第79話 山肌
果樹園の迂回にほとんど丸一日。夜は火もテントも使わず、交代で見張りつつ皆でひと塊になって眠り。そして翌朝から、今度こそ“北端山脈”を登り始めたユリエッティたち。
幸いなことに好天が続き、数日のうちは特に問題もなく進めていた。とはいえやはりここは魔境、標高が上がっていくにつれて少しずつ木々や植物が減り、ところどころに岩肌が目立ち始める、そんな頃合いに。
「──ぬぁあっ硬ぇっ!」
遂にユリエッティらは、モンスターの一群に襲われていた。
「これ剣折れるかもっ!!」
「そんな市販の安物なんて使ってるからですよ」
「仰るとおりでっ!!!」
ムーナとファルフェルナが前からくる分を蹴散らし、ヴィヴィアを背負ったネビリュラが続き、ユリエッティが後ろを押さえ、そしてチェリオレーラが賑やかす。夜襲を受けたときと同じような陣形の一行を襲うのは、いわば“山肌”そのもののようなモンスターたち。
「ってかコイツら名前とかあんの!?」
「私は存じ上げませんね」
「わたくしもですわっ」
「こんなときに名前なんて、どうでもいいっ……」
なんのかんのとまだ余裕のありそうなムーナ、ファルフェルナ、ユリエッティ。苦言を呈するネビリュラ。次から次へと湧いて出るモンスターどもは多少の個体差はありつつも、最低でもそのネビリュラよりもひと回りは大きな体を有している。
「クマっ!」
「オオカミですかね」
「こっちはトカゲっぽいですわっ!」
三者が叫ぶその通りに、モンスターたちは一体一体が異なる形姿をしていた。動物や、中には虫のような、現存する種々の陸生生物によく似た多様なシルエット。一方でその大まかなサイズ感と体表面の特徴──まるで山脈の一部であるかのような、山肌と同じ白んだ岩の体を、一体の例外もなく共有している。
「こっちにもトカゲっ!」
「いえ、これはトカゲじゃなくてヤモリですね」
「どうでもいいわその違いっ!!」
ムーナがもう何度目か叫びながら、目の前のトカゲだかヤモリだかの首を切り落とす。まるで一枚岩から削り出したかのようなモンスターどもにも、よくよく見れば関節部に隙間のようなものがあり。そこをうまく狙えれば──それでも並のモンスターよりよほど固く刃に優しくないが──、剣で断つことも不可能ではない。ユリエッティとファルフェルナは、そんなことお構いなしに顔面を粉砕していたが。
とにかく、そうやって切るなり砕くなりすれば赤い血が吹き出すし、血が出るのであれば当然、殺せもする。サイズと岩の肌から来る重量と、それに似合わぬ俊足ぶりはなるほど驚異的ではあったが、それでもファルフェルナも加わった一行にとっての脅威にはなり得ない。
むしろ問題は次から次へと湧いてくる点で、そこらの岩陰……どころか、地面と思っていた山肌がモンスターだった、という事態もさきほどから何度も起きていた。全てが同一種であると断定できるほどに統率の取れた動きで、執拗にユリエッティらを付け狙ってくる。ネビリュラを恐れる様子もなく。
「……なんだか妙ですね。動きの意図が読めない」
「それはまあっ確かにっ、とぉっ!」
遭遇してからしばらく、前衛二人後衛一人の三人でもう十や二十ではきかない数を屠り、ユリエッティらの後ろには死骸の道すらできている。見事な群れをなしているからこそ、彼女らが手に余る存在だということくらい、モンスターたちにも理解できているはずなのだ。
前の二人と同じように、ユリエッティもまた違和感に思考を巡らせていた。狩りの獲物としては、自分たちはどう考えても割に合わないだろう。では縄張りから弾き出すために追い立てているのか、いやそれならこんな、四方から襲いかかるような真似はしないはず。
ただがむしゃらに、例えば危険区域のモンスターのように、気性の荒さに任せて襲いかかってきている? 果樹園の“果実”でも食って凶暴化したか? いやいや、それであればこんな、統率の取れた動きは考えづらい。
(……というか、人の足で数日程度の距離にこのレベルのモンスターがいて、よく農作なんてできたものですわね)
背後から飛びかかってきたヘビ型個体の頭部を裏拳で粉々にしつつ、一瞬そんな疑問が脳裏をよぎり。しかし眼前の、ネビリュラに背負われ頭を低くするヴィヴィアの姿を見て、小さく首を振る。今はとにかく、このモンスターどもをどうにかしなくては。
「……また、ワタシがみんな背負って逃げる? 一人は尻尾だけど」
「背中に二人、尻尾に一人。席が足りないのでは?」
「……アナタは怖いから乗せたくない」
「ふっふ」
「まぁコイツなら一人でもなんとかするだろっ、ユリの師匠なわけだしっ? なぁ王女様っ?」
「わ、わたしからは、ノーコメントで……!」
聞こえてくる会話が、ある意味で微笑ましい。ちらちらと様子をうかがってくるネビリュラへと、ユリエッティは笑みを浮かべて返した。
「ありがたい申し出ですが……こいつらがどこまで、どこに潜んでいるのか分からない以上、逃げ一辺倒はむしろ危険かもしれませんわっ」
完全に静止し山肌に身を埋めている個体などは、ムーナの五感ですら見落としてしまうほどなのだ。高速で駆け抜けるその真正面にでも待ち構えられていたら、大事故は免れない。結局は現状のように、足を止めずに進みつつ襲ってくるやつらを適宜処理していくのが確実かと、ユリエッティは皆に伝えた。
「ええ、私も同意見です。流石は我が弟子」
「じゃあさっきの乗り気な発言は何だったんだよっ……!」
「交流を深めようかと」
「この状況でっ!?」
「少しくらい忙しない時のほうが、結束も強まりやすいかなと。よく分かりませんが」
「意味が分からんっ!」
余裕があるとはいってもそれなりに声を張り上げているムーナやユリエッティに対して、ファルフェルナは終始いつも通りの飄々とした声音、表情のまま。それでいて、ユリエッティの師であることがよく分かるような容赦のない拳で、次から次へとモンスターを粉砕している。
「………………本当に怖い」
何を考えているのか、あるいは何も考えずにものを言っているのか。ある意味でモンスター以上に得体のしれないファルフェルナに、ネビリュラはますますもって恐怖を募らせる。心なしか、体がムーナの方に傾いていた。ヴィヴィアもなんとなしに、慰めるようにしてその背中を撫でてみる。毛皮の外套越しで、おそらく気付かれてはいなかっただろうが。




