第44話 『風睨竜』討伐
さらに数日ののち。
小山脈のドラゴンが“途絶えの森”を目的地としていることはもはや疑いようもなくなり、レルボたちは森の外縁北側でそれを迎え撃つ算段を立てていた。密かに動向を監視しそれを把握していたユリエッティとムーナも同じく。
「──到達予測時刻はもう少し先だが……今回のはなりふり構わず突っ込んできてるらしいからな。探知魔法は前方に集中させとけ!」
「はいボスっ!」
薄雲に覆われた空に雨の匂いはない。禁止区域のそばということもあり道の一本も通っていない平原で、背の低い藪の只中でレルボが声を張り上げ、部下たちに指示を飛ばしていた。ユリエッティとムーナはそれを森の中から窺っており、背を向けている男たちが二人に気付く様子もない。
「……空から魔力の塊が近づいてきてる……気がする」
「わたくしにはさっぱり感知できませんわ」
「そう? デカいし特徴的だから分かりそうなもんだけどな」
エルフ耳をピクつかせながら空を眺めるムーナに、ユリエッティは肩をすくめて返す。ムーナの魔力探知能力がよほど優れているのか、元来ドラゴンとはそれほどまでに強大な存在なのか。きっと両方なのだろう……などと考えながらレルボらを眺めること少し、やがてそのうちの一人、魔法師らしきローブの男が声をあげた。
「っ!探知に引っかかりましたっ……速っ、すぐに目視圏内まで来ますぜっ!」
男が指した中空の一点はやはり森の正反対側、ムーナが視線を向けていたのと全く同じ方角であり。レルボらも各々の武器を構え、そちらの方を睨みつけた。先には僅かな丘陵の起伏や、遠く向こうにある町の小さな影があるのみで、視界は──特に空は──よく開けている。ローブの男などは早くも長杖を掲げ、ぶつぶつと何やら唱え始めていた。
「……あーほら、見えてきた」
そんな中で真っ先に声を上げたのはやはりムーナ。指でさすその遙か先へと目を凝らせば……やがてユリエッティにも、豆粒のような小さな点が見えてきた。高度は低く、そしてかなりの速さで近づいてきている。ほぼ同時にレルボたちもその存在に気付いたようで、背中に一層の緊迫感が宿った。
「外すんじゃねぇぞっ……!」
長々と詠唱を続けている魔法師の男へと、レルボが声を張る。男の杖の先には目視できる濃度の魔力が球状に渦巻いており、ユリエッティにもそれが狙撃魔法の類であることが分かる。まずはそれをぶつけて誘導し、『変異粘性竜』と合流される前に討伐するというのがレルボの手立てなのだろう。
「……まだ、まだだ……っ、よし良いぞ撃てっ!」
その全容が窺えるほどに接近したドラゴンへと、ついに魔法が射出される。細く鋭い矢のような魔力塊は軌道を微調整しながら高速で突き進み、そしてドラゴンの腹部あたりへ直撃した──ように見えた。
「纏ってる魔力風に弾かれたけど……まあ、目的は達したな」
恐らく注意を引くような魔法も練り込まれていたのだろう。淡々と実況するムーナの言葉通り、ダメージは無いながらもドラゴンは鋭角に向きを変え、レルボたちのほうへと突っ込んできた。
「散開! 着地点を囲めっ!」
号令とともに、魔法師の男を除いた全員がその場から大きく飛び退る。自身へ害意を示した個体を正確に見抜くドラゴンが、その魔法師を真っ先に狙うと知っていて。
「……!」
ユリエッティらの目にも分かるほどに、男の背中がこわばる。それなりに高位の魔法を放った直後、疲弊や魔力の消費もある中で、見るからに強靭な竜脚が迫ってくるともなれば当然のこと。とはいえ、勿論それも作戦のうちなのだろう。男は懐からスクロールを取り出して広げ、そこに記された使い捨ての魔法を発動した。
「…………っ!」
地面を大きく抉る勢いで着地したドラゴンと入れ替わるように、男は瞬間的な飛翔魔法で頭上へと逃れ──うわぁめちゃくちゃ高かったろうなアレ、などとムーナは漏らし──、そのままドラゴンの後方へと着地する。レルボを含めた六人で取り囲むような陣形。そうやって立ち並べばこそ、改めてドラゴンの大きさが見て取れた。
「でっけぇですわねぇ」
ユリエッティが身を潜める樹木などは優に越えている。くすんだ枯れ草色の鱗に覆われたその巨体は、二人が近隣の町で利用した二階建ての宿をも超えるほどだろうか。太く力強い両脚と翼を兼ねた前腕によって大地を踏みしめ、長い首と長い尾を揺らめかせている。
頭部はやはり爬獣のようでもあり、けれどもトカゲなどとは比べ物にならないほど凶悪な面構えで怒りを露わにするその姿は、まさしくオーソドックスなドラゴンそのもの。そして、だからこそ恐ろしい。
「こうして見るとさ」
「ええ」
「ネビリュラってめちゃくちゃ愛嬌ある見た目してたんだな」
「ですわねぇ」
気の抜けるような会話をしつつユリエッティが目を凝らしてみれば、ドラゴンの周囲の空気が揺らいでいる様子が見て取れた。ムーナが先ほど口にした魔力風、事前に調べた限りでもこの小山脈のドラゴン──『風睨竜』が風に纏わる力を有していることは明らかで。当然、討伐を請け負うレルボたちがそれを知らないはずもない。
「よしお前らっ剥がせっ!」
男たちのうち三人が懐から取り出したスクロールによって、魔力風への対消滅効果を持った魔法が発動する。用途の限定的な(それゆえに流通数が少なく値の張る)アイテムを複数用いたその効果は絶大で、『風睨竜』の纏う空気の揺らぎは確かに失われ、忙しない藪の音も止む。
「大盤振る舞いだなぁ。効果は一時的だろうけど」
「命がけですものね。もっとも、毎回こうも堅実だとは限らないですが……」
もしそうであれば、『九十八眼大海蛇』や『変異粘性竜』の討伐に失敗することもなかっただろう。
メンツ、そしてユリエッティへの敵愾心。それらを原動力にして、この討伐を成功させるために打てる手は全て打っている。先の交渉決裂を経て、ユリエッティにもようやくそれが理解できるようになっていた。
「お前らヘマすんじゃねぇぞっ!!」
高圧的なレルボの号令。しかしそれをかき消さんばかりの、高低入り混じった独特な咆哮が、凪いだ平原を再び震わせ“途絶えの森”の木々をも揺らす。発情期で気が立っているところに、目当ての雌まであと一歩のところでちょっかいをかけられ、さらには自身の司る力をもかき消された。当人にとっては当然の、より一層の怒りを宿して、『風睨竜』が暴れ出す。
(……しかし実際、ここまでの手際を見るに、問題なく討伐できそうにも思えますが……)
いらぬ心配だったかと少しの安堵を滲ませながらも、ユリエッティは荒れ狂う竜の眼を注視していた。




