第68話 ユリエッティの居ぬ間に
「……まあ、その、単純に上手いし」
「……ええ、はい。まさしく」
第三テントの設営を続けながら、まずはムーナが言い訳にもならない言葉を一つ。ヒルマニア第二王女のお墨付き。三者ともいまさらこの手の話に恥じらいなどはないが……なんとなくこの場ではネビリュラが主導権を握っているような、そんな雰囲気が林中に漂っていた。
ともかくユリエッティの手技舌技、しぐさに目つき、言葉、あるいは吐息のひと吹きでさえも。伽の最中では、その存在を構成する全てがこちらの快楽を掻き立てる。ムーナもヴィヴィアも、それを心身に刻まれている。
盗み聞きの常習犯であるムーナなどは、ユリエッティが相手に応じてその技法をいくつも使い分けていることも知っていた。例えば自分に対しては、わりあいに容赦のない連戦を強いてきたり。ヴィヴィアに対してはより静かに、じっくりと煮込むような前戯に注力したり。そういうさじ加減が絶妙なのだ……などとは、さすがに口にはしなかったが。口にはせずとも、ネビリュラからは色ボケどもめ……とでも言いたげな視線が飛んできていたが。
「上手いとか下手とかもよく分からないけど……で、今日はどっちなの。ムーナ?」
「……っす」
よく分からないからこそ、遠慮のないネビリュラの問いかけが連続する。
「そもそも、順番待ちがあるっていうのも変な話。そういうのもユリエッティが決めてるの?」
「や、その辺はアタシと王女様で上手いことやってるっていうか……」
「エティも、察したうえで誘ってくれているようですけれども……」
概ね交互に、平等になるように。
ムーナはヒルマニア王都での活動時期に、ヴィヴィアはユリエッティが公爵令嬢であった頃に、ユリエッティ自身がおセックスフレンドたちとのスケジュールを上手く調整していたことを知っている。そんな二人だからこそ、ユリエッティが気を回すまでもなくそういうことになった。それは準備期間のうちに確立され、この旅の中でも遵守されているルールのようなもの。あるいはそういった連帯感が、ムーナとヴィヴィアが打ち解けられた理由の一つだったりもするのだが……ネビリュラにはその辺りも、今一つピンとこないようであった。
「……献身的」
だものでつい口をついて出てしまうのは、皮肉。ネビリュラにしてみれば、二股をかけてくる相手に何をそう慮っているのかという話で。
少なくともヴィヴィアのほうは、ネビリュラが今までに見てきた人間の中でもっともまともで良識的な人物だった。ユリエッティのように破天荒でもなければ、ムーナのように懐に入れば(良くも悪くも)無遠慮というわけでもない。それでいて、自分のような存在を受け入れようとする度量もある。しかしそんな彼女ですらこの有り様。それがネビリュラには、どうにも不可思議で仕方がなかった。だからこそ、さらにさらに質問は続く。
「取り合いとかに、ならないの」
ユリエッティが多くの女性を愛する女だということは知っているが。けれども、実際に恋人であるムーナとヴィヴィアが共にいて、互いに思うところなどはないのかと。極めて一般的な恋愛観を有するネビリュラの、当然の疑問。問われた二人は一度だけ顔を見合わせて、そして揃って首を振った。
「取り合ってもしょうがないし」
「エティはそういう人ですから」
ユリエッティに恋愛観をひん曲げられた二人にとっては、“自分以外”がいることなどユリエッティと関係を結ぶうえでの前提条件と化している。眼の前の女二人の、至極当然といった顔からそれが読み取れた。ネビリュラは不意に理解する。なるほど“ユリエッティの恋人”とはつまり、最大のユリエッティ被害者を指すのではないかと。
「…………」
妙な納得感。ユリエッティに対する新たな見識。そういう何かしらを得た気分になり、ネビリュラの言葉はひとまず止まった。そうすれば今度は、手番が変わったかのようにヴィヴィアが口を開く。話の流れで湧いた素朴な疑問を、そのまま投げかけるように。
