第67話 旅路
“禁止山林”での二週間ほどの休息を経て、四人はついに出立した。
目指すは国境、方角としてはざっくりと西側へ。今まで以上にとにかく街道付近を避け、人目を避け、森林や山岳を通っていく。人里での物資補給はごく最低限。それも出入りのチェックが相当に緩いか、最悪、関所を無視して忍び込めるような町でなければ難しい。
過酷といえば過酷だが、しかし一方でユリエッティ、ムーナ、ネビリュラにとってはこれまでの旅路の延長線のようなものでもあった。ノウハウはある。だからこそ、ヴィヴィアの想定していた以上に一行の足取りは安定していた。
そうして“禁止山林”を抜け、付近の平地をこそこそと通過し、そしてまた緩く長い山岳へと紛れ込む。危険区域ほどではなくとも、モンスターの度合いから比較的に人の寄り付かないルート。常緑樹の目立つなだらかな丘陵の只中、ヴィヴィアはしっかりとした足取りで歩を進めていた。
護衛対象であるヴィヴィアを挟むようにして、前をユリエッティ、後ろをムーナが務める並び。ネビリュラはヴィヴィアと横軸を合わせつつ、周囲の警戒とモンスターへの威圧も兼ねて木々の合間を右に左にと縫うように歩いている。
(旅路自体は極めて順調。ペースも悪くない)
内心でそう独りごちるヴィヴィア自身が、少なくともムーナやネビリュラの想像する王女とはかけ離れた体力を有していたことも、四人の足取りが安定している理由の一つだろう。療養中のつぶさな観察や夜伽を経て、ユリエッティがヴィヴィアの体力を完璧に把握できているのも大きい。無理のないペースで、かつできる限り速く。時期も良かった。もとより温暖よりな地帯で、今はもう冬も抜けている。
(とはいえ、不安がないわけではない……)
それは旅路ではなく、自身の置かれた現状そのものへの懸念。
ヴィヴィアがキシュルのもとから逃げ出してから、もう二ヶ月近くが経過している。それだけの時間が経っていながら、少なくとも出立直前のアルベーラの街付近には、ヒルマニア第二王女不在を噂するものは誰もいなかった。ヴィヴィアラエラ・ヒルマ・ダインミルドはいまだ、第一王子とともに元首キシュルのもとで両国友好のために励んでいるらしい。
(共和国内で情報が統制されていることは理解できます。相手は国家元首)
だが王国側、特にヴィヴィアと近しい間柄の者たちはどうか。第一王子ヴェルハドゼールによる隠蔽は勿論あるだろうが、とはいえヴィヴィア本人とこうも長く連絡が取れない事態に、両親や姉が気付かないなどということがあり得るのか。それとも、その追求すらもキシュル側が上手く躱しているのか。何分、得られる情報は皆無に等しく。だからこそ考えるほどに、ヴィヴィアの背中にはじっとりと、言い知れぬ不安のようなものが張り付いてくる。
そしてそういうときは必ず、声にも出さない不安を感じ取ったかのように、見つめていた背中がゆるりと振り返るのだ。シルエットが膨らむほどの大荷物を背負って、それでも歩く姿は貴族であった頃にも重なる、ヴィヴィアの恋人が。
「──そろそろ、少し休憩しましょうか」
「ふふ、助かります。お腹も空いてきましたし」
「お、王女様が腹減ったってさ」
「……そう」
少しの冗談も混じったムーナの声。するすると近寄ってくるネビリュラの姿。それらに小さく笑むユリエッティ。恐らくだが、チェリオレーラもどこかその辺にいるのだろう。同行者たちの様子を見ていれば、少なくともこの旅路それ自体は決して辛いだけのものではないと、ヴィヴィアには確信できた。
◆ ◆ ◆
そうこうと数日かけて山岳地帯を抜け、また(ある意味でもっとも気を張る)平野をこそこそと通り過ぎ、そしてまた似たような植生の林へ分け入る。そんな日々の中の、夕方にもほど近い頃合い。
場合によってテントも張らず火も起こさず、すぐにでも動ける状態のまま夜を過ごすこともある旅路だが……今日は周辺にまったく人の痕跡もないからと、林中でのキャンピングの準備を進めていた。ユリエッティが、食材のストックも兼ねて「ちょちょいと狩ってきますわ〜」と獲物を探しに行ったのはついさっきのこと。残った三人でテントを張り、小さくではあるが焚き火の準備を進めていく。元々要領の良いヴィヴィアもその辺りの作業はすっかり身につきつつあり、また、こんな状況で、王女があれこれと動き回る様子に何か言う者など、この場には誰もいない。
少しだけ細木を切り開けばテントを三つ立てるスペースも確保できた。薪を組むヴィヴィアのすぐ近くで、ムーナがいそいそと小さな第三テントを設営していく。第一、第二テントの状態確認を終えたネビリュラが、やはりじっとりとした目でその背中を見ていた。さらにその様子を、ヴィヴィアがそれとなく観察している。
「……どした?」
やがて、視線に気づいたムーナが振り返った。ネビリュラは一瞬だけ、なにか言葉を選ぶように口元をもにょもにょと蠢かせ……そして結局、溜め息とともに吐き出す。
「…………ヤリ過ぎじゃない?」
「あー……」
「……」
その言葉はムーナだけでなく、ヴィヴィアにも刺さる。両者ともスーッ……とネビリュラから目をそらし、けれども赤い追求の視線は、その程度では止むこともない。
「……いやでもほら、別に毎日ってわけじゃないし」
「テント張れる日は必ずどっちかがヤってる」
「あー……」
言い逃れのしようもない。今まさにそれ用の第三テントを設営していたわけなのだから。
「……その、すみませんネビリュラさん。わたしが堪え性のないばかりに」
「まあ、王女のイメージは崩れた」
「ぅっ」
珍しくヴィヴィアの口から低い呻きが漏れるほどに、やわっこい口から出てくる言葉は鋭かった。テント作成を主導していたネビリュラとしては、言いたいことの一つや二つもあるということなのだろう。
「こんな旅の中でも、そんなに夢中になるものなの」
「こんな旅の中だからこそ、といいますか……」
「にしたってし過ぎじゃない?」
「「ぐぅ」」
ヤるなと言いたいわけではない。とはいえしかし、よくもまあそこまでお盛んに。ネビリュラの目付き言葉付きから滲み出る呆れに、残る二人の作業の手も鈍ってしまう。そんな、ユリエッティ不在でのあけすけな猥談が、今始まる。




