第75話 活路を見出す
諸事情により投稿が遅れてしまいました、日曜日に更新します〜とか言っておいて守れずすみません……
もっとも早く異変を察知したのは、魔法を行使しているキシュル本人だった。次いで、ほぼ同時にムーナも気付く。ことさらに重くのしかかっていたユリエッティへの圧力が、弱まっていると。
隣で幾度となくそれを見てきたムーナが、軋む体でニヤリと笑った。ユリエッティの右腕が、地に縫い付けられていたはずの拳が、ゆっくりと持ち上がる。
「──ォ、ラァッ!」
腹の底からの叫びとともに、ユリエッティは思いっきり地面を殴りつけた。確信を持って放たれた一撃。『風倪竜』のときと同じように、いやさそれ以上の力でもって。強烈な衝撃波が生じ、一帯を支配する超加圧の魔法が跡形もなく粉砕される。
「……な──」
「オラァアッ!!」
そして再びの咆哮。まだ理解のできていないキシュルの元へ、固く握りしめられたユリエッティの拳が迫る。ナルグが咄嗟に割って入ろうとし……けれどもそれより早く、ユリエッティと同時に動き出していたムーナが、その首元に剣を差し込んでいた。
「邪魔すんなァ!」
「くっ……!」
かろうじて杖で弾いたナルグが、けれども左の耳を中程から切り落とされるのと、ユリエッティの右拳がキシュルの顔面に直撃したのは、やはりほぼ同時だった。
「ごっ、っ、ぉあッ……!!」
血しぶきをあげながら後方へと吹き飛んでいくキシュル。なにか強力な、おそらく衝撃を緩和する防護魔法のようなものがかかっていた気がするが、ユリエッティはそれすらも粉砕した手応えを確かに感じていた。さらには勢いのまま、ローブを血で濡らすナルグも同じように殴り飛ばす。ここらでようやく状況を把握した雑兵どもが騒ぎ出し、それをかき消すほどの歓声が、四人の耳にだけ突き刺さる。
「うぉおおおおおおきちゃぁあああああああああッ!!!!!!!」
「うるさいですわよ、チェリオ、レーラ……」
「おぉいユリ!?」
つっこみ途中にふらりと傾ぐユリエッティ。咄嗟に抱きかかえたムーナの目にはその顔が、まるで急激に体力を使い果たしたかのように映った。意識はあるがしかし、どこか朦朧ともしている。
「──今はとにかく、逃げる。ムーナも乗って」
動揺するムーナへと、背後からネビリュラの声がかかった。吹き飛びはしたものの、キシュルもナルグもまだ戦闘不能と断定はできない。ユリエッティがダウンした今、追撃よりも逃走が望ましい。
「ユリはどうするっ、オマエの背中頑張っても定員二名だろ……!」
「……あとで文句、言わないで」
そう告げるとともに、ネビリュラはその長い尾でユリエッティを絡め取った。ときおり長い木材などを運ぶときに行っていた、完全なモノ扱いの運搬方法。「しゃーなしか」と呟くムーナが背に飛び乗った瞬間に、ネビリュラは斜め前方へと急発進した。
「くそっマズいぞ逃がすな!」
「キシュル様と隊長の救護を!!」
キシュルは自分たちには何の配慮もしない。そうと知っていたからこそ、部下たちは魔法に巻き込まれないよう一定の距離を取っていた。ゆえに全ての対処が遅れてしまう。幾人かはその脚で追い、幾人かは魔法を飛ばすが、けれども並の妨害ではネビリュラを止められない。
「右斜め後ろから速いのっ、次は追尾型っ、そうナイスっ次爆発するやつ真後ろからっ!」
「もうちょっとっ、分かりやすく言えないの……!」
「……っ」
ムーナの指示で魔法を躱し、速度をほとんど落とさないまま、追手との距離を急速に開いていくネビリュラ。ヴィヴィアは変わらずその背に、舌を噛まないよう必死にしがみついている。
やはり純粋なフィジカル、そして柔軟な機動力という点でネビリュラは頼りになる。そう安心しかけたムーナのエルフ耳が、別格に強力な魔法を探知した。間違いなくキシュルのものであろうそれは、ヴィヴィアがいることを考えれば捕縛系の何かか。しかしその弾速も追尾性能も、雑兵どものそれとは一線を画している。
「ヤベェめちゃめちゃ追っかけてくるっこれ避けんの無理だぞ多分!!」
「って言われても、躱さなきゃ終わり……!」
「あーちょっと待て空間跳躍の気配までっ! どーすんだこれ!」
「それでもてゃならっ、てゃならなんとかしてくれます!!!」
「オマエそういうの無茶振りって言うんだぞ!!」
「無茶じゃないですぅてゃに無理とか無茶とかありませんぅーー!!!」
ぎゃーぎゃーと騒ぐうちに、キシュルの魔法弾はすぐ後ろにまで迫っていた。ナルグのものらしき転移の魔法は、耳を切り落とした影響か発動は遅いが、それでも魔法弾とうまく挟撃できるような厄介な位置取り。