「……あの」
「なに」
「ネビリュラさんは、エティから誘われたことはないのでしょうか?」
「…………」
「…………」
「…………もしかして、王女様にはワタシが普通の人類種に見えてる?」
「……くふっ」
思わずといったふうに笑ったのはムーナだった。ネビリュラにジトっと睨めつけられ、顔を逸らす。獣の耳はぴんと立てたままに。
「外見のお話でしたら、個性的な特徴を有しているとは思いますけれども」
一見して皮肉の応酬、けれどもネビリュラもヴィヴィアも、挑発的に聞こえてしまわないよう懸命に言葉を選んでいると、そんな空気がますますムーナの笑いを誘う。声は抑えているものの、その肩はぷるぷると震えていた。奇っ怪な挙動を見せる猫耳女をもうひと睨みしてから、ネビリュラはヴィヴィアへと視線を戻す。
「……だったら分かると思う。流石に、これに興味は示さないでしょ」
「いえ、その、エティは幅広い外見の女性を好みますし……ムーナさんからも、ヨルドに来てから様々な種族の女性を誘っていたと聞きましたから」
だからこそ。ムーナと同じく長期間共にいるわけなのだし、一度ぐらいは口説かれていたりしないだろうか、と。エティならあるいはという(色々な意味での)信頼から出た、ともすれば口にした本人すら、少々突飛にも思える言葉。それはネビリュラにとっては、まったく想定外のもので。
「……にしたって限度がある」
「ちなみに、竜人とも粘人ともヤってたぞアイツ」
ニヤついた声で喋りやがってこの猫耳女。そんな言葉は、ネビリュラの柔らかな喉元でかろうじて留まった。ヴィヴィアのほうは至って真面目な表情を浮かべている。
この王女様、やはり妙なことばかり持ち込んでくるんじゃないか? なにがどう転んだら人類種が──どう繕おうとも少なくとも外見上は──モンスターを相手に交わろうなどと考えるのか。いや、まあ、両親はそれをヤったのだけれども。いやいやあれは父親側の罠のようなもので、その顛末を見ればこそ、やはりまともなことではないはずだ。というかそもそも、性交というのがよく分からない。『風倪竜』に向けられた情欲は煩わしいと言う他なかった。いやさ今は『風倪竜』ではなくユリエッティの話をしているのだが。いやだからそのユリエッティが、人間が、ワタシとだなんてあり得ない。
「……あの、ネビリュラさん?」
長い思考。長い沈黙。長い尻尾もぐにゃりぐにゃりと不規則に揺れ動いている。やはり不躾だったかとヴィヴィアの眉根が寄せられたのを見て、ネビリュラはようやく口を開いた。
「……とにかく、いくらユリエッティでも、ワタシとヤろうだなんて思わない」
これだけは間違いないだろうという断言。なぜだかムーナの震えがさらに大きくなる。もう笑い声を堪えきれていない。とりあえずこの無遠慮が過ぎる猫耳女にも一言食らわせてやらねば……と、再び息を吸うネビリュラの耳に、その声は飛び込んできた。思考にかまけて疎かになっていた、背後のほうから。
「──あらあらまあまあ。わたくし抜きで、なんだか面白そうな話をしておりますわねぇ」
「…………………………ムーナ」
「ごめ、っくふ、いやだって、すごいちょうど良いタイミングで帰ってくるから……っ!」
気配を感じ取っていたのなら、教えてくれても良かっただろうに。ネビリュラの尾がぺしりと地面を叩く。不満と、それから、なんだか分からないがマズいことになる気がするという本能的な警戒から。
「ちなみに、ネビリュラさえ良ければわたくしは大歓迎ですわよ?」
「……はぁ?」
「ひょーっっっっ!!!!」
ネビリュラの声をかき消すように、チェリオレーラの叫びが林中に顕界する。ぼちぼち日も暮れようかという頃合いであった。




