プロローグ
世の中には結婚に向かない女がいる。
「アイリスお嬢様、お城から手紙が届いております」
「また? 本当に懲りないわね」
ノーマン伯爵家の執務室。
控えめなノックのあと、侍女が一通の手紙を持って入室した。
部屋の一番奥にある主人の席に座っていた一人のブルネットの長い髪を淡い橙色のリボンで結んだ少女が顔を上げる。
侍女から手紙を受け取った少女――アイリス・ノーマンは青緑の瞳で受け取った手紙を迷惑そうに見つめて封を切り中身をあらためる。
中の文面は、もう見飽きたものだった。
『ノーマン伯爵家、アイリス・ノーマン嬢。辞退したい、というお返事をもう何度もいただいているのに、かさねて手紙を送る無礼をお許しください。ぜひ一度、貴女と会って話がしたいのです。色よい返事を待っています。
クライヴ・ネイト・ランドール』
一瞥しただけでアイリスはその手紙をビリリと破り捨てた。呆れた様子で侍女のシーナが声をかけてくる。
「よろしいのですか? 仮にも我が国の第三王子からのお誘いなのですよ?」
「もう10回もお断りしているのに、それでもしつこく手紙を送って来る方がどうかしているわ」
こちらは仕事で忙しいというのに。
ふん、と鼻を鳴らしてアイリスは手紙を屑籠に投げ入れた。
クライヴ・ネイト・ランドール。
それはアイリスの住むこのランドール王国の第三王子の名前だ。アイリスもよくは知らないが、どうやらちゃらんぽらんの遊び人らしい、という噂だけは聞いたことがある。
そんな面識もない相手から急に会いたい、と手紙が送られてくるようになったのは三カ月ほど前からだ。
王子殿下から貴族令嬢への正式な面会要請の手紙となれば、それは婚約者候補に選ばれたということだ。
しかも王子から直接の誘い、となればそれすなわち求婚と同じだ。
少なくとも、アイリスの国ではそういうことになっている。
アイリスは大いに困惑した。
ノーマン伯爵家は爵位こそ立派だが、領地は小さいし、そんなに儲かってもいない。昨年当主であるアイリスの父が急病で亡くなり、現在は病身の母に代わりアイリスが当主代行をしているが、いつも領地経営の金のやりくりで頭を抱えていた。
いくらちゃらんぽらんでも第三王子が嫁に欲しがるような家柄ではない。
きっと何かの間違いだろう。
そう決めつけて、アイリスは丁重に辞退の返事を綴った。
しかし、そこをなんとか、と手紙は懲りずに二通目、三通目と断りの返事を返しても何度も送られてきたのだ。
十通目ともなれば破り捨てたくもなる。
「アイリスちゃん、またクライヴ殿下からのお誘いをお断りしたの?」
「お母さま、まだ熱があるのに起きたら駄目です」
「うふふ、大丈夫よ。それよりせっかくの殿下からのお手紙でしょう? 破ったりしたらお気の毒だわ」
「いいのです! 私は結婚なんてしません!」
執務室の扉からそっと金髪の小柄な女性が顔を出した。
アイリスの義母、マリア・ノーマン。
お母様、と呼ばれる彼女は母にしては若く、どちらかといえば姉に見える容姿をしている。寝巻姿のマリアにアイリスは慌てて自分のショールを肩にかけてあげた。
そしてアイリスは堂々と胸を張って答える。
「私はお母様のずっと一緒にいたいですもの。王子殿下と結婚なんかしたら離れ離れになってしまいます。だから結婚なんか絶対嫌だわ」
まあ、とマリアは少女のように新緑の瞳を丸くし、侍女のシーナはため息をついて肩を落とした。せっかく美人で成績優秀と評判の令嬢だったのに……と呟いている。
――世の中には、結婚に向かない女性がいる。
たとえば、義母が好きすぎてそばを片時も離れたくない娘などがそうだ。
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