第69話 第一テントで
同日、夜。
ユリエッティはネビリュラのテントを訪れていた。
「……本当に来た」
「ええ、来ましたわ」
ヤれるものならヤってみろとは、諸々の末にネビリュラが勢いで放った言葉である。言質を得たりとユリエッティは頷き、ムーナはげらげらともうひと笑いしながら順番をネビリュラに譲った。ことの発端たるヴィヴィアは終始申し訳無さそうな、それでいて“なるようになる”とでも言いたげな表情で。そんな、夕食時にまで繰り広げられた問答の顛末。それが今、二人きりのテントの中で行われようとしている。
「……本当にするの」
「ええ、ネビリュラが嫌でなければ」
柔らかく微笑みながら、ユリエッティは一度だけぐるりと、テントの中を見渡した。以前に訪れたときには縫いかけの生地やらなにやらが見られたものだが……日々移動の今ではそれらのほとんどが使われ、あるいは仕舞われ、テント内はどうしても殺風景なものに。そんな中で、薄布団の上に丸まり半身を起こすネビリュラの姿が、灯りに照らされ映えていた。
「今宵は一層、素敵な装いですわね」
「……べつに」
ふいと顔を逸らすネビリュラが着ているのは、薄布を重ねたワンピース状のネグリジェ。全身がゆったりと覆われ露出自体は少ないが、白を中心に無彩色で纏められた重なりの奥に、ほんのりとネビリュラ自身の赤が透けている。装飾はほとんどなく、それによって一層、服の内側のシルエットが際立つような。端的に言って、攻めた格好だった。
寒暖の変化にも強いとはいえ、普段は季節感も意識した装いをしているネビリュラ。そんな彼女がこの時期の寝間着にするにしては、やや生地が薄い。ヴィヴィアの服から着想を受け、興味本位で作ってみたらオリジナルより随分と扇情的になってしまった(そして誰にも見せなかった)それをこのタイミングで着る意味を、ユリエッティともあろうものが察せられないはずもなく。
「約束しましたわよね、ネビリュラ。わたくしは貴女に遠慮しないと。拒まないというのであれば、わたくしは貴女と、もっと仲良くなりたいですわ」
二人のあいだで交わされた約束は、双方向なものだった。ユリエッティはネビリュラに遠慮しない。ネビリュラはユリエッティに正直になる。この二人きりの場でそれを持ち出されては、ネビリュラも思ったままを口にせざるを得ない。
「…………嫌じゃ……ない、と、思う……けど……」
「けど?」
「よく分からないし、それに……やっぱり、人間がワタシに欲情するとは、思えない」
『風倪竜』に目を付けられたときのような不快感はない。あるのはただ困惑のみ。父と母の顛末を知っているがゆえに。人が好き好んで人ならざるものと交わろうとするだなんて、とても。結局、夕刻からずっとネビリュラの中に渦巻いているのは、そういう懐疑だった。
「まあ確かに、街を歩けば誰もが見惚れる──というタイプではないですわね、ネビリュラは」
「……ある意味で、釘付けにはなるだろうけど」
「ええ、まさしく」
二人して一度、小さく笑みを浮かべ。その折に交わった視線から、ユリエッティの本心が伝わる。
「ですが、少なくともわたくしは貴女に魅力を感じていますわ。外見も含めて」
「…………」
当然のことのように言う。他の──人類種の女を口説くときと、まったく変わらない瞳をしているのだと、経験のないネビリュラにも理解できた。それほどまでにユリエッティは自然体で、そして間違いなく色が灯っている。
実のところ、一連の流れは初めての“女性同士”に戸惑う相手を落とすときの手法に通ずるものがある……というところまでは、ネビリュラも気付けなかったが。
「……そういう素振り、今までは見せなかったくせに」
「ふふ。遠慮、していましたもの」
とにもかくにも『風倪竜』の一件があった。ネビリュラが、自身に性感情を向けられることを嫌悪している可能性があった。だものでユリエッティは、ネビリュラと接するさいには意識して色を排していた。
だが今、ネビリュラはユリエッティを拒んでいない。マイナスでなければプラスに持っていける。経験に裏打ちされた自信がユリエッティの態度に余裕を与え、それがネビリュラにも影響を与えていた。
(色情、交わり……その全てが疎ましいものだとは、思って欲しくありませんし……)
それがどのベクトルの感情かはさておいて、ネビリュラがユリエッティにある種の好意を抱いているのは確かで。ユリエッティ自身がそれを理解しているからこそ、好き合う者同士の交わりとは幸せなものであると、ネビリュラに知って欲しかった。
ヴィヴィアには感謝ですわねぇ……とは、流石に口には出さないが。間違いなくネビリュラは拗ねるだろうし。何にせよ、今が好機とユリエッティは確信する。
「ともかく、嫌でないのなら……ぜひわたくしの、今夜のお相手になってはいただけませんか?」
「…………」
「…………」
頷かず、ネビリュラは再び顔を背けた。
下半身は横たえ上半身をもたげた、見ようによっては乙女チックな姿勢のまま。
「…………ちょっと、待ってて」
ぶっきらぼうに一言告げて、次の瞬間、ネグリジェの下で体が静かに波打つ。
「あら、まあ」
竜のシルエットはそのままに、体の──恐らく密度を高めることで──サイズを小さくしていく。それでもユリエッティよりひと回りほどは大きく、顔や手足の形も、長い尾も変わりはしないが。しかし確かに、両者の目線の高さは随分と近しいものに。それはまさしく、流動性の体を持つネビリュラだからこそのサイン。顔を正面に戻したとき、その赤色の体はより色濃くなって薄布の下にあった。
「……このほうが、シやすいでしょ」
「ええ、ええ」
これをもって今度こそ、問答は終わり。
ユリエッティは笑んだまま、膝立ちでネビリュラの間近にまで迫る。自分と近いサイズ感になった竜の頭、その両頬に手を添える。人類種よりも大きく裂けた口、長く伸びる鼻先。そこへ、何の躊躇いもなく唇を寄せる。
「──んっ」
声を出したのはネビリュラで、ぎゅっと目を瞑ったのもネビリュラ。その様子を薄目に観察しながら、ユリエッティは唇に感じる柔らかさを楽しんでいた。
粘人と近しくもあり、けれどもより弾力と密度に優れる。やはり手で触れるのとは違う感触。鼻先の伸びた形状は、竜人や爬人、一部の獣人と近しいか。指先でさわりさわりと頬を撫でつつ、触れては離すだけのキスを幾度か。唇が当たるたびに小さく震えるのがまた、なんとも可愛らしい。
視界の端に、尾が左右に大きく振れているのが見えた。ユリエッティはつい我慢ができずに、舌を伸ばす。鼻先とも唇とも境界が曖昧なそこを、ぺろりとひと舐め。尻尾がびゃん!っと直立した。ユリエッティは一度顔を離し、開かれたネビリュラの瞳を視線で射る。
「……ふふ……わたくし、抑えが利かなくなってしまいそうですわ……」
深まる笑みの中に支配的な雰囲気を漂わせながら、ユリエッティは再度唇を寄せる。今度は差し伸ばした舌を見せつけるように。
「ぅ、あぅ」
普段の冷静さをすっかり失ってしまったネビリュラはまたぎゅっと目を瞑り、そして同時、おずおずと小さく口を開けた。
「んむ、ぅ……」
もう一度唇が触れ。その内で、ネビリュラの歯のない口腔へと、長い舌が入り込む。
次回でもうちょっとがっつりいちゃいちゃしますので、異種系が苦手な方はこれを機に好きになってもらえると嬉しいです。当然ユリエッティが攻めです。




