第90話 王城の戦い 3
ムーナとネビリュラがバルエットを無力化した直後、盛大な破壊音が室内に轟く。
ネビリュラが顔をあげた先では、どうやらファルフェルナがキシュルを隣室まで殴り飛ばしたらしく部屋奥の壁に大きな穴が開いていた。瓦礫はアーヴァルカイドの玉座の元にまで転がっており、王はただ三度の溜め息を漏らすのみ。
「王女様たちは一旦アタシが」
「ん」
耳を立て伏兵の有無を探りながらムーナが言えば、ネビリュラは小さく頷き駆けていく。向かう先では師弟が部屋を飛び出し、護衛の控室と思われる隣室──キシュルの手回によってか、今は無人だった──でキシュルへと追撃を仕掛けていた。
「本当に硬いですねぇ」
やはりまったく調子の変わらない声音で、ファルフェルナがボディーブローを一発。キシュルの体には一切のダメージが入らないが、膂力からなる衝撃は防護魔法越しにもその痩身を浮かび上がらせるほど。舌打ちとともに放たれるキシュルの反撃、斥波の魔法をスイッチしたユリエッティが右ストレートで砕き、その伸びた右腕の下からまた、ファルフェルナの体が躍り出た。
「はっ」
「どりゃァッ!!」
ユリエッティも左フックのタイミングを合わせる。キシュルの右こめかみと左顎を同時に打ち抜く師弟の挟撃は、通常であれば昏倒……どころか首がねじ切れてもおかしくはない一撃。なのだがしかし、キシュルへのダメージは精々が首を傾げる程度のもの。手応えのなさにユリエッティは歯噛みする間にも、キシュルの側からの返報が来る。
「……いい加減に鬱陶しい」
吹き飛ばされているあいだに用意し、斥波の魔法を囮に完成させた大きな魔法。やはり不可視の、しかし明らかに強力と分かるエネルギーが生じ、放たれる。超加重とも異なる空間震が、地も空気もなく部屋中を揺らした。
「おっと、これは」
部屋にあったあらゆる家具は木っ端微塵に砕け、床も壁も天井も全てが軋み、室内から外へ向けて爆散していく。ファルフェルナの体が硬直するほどの、全方位へ向けられた見えないエネルギーの乱流。それが周囲の部屋にまで拡散するその前に、ユリエッティは両拳を打ち合せて魔法を破壊した。
「っはぁ、あっぶねぇですわ……!」
肩を上下させるユリエッティの顔には、多少なり疲労の色が浮かんでいる。その隙を埋めるように到着したネビリュラが、体躯を活かした体当たりをしかけた。
「……チィッ……!!」
食らうキシュルの口から漏れるのは、もう何度目かの舌打ち。速度と質量を兼ね備えたネビリュラの流体は、防護は貫けずともキシュルを轢き潰すことはできる。地面に倒れ、起き上がり際をファルフェルナにマウンティングされ、キシュルの顔は心底不機嫌そうに歪んでいた。
「このままっ、床にっ、埋めてっ、あげましょうっ、かぁっ?」
左右の拳で交互に殴りつけながら、ファルフェルナが楽しげに言う。顔面をひしゃげさせることはできずとも、言葉通りキシュルの体は床へとめり込んでいく。一撃のたびに城が揺れ、床や残った壁の亀裂が広がっていた。
「何なのだ、お前たちは……」
殴られるがままのキシュルは、反撃もせずに悪態をつくばかり。空間震の魔法は加重のそれよりもさらに強力で、次の魔法の発動までラグが生じてしまう。それでも、少なくともキシュルの知るユリエッティ程度であれば肉塊にできたはずで、それどころかもう息を整えているその姿が気に入らない。
気に入らない、気に入らないと、キシュルの心に苛立ちが募っていく。
自分を轢き潰した赤いモンスターも気に入らない。前回もこいつのせいで取り逃がしたようなもの。
いま自分を抑え込んでいる薄ら笑いの女も気に入らない。そもそも誰だこいつは。なぜそうも余裕ぶっていられる。
褐色の獣耳女も気に入らない。そこらの木端とは違う、このネルチャグシュッツ・キシュルの魔法を正確に捉えるなどと。
ナルグも使えない。バルエットも役立たず。
「……ああ。ヴィヴィア様、貴方もですよ」
一度ならず手中から逃れ、今ではもはや、こちらを恐れることすらなくなった。先に言葉を交わした際に向けられたのは、咎人を見る目付き。いやそもそも思い返せば、最初の晩餐会の時からして気に入らなかったのだ。あの時からヴィヴィアラエラは、こちらを選ばない者の目をしていた。五百年前の、アヴィスティリアと同じ目を。
「アヴィスティリア様も、どいつもこいつも、なぜ私の思い通りに動かない……この、生まれながらの超越者たる私になぜ従わない」
ヴィヴィアやここにいないアヴィスティリアにすら恨み節を吐き始めた頃には、キシュルの顔面はもう横からでは見えないほどに地面に埋没していた。滑稽な姿勢で、調度品めいた顔の造形には傷の一つもつかないまま。
「はて。生まれついての天才などこの世には掃いて捨てるほどいますが。まさかこの小童、それだけで自分が特別だとでも思っていたので?」
「く、ふっふ」
憐憫すら含んだチェリオレーラの罵倒が飛ぶ。キシュルにそれは聞こえてはいなかったが、吹き出したファルフェルナの声が、小馬鹿にするような視線が、彼にとっては心底不愉快だった。
「……ああ、もういい。興が削がれた。一度全て潰してしまおう。なに、死んでさえいなければどうとでもなる」
自分に言い聞かせるような物言いで言葉を一度切り、そしてキシュルは、隠し持っていたスクロールを発動させる。
「……ユリッ!!」
遠話器など関係ないほどに大きな声が、隣の部屋から飛ぶ。
キシュル本人が書き記し魔法を籠めて作ったそれは、一般に流通しているものよりも遥かに強力な効果を発揮する。効果としては純粋な衝撃波、しかし発動も早く、何より無差別で、効果の範囲で言えば先の空間震よりもなお広い。つまり、ヴィヴィアも容赦なく巻き込むほどに。
そうと感知したからこそのムーナの叫びで、ユリエッティは咄嗟に反応できた。
「ッ……!!」
踏み込み、咄嗟に飛び退いたファルフェルナと入れ替わるようにしてキシュルを殴りつける。わずかに遅れはしたが衝撃波の拡散はなんとか防ぎ、その分、初撃を一身に受ける形でその体が宙を舞った。
「ユリエッティ……!」
「大丈夫ですよ私の弟子なんですから」
対照的な声を上げるネビリュラとファルフェルナから大きく離れ、ユリエッティはムーナたちのいる執務室まで吹き飛ばされた。玉座に縛り付けられたままのアーヴァルカイドとその足元に投げ出されたバルエットの横を抜け、部屋の入り口付近まで。
「いってぇですわ……!」
「うん、問題なさそうだな」
師の言う通りさしたるダメージもなく、ただ少しだけ息を切らせながら膝で立つユリエッティ。ちらりと振り向けばムーナと、その後ろに守られるヴィヴィアと視線があった。




