1. 諦めの悪い王子
「お、お嬢様! 大変です!」
「なんなのシーナ、まだ書類はできてないわよ。役人にはフィルに対応してもらって……」
「そうではありません。王子殿下です!」
「え?」
十通目の手紙を破り捨ててから十日ほど経った頃、シーナが血相を変えて執務室に飛び込んできた。
慣れない領主代行の仕事で書類の山に埋もれていたアイリスが顔を上げた。
「クライヴ王子殿下が、いらっしゃいました……」
「ようやく顔を見れたな。アイリス・ノーマン伯爵令嬢」
アイリスが応接間の扉を開けると、開口一番クライヴはそう言ってにやりと笑った。
クライヴ・ネイト・ランドール。
色褪せたような赤毛の髪と紺碧の瞳のすらりとした美青年の彼は、この国の第三王子だ。
式典か何かで見たことあるような気もするが、アイリスにとってはほぼ初対面だ。
(なんだか軽そうな雰囲気……。髪色が明るいからかしら)
さすがに王子を門前払いにはできないので、応接間に通したのだが正直アイリスは困惑していた。一体この王子はどういうつもりなのだろう。内心失礼なことを考えながらもクライヴの前に進み出て淑女の礼をする。
「ご挨拶が遅れて申し訳ございません。ノーマン伯爵家のアイリスと申します」
「ああ、知っている。俺はクライヴ・ネイト・ランドールだ。突然訪問した無礼は、君が俺の手紙を十通も破り捨てたことで不問にしてほしい」
「……あの、本日はどのようなご用件で?」
ぐう、と一瞬言葉に詰まりそうになりながら、アイリスはなんとか愛想笑いを浮かべて首を傾げた。
にこやかな顔をしているが、もしかして根に持たれているのだろうか。そもそも面識もほとんどないのに求婚してくる方がどうかしていると思うのだが。
「それはもちろん……」
「まあ、クライヴ殿下?」
応接間の扉が遠慮がちにノックされ、マリアが顔を出した。おっとりとした様子で目を丸くする彼女を見て、クライヴがぱあっと表情を明るくする。
「……マリアか? 久しいな!」
「お久しぶりでございます。ご立派になられましたわね」
「……え、え? お母様、どういうことですか?」
クライヴは親しげな様子でマリアのそばまで行き、彼女の手を取ってソファに座らせる。その様子をアイリスはぽかんとした間抜けな顔のまま見つめていた。
少女のような顔でマリアが首をかしげる。
「ごめんなさい、話してなかったかしら? 私、結婚する前はお城でクライヴ殿下のお世話係をしていたのよ」
「懐かしいな、あれからもう十三年か」
「は、初耳です!」
確かに結婚前は城で働いていたと聞いたことはあるが、まさか王子の世話係だったなんて聞いていない。
「今日は娘に会いに来ましたの?」
「ああ、なかなか返事をもらえなかったからな」
「と、当然です。面識もないのに急に婚約の申し込みだなんて」
はっと我に返ったアイリスは眉を吊り上げた。
この意味不明で失礼な王子には物申さなければならない。
「わざわざこのような小さな屋敷へ足を運んでいただいたところ、大変申し訳ありませんが何通手紙を送ってこられようとも私は誰とも結婚する気はございません。クライヴ殿下におかれましては、私のような弱小貴族の娘よりももっとふさわしい方がおられるかと思います」
一応クライヴはこの国の第三王子だ。
それなりに礼は尽くさなければならないだろうと思ったのだが、失礼すぎる王子についアイリスはトゲトゲしい物言いになってしまった。後半に至っては棒読みだ。
そしてダメ押しとばかりにアイリスは隣のマリアをむぎゅっと抱きしめた。
「……それに、私は母が大好きなので! 一生この屋敷で母と仲良く暮らしたいのです。母が一緒じゃなきゃダメなのです! ねえ、お母様♪」
紺碧の目を丸くしてぽかんとした顔でこちらを見つめるクライヴに、アイリスはにっこりと微笑む。マリアに抱き着いたまま。
「結婚なんてしたら、なかなか母に会えなくなってしまいますもの。それは嫌なのです」
アイリスは周囲から優秀で淑女の鏡と言われていたが、一方ではマザコン令嬢と言われていた。
それは自分でも重々自覚していたので、これで王子がドン引きして諦めてくれれば万々歳だと思ってやった。
これでアイリスにちょっかいをかけてきた男はほぼ全て逃げて行ったのだ。
「――なるほど。噂通りのマザコン令嬢か」
「そ、その通りでございます」
クライヴはなぜかドン引きすることもなく、感心した様子で顎に手を当てて頷いた。
まるで初めて見る珍しい生物を観察しているような顔だ。
「もう、アイリスちゃんたら……」
「ずいぶん愛されているようだな、マリア」
