第51話 チカチカ瞬く
こちら、本日二話目の更新になります。
「このチェリオレーラはですね、騒乱と変遷とゆりえってゃをこよなく愛しているんです!」
あの日あの夜、今や遠く離れた“途絶えの森”で小さく騒がしい精霊がそう名乗ってから、かれこれ一年ほどの時間が過ぎた。
森林や山岳部など、とにかくネビリュラが姿を隠しやすい場所を転々とする日々。最初のうちこそギルド側もネビリュラの動向を追っている気配があったものの……各支部の管轄区域を三つほども跨いだころにはもう、その行方を全く把握できなくなったようで、それでようやく三人揃って一安心。
すっかりと野外生活が板についてきたユリエッティとムーナであるが、とはいえやはり、ある程度の物資は人里で調達しなければならない。一定期間冒険者として全く活動せずにいるとギルドからの評価も下がる。だもので時折、小さな町で依頼をこなす。とっくのとうに準A級に戻った二人にしか受けられない討伐依頼というものも案外各所に点在しており、町々の高難度依頼を拾って回っている、という言い訳も一応は立つ。
そんなわけで今日まで続く三人旅、けれども今夜、ユリエッティはムーナと二人だけで町中の安宿に泊まっていた。
ネビリュラは近隣の林めいた緑地に身を潜めている。依頼や物資調達の都合上、どうしても日を跨いでネビリュラと別行動になってしまうときもあり、そして一晩あればユリエッティが街の女なり冒険者なりを宿に連れ込むこともままあるのだが(そういうとき、ムーナはいそいそと隣室を押さえて聞き耳を立てる)……とにかく、今宵は新たな犠牲者が出ることもなく。上だけ寝間着を羽織りなおし身を起こすユリエッティの隣では、素っ裸のままのムーナが、シーツに包まって丸くなっていた。
「ふふ……」
小さな寝息を立てる恋人の獣のほうの耳にゆっくりと触れる。ユリエッティの指遣い一つで性感帯にもなり得るそのとんがりも、今は穏やかに脱力し撫でられるに任せている。しばらくのあいだ指を通し、ムーナの眠りをより穏やかなものにしてから──ついでに髪も軽く梳き、おまけに頬もひと撫でふた撫でしてから──、ユリエッティは静かな動作で虚空へ右手を伸ばした。
「ぴぃっ」
ゆるく握り込んだ拳の中には、光球のような人型のような、形姿の定まらない小さな存在が一つ。女性の声で小さく叫び、そしてちかちかと明滅している。
「チェリオレーラ」
「あのあの、何度か言ってますけどチェリオレーラ的には推しに認知されているというのは嬉しくもあり畏れ多くもありとっても複雑な心境でしてね、特にまぐわいのあとにそう無造作に引っ張り出されますとビックリして点滅しちゃうんでもう少しなんと言いますかこう……」
──精霊とは、はるか昔に絶滅したとされる人類種よりも高次の種族。その存在は古い古い文献や大陸全土の伝承に記され、けれども実在を断定できるような物証は乏しく、僅かばかり、恐らく精霊が関与したであろう痕跡が発見されるに留まるばかり。だもので研究者の界隈では今日も実在非実在が争われている、そんな存在……というのが、ユリエッティの認識だったのだが。
「気配を感じるのですから、仕方ないではありませんの」
「そこはまあ流石ゆりえってゃという感じですが……」
役者や吟遊詩人の極めて熱心な追っかけをさらに濃縮したような言動からは、伝承に記されたような神秘性など欠片も感じられない。
曰く、精霊が絶滅したのではなく、人類種の中から精霊の声を聞ける個体が激減した。現代に至っては皆無と言ってよいほどに。
曰く、幼少の頃から騒乱と変遷の気配を色濃く漂わせるユリエッティを見つけ、人知れずその人生を見守ってきた。
曰く、その星の巡りが満ち始め、ユリエッティが波長の近しいチェリオレーラの声を拾えるようになった。
曰く、触ったり認識可能域に引っ張り出したりできるのはちょっとよく分からない。ゆりえってゃすごい。やっぱゆりえってゃなんだよなぁ。
独特の言い回しが多く完全に理解できた訳ではないが、一年かけて引き出した情報は概ねこの程度。
幼少期のユリエッティのエピソード(齢10にして師匠を押し倒した、等々)を知っていることから、少なくとも自分の人生をつけ回していたというのは間違いないだろう。そう認めた辺りでユリエッティは、チェリオレーラに遠慮することをやめた。チェリオレーラ自身も「もうほんとに全然、敬称とかつけなくていいので! あの、ほんとに、あれですあれ、このチェリオレーラのことは宙を舞う埃だと思って、“無”だと思っていただいて!」などと意味の分からないことを叫んでいた。
(まあ外見は何度見ても、伝え聞く精霊のそれと一致していますものね。外見は)
なにより、ユリエッティを介さなければ何者にも感知されないという特徴は、他のどの種族にもモンスターにも当てはまらない。だもので、それが真であるかはさておいて、本人が精霊と名乗るのならそう扱っておこうと、ムーナ、ネビリュラと三人で決めたのは割合すぐのことだった。
受け入れるのが早すぎるというのは他ならぬチェリオレーラの意見だったが……今よりもずっと弱かった幼少期のユリエッティに対して、舐め回すように見つめていた以外は何ら危害を加えていないというのも、ひとまずの信用ポイントになり得た。
ネビリュラは「気持ちわる……」とドン引いていた。そのネビリュラという“対話可能な未知の存在”の前例があることも、チェリオレーラを受け入れられる要因の一つになっていたのだが。
「てゃはもうちょっとですね、精霊という、推しの前ではチカチカ瞬くだけの存在になってしまう儚き種への労りというものをですね……」
こちらを推し──精霊言語で“天地遍く森羅万象に一つとして並ぶもの無き尊く最上の存在”というような意味らしい──などと呼ぶわりには注文が多いというか。とはいえそこも、可愛いと思えば可愛いというか。最近はそんな心持ちも抱きつつ、ユリエッティは握ったままの右手をもぎゅもぎゅと蠢かせる。
「ぴっ、ひっ、ひぃぃいい……!」
「静かに、ムーナが起きてしまいますわ」
その特異性で認知するなは無理があるだろうというユリエッティの主張と、普通は認知できないものなんですようわぁやっぱすげーやてゃはというチェリオレーラの主張は、この一年のあいだ永遠に平行線のままであった。




