第63話 お話し合い 2
「……寂しくなんてなってない」
全くの嘘である。何の役にも立たない強がりである。口にしたネビリュラ自身、それは分かっていた。かつて『風睨竜』の騒動の際にすら、寂しがっていたのを見抜かれたのだから。あの頃よりもうんと距離が縮まった今、ユリエッティが気付かないはずがない。
「貴女から孤独への耐性を奪ったのは、他ならぬわたくしですわよ」
「う、……」
自惚れないで、などと言えるはずがなかった。代わりに沸々と、ネビリュラの内から恨み言が湧いてくる。それが分かっているのならもっと、もっとこう、察してよ。理不尽な物言い、まるで面倒臭い女だ。
薄明かりに照らされたユリエッティの微笑みは、その全てを受け止めると言っているかのようで。だから、先ほど知らない女の前では飲み込んだ本心をぶつけても良いのだと、ネビリュラは思ってしまった。
「…………帰ってこなくて、心配してたのに」
か細く切羽詰まったようなそれを。
「ええ」
「寂しかったのに」
「ええ」
「急に知らない人連れてきて」
「ええ、ええ」
「急にどこかへ行くとか言い出して」
「ええ、まさしく」
「ムーナは連れて行くのに、ワタシには自分で決めろって」
そこは半分くらいムーナに押し切られた部分もありますわ……などとは、ユリエッティも言わない。
「…………付いてこいって、言って欲しかった」
声音は淡々としている。しかしそれがネビリュラの本心の、もっとも奥深いところにあるものだった。
こちらの意思に委ねるとなれば、まず真っ先に現実的な答えが浮かんでしまう。自分には関係がないし、リスクも大きい。連絡手段も確立できた。“厭世的で冷めたネビリュラ”としては、無理に付いていく理由がない。
何より、王女様だという女と共に行くのが、ユリエッティの中で確定事項になっている。それが気に食わなかった。ムーナも、そんなユリエッティに付いていくのが当然という顔をしている。二人が連れて行かれてしまう。こちらには選択の自由を与えておきながら。なんだか、負けた気がしたのだ。みみっちい嫉妬心が、芽生えてしまったのだ。
それら諸々が合わさって、ネビリュラの心はささくれ立っていた。心配していたというのに、自分を置いて、知らない女との今後を語りだすユリエッティ。けれども執着を見せるのは“ネビリュラ”らしくなく思えて、物分かりが良いふうを装ってしまった。その実、会話を拒むかのような屈折した拗ねかた。そしてどうやらそれは、ユリエッティに見破られていたようで。だから今こうして、いとも簡単に吐かされている。
「ネビリュラ」
「なに」
「貴女、けっこう面倒臭いところがありますわね」
言葉に反して、ユリエッティの顔は嬉しそうに綻んでいた。だからネビリュラも、顔をふにゅりとしかめさせて「うるさい」なんて返す。少なくとも表面上は不機嫌そうに、恨み節を浴びせかける。
「アナタが悪い。一人でも生きられてたのに。ユリエッティが勝手に、ワタシを一人じゃなくしたから」
「ふふ、先程そう言ったではありませんの」
なにが、いずれは終の住処で一人静かに、だ。
ほんの三週間たらず一人に戻っただけで、ネビリュラの心は大いに乱れた。以前にも増して、本人が戸惑ってしまうほどに。独占欲のようなものがあった。必要とされたいという気持ちがあった。自分の心の内に、そういうささくれ立ったものがあるのだと、突然に気付かされた。
付いていくと言うのではなく、付いてこいと言われたかった。勝手に付いてきたあの日のように、ユリエッティの側から必要として欲しかった。そんな面倒臭いやつに、自分はなってしまった。
「……ネビリュラ」
「……なに」
「申し訳ありませんわ。わたくしも少しばかり、急いていたのかもしれません」
「……そう」
恋人なのだという女の危機。ユリエッティといえどもやはり、平静ではいられないのだろう。しぶしぶではありつつも、納得できないわけでもなく。
同時、不意にネビリュラの胸中に思い起こされたのは、『風睨竜』の討伐に赴くユリエッティの姿。ある種の希望的観測によって冒険者のルールを破り、そして相応のペナルティを受けた。それなりに立ち回りの上手いユリエッティらしくない振る舞いだったが……あれは、他ならぬネビリュラのためだった。急いていたという意味では、今回と同じ。そう思えば、まあ、悪い気はしないかもしれない。
「一つの約束を守れなかったのは事実。なので、代わりと言ってはなんですが……もう一つ、新しく約束をしたいのですわ。わたくしとネビリュラの、二人の約束事を」
気の緩んだ隙をついてくるかのように、ユリエッティはそんなことをのたまう。だから突っぱねることもできずに、ネビリュラはますます、良い気分になってしまう。上手く乗せられていると、分かっていても。
「……どんな」
「わたくしは貴女に遠慮しない。貴女もわたくしに、思ったことを正直に口にする」
極めてシンプルなそれが、遠話器も外されたネビリュラの耳に、すっと入り込んでいった。
「……善処する」
ここで嬉しいだとか、せめて分かったとすら言えない辺り、正直とは程遠い。だけども、それも込みで変わらないユリエッティの微笑みが、ネビリュラには心地良かった。面倒臭いところも見透かして、受け入れてくれるような眼差しが。一度生まれてしまったささくれは、いまだ心に残ったままだけれど。その見えないとげとげを暴き触れてくれること、それ自体が。
「ありがとうございますわ。ではさっそく……わたくしは、貴女に付いてきて欲しいですわ」
「どうしても?」
「ええ。どうしても、ですわ」
「…………そこまで言うんなら、仕方ない」
渋々といったていで、ネビリュラが首を縦に振る。ユリエッティも満足そうに頷いて、二人の動きが一瞬だけシンクロした。話はそれで終わり。単純なことであった。
「──さてさて、改めてこんな時間に申し訳ありませんわ」
「本当に。非常識」
「ふふ、折角ですし、もう少しお話ししませんか?」
「いい、さっさと自分のテントに戻って」
ネビリュラが、しっしっと追い払うように尻尾を振る。結局、その表情は終始不機嫌そうなままで、だけども尾の動きはすぐに緩やかなものに。
「……ワタシが、寝たあとで」
「ええ、ええ」
……というようなやりとりを、全神経を集中させたムーナが盗み聞きしていた。チェリオレーラも同じく、どことも知れない空間を転げ回りながら。明滅しながら叫び散らかさないぶん、まだどうにか己を律していたと言えるだろう。ただヴィヴィアだけが、安心したように眠っていた。
◆ ◆ ◆
翌日、早朝。
ネビリュラが一人、外で火の準備を始めていたところに、ヴィヴィアが姿を現した。ユリエッティに付き添われてテントから出て、かと思えば薪を組むネビリュラの姿に驚いたのか、僅かに肩を跳ねさせる。横目で見ればなるほどくたびれたような雰囲気を漂わせており、顔つきも健康的とは言い難い。
「おはようございますわ〜」
「……おはよう」
突然現れて自分たちの生活を変えてしまった女に、そう簡単に心を許せるわけではない。そもそもが人間嫌い。けれども、独り逃げ続けるそのストレスはネビリュラもよく分かっていたし、それをユリエッティに掬い上げられるありがたさもまた、同様に。
「……水、そこ」
だからこそネビリュラは、視線も合わせずに呟いて。
「あ、ありがとう、ございます」
ユリエッティへ向けた言葉に、慄きながらも礼を言う女──ヴィヴィアへ、ふすと鼻を鳴らした。




