第52話 贅沢を言うなら
翌日の夕刻前。
ユリエッティとムーナが林の奥地の川沿いで合流したとき、ネビリュラは長い尾を水に突っ込んでは魚をぽいぽいと川緑に放っている最中だった。
「熊みたいだな」
「ドラゴンですわ」
「どっちでもない」
砕けたやりとりと共にここ二日ほどでの両者の戦利品(ネビリュラは干し肉の出来や摘んだ野草、ユリエッティらは香辛料や布地など)を報告し合いながら、テントのある地点へと向かう。日が落ちる前には火起こしに夕食の準備にと全て済み、自然の中での生活にもすっかり順応している様子だった。
なお、精霊チェリオレーラはユリエッティがなんとなしに気配を感じ取れるとき以外は感知不可能なため、基本的に頭数には含めないというのが三人の方針である。どうせ今も、どこかその辺の空間から覗き見ているのだろうが。
ともかく形としては三人での夕餉、焼き魚を各々好きに味付けしつつ、ネビリュラがぽそりと呟いた。
「……川の上流付近の足跡が増えてきてる。そろそろ気をつけた方が良いかも」
「あらまぁ。ここは水の綺麗な良い場所だったのですが」
基本的に森林の深い地点に居を構えることの多い三人だが、日々を暮らすうえでの痕跡はどうしても残ってしまう。実態には気付かずともそれを見つけた冒険者などが、調査のため徐々に三人の生活域に踏み入ってくるというのは当然起こり得るし、そうなればいつまでも身を隠し続けるのは難しい。
「ま、そこそこの依頼もこなしたしちょうど良かったんじゃない?」
ユリエッティとムーナの知る限りでは、近隣の町でまだそれらしい話は聞かないが……とはいえ慎重を期すに越したことはないと、三人は今いる地を離れる方向で話を進めていく。使い捨て上等と簡便に作ったテーブルを出し、地図を眺めることしばらく。
「……いっそのこと、また危険区域に入ったほうが気は楽かもしれない」
「それはー……正直ありますわね」
ネビリュラの口にした危険区域とは、三人が出会った“途絶えの森”……ではなく。あの場所と同じく、政府管轄で立ち入りが制限されている地区を指している。ここ一年の道中で“途絶えの森”とは別に一箇所、しばらく身を潜めていたこともあり。
「まあ確かに、“果実”に手ぇ出さなきゃアタシらにはいい場所かもな」
そしてその場所にも、ネビリュラが一度口にし厄介事を呼び込んでしまった“果実”がなっていた。
どうもヨルド国内には数か所、小規模ながら件の“果実”の木が集う森林が点在しているようで、その全てがモンスターの凶暴化などの理由から危険区域に指定されている様子。旅路で得た知識と地図とを照らし合わせながら、三人は次の行先を探す。
「本気で危険区域を目指すのであれば……近場だとここですわね」
やがてユリエッティが指さしたのは、ヨルドの首都にほど近い小さな街。少し離れたところには、“途絶えの森”とそう変わらない規模の危険区域。近場とはいっても徒歩移動なため数ヶ月単位の時間はかかるが……三人にとって時間はさほど問題ではなく、それよりも気になる点はとにかく人の目だった。
「首都が近いっていうのがちょい怖いけど、大丈夫か?」
「これはあくまで予想になりますけれども……間近というわけでもなく、むしろ中途半端に近いせいで首都に諸々吸われている可能性もありますわ」
それは人口であったり、流行であったり、話題性であったり。また、首都とほかの主要な街を繋ぐ経路上から尽く外れている……どころか、首都の影に隠れるような立地になってしまっているのも目に付く。この街自体の規模も小さく、そして何より、近くには危険区域。首都と危険区域との緩衝地帯として存在している、という線も考えられるだろうか。
「廃れてる、ってこと」
「そこまでかは分かりませんけれども、人の目はそれほど多くない……かもしれませんわ」
断言できることはあまりない。結局のところ、生の情報は行ってみなければ分からないのだから。今この場でできるのは、行くか行かないかを決めることだけ。ネビリュラは細まった視線で地図上をなぞり、そして少しの間を置いて決断した。
「…………二人が、良いなら」
「アタシらはまあ、どこでもって感じだし」
「ええ、ええ。では決まりですわね」
かくして次の行き先が定まり、となれば移動に先んじてまた物資の調達や、何を置いていき、何を持っていくかの選別をしなければならない。とりあえずこのテーブルはデカすぎるので、壊して捨てていくとして。そういった話をするのも案外楽しくて、ここ一年でネビリュラの口も多少は軽くなってしまった。だものでついつい、焼き魚のおかわりを手に取りながら漏らしてしまう。
「……贅沢を言うなら、いつかは終の住処が欲しいところだけど」
流石にこれは口には出さないが、三人旅はけっこう好きだ。少なくとも、一人で逃げ惑っていたあのころよりは。話し相手がいる。助けてくれる人がいる。そのありがたみが身にしみる。口には出さないが。
しかし一方で、あるいはだからこそ、そんな二人を巻き込んで各所を転々としていることに、思うところがないわけではないのだ。当人らが好きでやっていることは、見ていれば分かるけれども。それでも。
別に、町中で大手を振って生きたいだなどとは言わない。人の寄り付かないような自然の奥地で、ひっそりのんびりと暮らせればそれでいい。それで目の前のお節介焼きどもがたまに、そう、たまに遊びに来てくれれば。
けれどもそれを実現するにはもう、人類種は版図を拡げすぎている。自然地帯だ危険区域だといっても、全くの未開未踏の地などというものは、このヨルドにはほとんど残っていない。目の前に広げられた精巧な地図とこれまでの自身の歩みから、それを嫌というほど分からされる。
なんていう、一言に込められた長過ぎる真意。それを読み取れる程度には、ユリエッティもネビリュラの機微に詳しくなっていて。瞳を覗き込むようにしながら、小さく微笑みかけた。
「……ネビリュラが安心できる場所が、どこかにあることを願うばかりですわねぇ」
敬称が取れたのはいつだったか、たしか「チェリオレーラが呼び捨てなのにネビリュラがさん付けなのはおかしいですわ」とかそういう流れだった気がするが。それに納得してしまう程度には、ネビリュラも絆されていた。
「だなぁ……あ、これけっこう美味いぞ。辛いけど」
見つめあうネビリュラとユリエッティの傍ら、心底同意するとばかりに頷きながら、それはそれとしてやたらめったら赤い小瓶を差し出すムーナ。
「…………辛い」
もにょぉ……と顔をしかめつつも、ネビリュラの口が止まることはなかった。
「うーん……雰囲気◎!!!!!」
「急に耳元で叫ぶのはやめてくださいなチェリオレーラ」




