口実がほしくて。俺は」

「お嬢様、失礼します! 奥様が……!」


 慌てた様子でシーナが部屋に飛び込んできた。

 アイリスはクライヴと視線を見合わせる。

 血の気が引くのを感じながら、アイリスはマリアの部屋へ急いだのだった。

ここまでお読みいただきありがとうございます。

明日で完結の予定です。

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