耳も気も立ったムーナの思考がぐるぐると回る。こんなことならトドメ刺しとくべきだったか、いや無理だっただろうなぁ、とりあえず後ろのはネビリュラが避けると信じて、前のは跳んできた瞬間にたたっ斬るか、行けるか? タイミング合うか? ミスったらアタシそのまま殺されるんじゃないか? 等々、ぐるぐる、ぐちゃぐちゃ。前に座るヴィヴィアにもそれは伝播し、仲間の命運を文字通り背負っているネビリュラも、精神的にいっぱいいっぱい。
「…………精霊の期待が、重いのですわ……!」
それらの全てを、敵の猛追ごと鎮めるような声がこぼれる。尾に揺られ、倦怠感に苛まれ、それでも一時意識をはっきりとさせたユリエッティの声が。弛緩していた全身に、再び力が漲る。それを肌で感じ取ったネビリュラは、ユリエッティが追尾弾と正対するように尾の角度を変えた。
「──しつっこい、ですわァ!!」
そして今一度振り抜かれる、強烈な右ストレート。常であれば敵わないであろうキシュルの魔法を再び破砕し、その余波でナルグの空間跳躍すら無効にしてみせた。尋常ならざる威力。途端にチェリオレーラが調子に乗る。
「ほぉーら見たことですかてゃに不可能はないんですよ!!!」
「そりゃ助かったけど負担かけ過ぎなんだよおいユリ死んでないよな!?」
「めちゃ、疲れましたわ……」
「ごめん、もう少し我慢して」
「ネビリュラの尻尾、何度触れても……素晴らしい感触ですわぁ……」
「……大丈夫そうではありますね、エティ…………すみません、貴女にも皆さんにも、無理をさせてしまって」
「ええ、ええ……よくってよ、です……わぁ……」
そうして穏やかに、ユリエッティは今度こそ意識を手放した。ムーナは警戒を、ネビリュラは速度を緩めることなく。追っ手たちの怒号は遠のいていく。幸いなことにそれ以上の追撃もなく、一行は谷底の、鬱蒼とした夜闇の中へと紛れていった。
◆ ◆ ◆
三日三晩。
その後のネビリュラが、ほとんど一睡もせず一行を運び続けた日数である。
ユリエッティは半日もすれば目を覚ました。以降は「できるだけ早く、遠くまで逃げる必要がある。何もしていないから体力は有り余ってる」と頑ななネビリュラに押され、二人が起きて背に乗り一人が尾にくるまれて休眠を取る形で、高速の逃走劇。
いくら体力に優れるネビリュラとはいえ無茶はあったが……しかしその無茶のお陰で一行は、無事キシュルの手から逃れられた。そもどうして見つかってしまったのかも不明瞭、それでもできることといえば、今まで通り人目を避けて自然の中に紛れることくらい。“深緑渓谷”を抜け、行き先は考えずにとにかく距離を稼ぎ、そうしてようやく、名も知れない岩山の麓の洞窟で一息。
火も熾さず、唯一持ち出せたネビリュラの旅装兼第一テントも設営はせず、すぐにも動ける警戒態勢のまま、四人は携帯食をかじる。顕界しておらずとも、チェリオレーラの気配も近く感じられた。
「──ここ数日、考えをまとめていたのですが」
四角く固められた味気のない夕食を手に持ったまま、ヴィヴィアが静かに口火を切る。
「キシュルの言動にはいくつか、看過できないものがありました。やはりわたし個人の話に留まらない、ヒルマニア王国そのものに関わる何かが」
「……ええ。恐ろしいのは、現国王──アーヴァルカイド陛下も何か……キシュルの思惑の内にあるかもしれないということですわ」
「あの男の言葉を全て信じるわけではありませんが、現に兄は様子がおかしかった。最悪を想定しておかなければなりません」
「…………えー、つまり何だ? 王都まで送り届けても、なんか問題が起きるかもってこと?」
ぼんやりと事態を捉えているムーナが、なんとか言葉を捻り出す。頷くヴィヴィアとユリエッティ。ネビリュラが一番最初に、最後の一口をもちゃりと飲み込んだ。
「……だからって、このまま闇雲に逃げ続けるのは無理だと思うけど」
「ええ。どちらにせよ、ヨルドよりはヒルマニアのほうがまだ安全……とは考えています。父に事情を話すだけでなく、父から事情を聞く必要も出てきましたし」
「結局、向かう先は変わりませんわね」
「……その、何の役にも立たず、大変な事態に巻き込んでしまいましたが……それでもまだ、手を貸してくださるのでしたら」
「そりゃ別にいいっすけど。頑張って王城まで帰ったらキシュルが待ち構えてました〜……なんてことはない、よな……?」
「「「……」」」
普通であればまずあり得ない話である。だが、かの国家元首が直々にヴィヴィアを捕らえに現れたことや、仄めかされた現国王との力関係を鑑みれば、絶対にないとは言い切れない。それほどまでに、ネルチャグシュッツ・キシュルという男の執着心は強固なものだった。だもので皆、否定もできずに口をつぐむ。
「ってかそもそもできるのか? 国境越え」
一度見つかってしまった以上、こちらの狙いも、下手をすれば本来辿ろうとしていたルートすらも、敵方に把握されている可能性が高かった。人の寄らない危険区域にいたところを発見されたのだ。関所を通らずに国境を越える計画が、ユリエッティらの力量で越えられる地点が、予想されていないなどとは言い切れない。