「と、とにかくそういうわけですので」
「しかし俺にも諦めるわけにはいかない理由がある」
さっさとお引き取り願おうとしたアイリスの言葉を、真剣なクライヴの声が遮った。
まさかこれで引かない男がいたとは。
(どうして、そこまで私などに……)
アイリスは困惑した。
一体何がそこまで彼をアイリスにこだわらせるのだろうか。
「……理由とはなんですか?」
アイリスの問いにクライヴが深刻な顔で頷いた。
「……実は、その、占い師に言われたんだ。俺はこの通りの見目なので、正直女性にモテる。だがそのせいで、いらぬ誤解や嫉妬を生むことも多い。だから母君が好きすぎる君以外の女性と結婚すると、嫉妬に狂った女に殺される運命なのだと」
「……クライヴ殿下、お帰りはあちらでございます」
「あ、待ってくれアイリス! 誤解だ! いや、誤解じゃないか。こら、人を追い出そうとするな」
冷ややかな声音で告げたアイリスはグイグイとクライヴの背中を押して部屋から出そうとした。
真剣に聞いて損した。
抵抗するクライヴを応接室から押し出そうとしながらアイリスは怒った。
「どうして私がクライヴ殿下のしてきたことの尻拭いで結婚しなければならないんですか! 王子ならご自分で責任をお取りください! 私はお母様と過ごすことで忙しいんです!」
「ははは、それは確かにその通りかもな」
力の限り押してもさすがに男女の差がありクライヴの身体はびくともしない。
応接間の開いた扉の隙間から執事のフィルと、侍女のシーナがおろおろとこちらを見ていた。
お嬢様、さすがにそれは不敬では。とでも言いたいのだろう。
しかし十通に及ぶ手紙攻撃に突撃自宅訪問の末、結婚したい理由が占いの予言だなんて言われれば爆発したくもなる。
「しかし、なるほどなあ。貴族学院首席で官僚になる道もあったのに、さっさと実家に帰った理由がよくわかった」
アイリスに背中を押されながら腕を組んだクライヴがふむ、と頷いた。一応婚約者候補については色々と調べているらしい。
ちらりとアイリスはマリアを盗み見て、それからクライヴを見上げた。
「私には家族との時間の方が大事でしたから。もったいないとお思いですか?」
「いや、家族思いなのだなと」
驚いてアイリスはひとつ瞬いた。
この話題ではいつも『もったいない』とたくさんの人達に言われてきた。クライヴのように肯定してくれる人はほとんどいなかったのだ。
アイリスは首都にある貴族の子女が通う学院に十歳から十六歳まで通い、首席で卒業した。その後は官僚にならないかと勧められたが、それを断って実家に帰った。なぜなら学生時代は寮暮らしで、マリアにほとんど会えなかったから寂しくてしかたなかったのだ。寂しすぎて毎週末帰省していたくらいだ。
「家族思いなのはいいことだぞ。重度のマザコンなど些末なことだ」
「え」
「アイリスちゃん、ちょっといいかしら」
遠慮がちな鈴の音のような声にアイリスとクライヴはソファの方を見た。マリアがおっとりと首をかしげる。
「お母様?」
「あのね、クライヴ殿下のお話をもう少し聞いた方がいいんじゃないかしら」
「え!? お母様、何でですか? 」
「だって、わざわざこの屋敷まで王都から足を運んでくださったのよ。せっかくだし、デートでもしてみれば?」
ほんわかと述べられる言葉にアイリスは唖然とした。
だってアイリスはマリアと離れたくないのだ。それなのにマリアはこの婚約話にちょっと乗り気なように見える。
慌ててアイリスはソファに座るマリアの膝に縋った。
「ちょっと待ってくださいお母様! デートだなんて……。私は結婚する気なんてまったく」
「……なるほどデートか。それはいいアイデアだな」
必死に言いつのるアイリスの背後で、クライヴの明るい声がした。
「アイリス、俺とデートしてくれ!」
「……い」
「アイリスちゃん。殿方にエスコートされることも良い経験よ?」
「うう……」
「私、アイリスちゃんのデート、見てみたいな」
天使のように微笑まれてしまえば、アイリスは何も言えなくなる。昔からアイリスはマリアのお願いに弱いのだ。
ギギギ……と錆び着いた機械のように背後のクライヴを振り返る。
「……わかりました。それなら、一度だけ」
どうしてこんなことに、と思いながら見上げると、クライヴの嬉しそうな紺碧の瞳と視線が合った。
「感謝する。必ず楽しいデートにするからな」
まるで太陽のように笑うクライヴを見上げて、アイリスは死んだ目でハハ、と笑ったのだった。
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