第80話 山肌 2
岩肌のようなモンスターたちを退けることさらにしばらく、ようやく攻勢も弱まってきたかという頃合い。連なる山脈のうち、まさしく一行が踏みしめているひと峰の山肌が揺れた。
“北端山脈”の山々はどれも、中腹を越えた辺りから常冬の世界に入る。この時期でも常に雪が積もった、ユリエッティらも足を踏み入れる予定のない領域。岩肌と、それよりも白い雪面の境界線は、一行からすれば目視がやっとといったほどの彼方。けれども、まさしくその場所で目覚めた強力な魔力の塊を、やはりムーナは感知した。
「おぉいなんか出たっ……いや違う起きたっ?」
ぴくりと獣の耳を立たせ視線を向ける遥か遠くの山肌が、内側から弾け跳んだ。ムーナ以外も視認できるほど盛大に、山の内側で何かが動き出している。合わせて、一行の付近にいたモンスターたちが、まるで退避するかのように引いていく。
「なぁんですのっ!?」
「魔力の感じ的に、これ多分っ……!」
「……この気配、以前にも似たようなのと戦ったことがありますね」
ムーナとファルフェルナの言葉が重なる。片や慄いたような、片や変わらない気楽な声音で。
「「ドラゴン、それも古いやつっ」」
もう一度山肌が派手にめくれ上がり、その巨体が姿を現す。
「……っ!」
ネビリュラの背中で、ヴィヴィアの息を呑む声が聞こえた。
それが這い出てきたのはここから一日二日で行けるような距離ではない遥か遠方、にもかかわらずヴィヴィアの目ですら、竜の形をしているのがおぼろげながらも見えていた。その表皮が、やはり岩肌のように硬く白んでいることが分かってしまった。
「……前に見たのよりも、随分と大きいですわねっ」
「恐らくですがかなり老成してますね。モンスターどもはあれの眷属で、私たちはここまで誘い込まれた……の、でしょうか」
サイズが、存在感が、威圧感が。以前にユリエッティらが戦った『風倪竜』など比較にならないほどに強大。“北端山脈”には恐らく、永くそこを根城にする古竜がいると、そういう話自体は広く知られていた。精密な調査が行われたわけではなく、おそらく山々の中でも深く高い山の、それも頂の辺りに生息しているのではないかと予想されていたに過ぎないのだが。しかし実際にはこうして、低すぎるほどの場所に姿を現している。なんとも不運なことに、とユリエッティは拳を握りしめた。
「……“果実”にドラゴンに、ここはろくな場所じゃない」
遠目に見た限りでは、翼もなくずっしりと低く構えた獣のような四足歩行、細部はまだ判然としないが、けれども“間違いなくこっちに来る”という確信は皆が抱いていた。明確に、こちらへ意識を向けていると。ヴィヴィアに倣うようにして、ネビリュラの表情も硬くこわばる。対して前衛二人は、まるで何らかの違和感でも察知したかのように首を傾げていた。もちろん、ムーナの方はユリエッティらと同じような顔のままではあったが。
「……んー、なぁんか魔力の感じが変なんだよなぁ」
「同感です。いえ、細かな魔力までは分かりませんけれども……妙な気配を感じます」
「けっこう距離あるけど、ワンチャン逃げられたりしない?」
「まあ無理でしょうね。こちらを狙っているのは確実ですから」
言っているあいだにも足は止めていない。離れるように動き続けている。けれども何分、山とドラゴンが大き過ぎる。具合を確かめるように足踏みする山肌の古竜との距離は、姿を現してからほとんど変わっていなかった。
「……てゃ、いやーな気配です」
と、一行の耳にそんな言葉が聞こえてきた。精霊が警告を発してくるその重大さを、ファルフェルナ以外の面々はとっくに理解している。つまりはあのドラゴンが、それほどまでに恐ろしい存在であると。けれどもしかし、チェリオレーラが続ける言葉はそんな程度には収まっていなかった。
「あの小童と、同じような不快感があります」
「……はっ!? 嘘だろ見つかったのか!?」
憎き元凶を指すワードに、途端、皆が警戒を露わにする。ムーナは空間跳躍の気配を探ろうとし、ネビリュラは脚部を流体化させ逃走形態へ。ユリエッティはいっそう強く拳を握りしめ、ともすればドラゴンの出現以上に、ヴィヴィアも表情を引き締めて。やはりファルフェルナだけは飄々と、瞳の見えない薄笑みのまま。
「いっ、いえそうではなくっ、あいつが来るというわけではなくっ」
一瞬で厳戒態勢に入る一行にチェリオレーラが慌てだし。ドラゴンへと視線 (のようなもの)を向けたのが、気配から感じられた。
「古竜から……あいつに纏わる嫌な騒乱と、同じものを感じると言いますか……」
「……つまり、あのドラゴンにもキシュルが関与していると?」
「そんな気がすると言いますか、なんと言いますか……」
「……ワタシたちを捕らえるために、ドラゴンを寄越してきた?」
「うーん、ちょっとその辺はなんとも……いやほんとに、なんか同じような不快感があるなぁって話で……」
「もしもあのレベルの古竜を使役しているのであれば、それはもうテイムの魔法なんて域を超えていると思いますが」
「うぅー、だからチェリオレーラもよく分からないんですってっ」
例によって要領を得ない物言い。しかしある意味で、だからこそチェリオレーラの感じた言いようのない気持ち悪さが全員に伝播してく。まだ足は止めていない。走り続けている。周囲からはもうまったく、モンスターどもの気配がなくなっていた。
「…………なんにせよ、対処しなければなりませんわ。細部を考えている余裕は、今はない」
「今度こそワタシに乗って逃げる?」
「……なあ、アンタ昔一人でドラゴン倒したんだろ? アレも一人でいけたりしない?」
「迅速に確実に処理するなら、助力が欲しいところではありますねぇ」
迅速に確実にでなけりゃいけんのかよ、というツッコミを、ムーナが入れる余裕はなかった。
遂に、体を温め終えた古竜が動き出す。全身を一つに丸め、まるで巨大な岩の塊にでもなったかのように姿を変え、そしてそのまま山肌を転がり始める。
「くっそバカみたいな動きしやがって……!」
「ですがこの斜面では効果的。山脈の古き竜の、洗練された移動法なんですよ、きっと」
ゆっくりと動いていたのはほんの最初のうちだけ。何か魔力的な補助も生じているのか、すぐにも冗談のような勢いにまで加速した丸い巨岩塊が、遥か下方、ユリエッティらのもとへと迫ってくる。