「「「…………」」」
キシュルがどこまで、何をしてくるのか、その底知れなさを味わったばかりなのだから。ムーナの懸念はもっともで、だからこそ沈黙が重たい。
「──あ、なんか来る」
「は?」
と、不意にそれを破ったのは、チェリオレーラの不穏すぎる独り言で。瞬時に身構えるユリエッティの、耳につけたままの遠話器が静かに震えた。
「……なんかって、これのことですの?」
「はいっ──あ待ってチェリオレーラなんで普通に会話しちゃってるんですか!?」
「今更だと思う」
ネビリュラがじっとりと虚空を──もうみんな、声さえ聞こえればなんとなくどこにいるかを感じ取れるようになっていた──眺める。それを横目に、振動のパターンから相手が誰かを察したユリエッティ。
「…………ディネトさんからですわ」
冒険者ギルドはヒルマニア王都支部、その事務受付統括の声を、ユリエッティはもう長らく聞いていない。逃亡生活が始まってからはこちらから連絡することなく、また数度あった向こうからの連絡も泣く泣く無視していた。そうするうちに交流も途絶え、すべてが終わってから直接会って謝罪しようと、そんなふうに考えていたのだが。
「うーん、このタイミングで……?」
冷静に考えてみれば、追っ手であればムーナが真っ先に気付くはずで。そうではない、普通の存在では感知できない何かを、チェリオレーラは感じ取った。彼女はかつてもヴィヴィアを見て「良くない騒乱の気配がする」と言っていなかったか? そんな精霊が反応したということはつまり、なにか碌でもない事態になっているのではないか?
と、そんな不安が過ぎるユリエッティとムーナに対し、しかしチェリオレーラの声音は明るかった。
「確かになんだか騒がしい気配がしますが、これは良い方のやつです。グッド騒乱です」
「ぐ……? なんですの?」
「あっまた会話しちゃった」
「だからもう諦めろって」
「とりあえず、応答したほうが良いんですわね?」
「……っ!……っ!」
現出した点滅光球が、おそらく頷いている。
ユリエッティはヴィヴィアと視線を交わし、そしてお互い首を縦に振った。チェリオレーラは騒がしいが、その言葉は全てユリエッティに利するものだった。つい先日の激励もそう。いまだ本人もよく分かってはいないが、ユリエッティが類稀な力を発揮する、そのきっかけだったのは間違いない。だからここは精霊のお告げを信じようと、そう腹を括って、ユリエッティは遠話器に触れる。
「……もしもし、わたくしですわ。家名なきユリエッティですわ」
〈──ああ良かった、通じて。ユリエッティ様〉
「ディネトさん、お久しぶりですわ。長らく連絡もせず申し訳ありません、その……色々と事情がありまして……」
〈つい先日から、貴女がヨルドで指名手配されているという話が王都中に広まっています。恐らくじきにヒルマニア国内でも、と。それと関係があるのでしょう?〉
「…………ええ、まぁ」
それはまたなんとも厄介なことになっている。しかし知ることができたのはありがたい。なるほどやはり、チェリオレーラの言葉は利を生む。早くも納得し頷くユリエッティ。しかし真の、精霊が“グッド騒乱”などと称する情報はここからだった。
〈タイミング良くと言うべきか、悪くと言うべきか……とにかく件の話を聞きつけて、ユリエッティ様と話がしたいと。王都ギルドであれば誰かしら連絡がつくだろうと。つい先ほども彼女が、私の窓口を訪ねてきました〉
「……えっと、ディネトさん?」
〈失礼ながら、こちらとしてはいつ爆発するか分からない爆弾を抱えているようなものです。ええ本当に、これであればドラゴンがギルドに襲来する方がまだマシだとすら思っています〉
「あのー……?」
久方ぶりでも分かるほどに、明らかにディネトの様子がおかしい。何の話をしているのか要領を得ない。早口にまくしたてるその声音は、どこか怯えを孕んでいるようにすら聞こえた。
〈師弟関係にあると以前おっしゃっていましたが……まさか人格者と謳われるあの方が、ユリエッティ様が絡むとああも恐ろしくなるなどとは〉
「え? あ、あぁー……」
師弟関係。その言葉で全てを察するユリエッティ。あのディネトが怯えるもの致し方ない、と。
〈ユリエッティ様の師匠──傲握流グランドマスター、ファルフェルナ・アン様が。貴女の居所を知りたがっています〉
それはなるほど確かに騒乱であり。
そして同時、ユリエッティの瞳に活路を見出させる名でもあった。
えーというわけで第3章も終了となります。一週間ほどお休みを貰いまして、来週月曜日から第4章スタートを予定しております。よろしければぜひ、完結までお付き合いいただけると嬉しいです。
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