第40話 身の上話
「──という流れで、ヨルドへ移り住んできたのですわ」
ユリエッティとムーナが自身らの話をネビリュラに語って聞かせたのは、共同生活が始まって一週間ほどが経ったタイミング。その頃になればネビリュラもテントが近いだのと文句を垂れることもなくなり、また同時に、二人の身の上にも関心が湧いてきたようで。すっかりお馴染みになった三人での夕食後、火を囲んだ夜空の下で、ネビリュラのほうから話を切り出したのが発端であった。
「……国を跨ぐのも、大変」
焚き火とランプ、両方の明かりに照らされた手元で縫い物をしながら、ネビリュラはポツリとこぼす。糸と生地はユリエッティがアドビュラの店で買ったもの。もうずっとモンスター皮ばかり触っていたネビリュラは、その土産をありがたく(表面上は渋々礼を言いながら)受け取っていた。
「そうなんですのよねぇ」
「こっちからあっちに戻るのは、たぶん簡単だろうけど」
隣国ヒルマニアについてほとんど何も知らなかったネビリュラにしてみれば、二人の故郷の話は新鮮でもあり、しかし同時に、抱く感想としては「窮屈そう」といったところ。ムーナは即座に「いやアンタの生い立ちほどじゃない」などと返していたが。そしてその生い立ちが三者出揃えば、思うところもあるわけで。
「……ワタシたちみんな、家を追い出されてる」
「まあ、わたくしはほとんど自分の振る舞いのせいなのですけれども」
「アタシは自分から出ていったんだけど」
「……同じようなもの」
なぜか“自分のほうは大したことじゃない”と言いたげな顔をしているユリエッティとムーナに、一度縫う手を止め、じっとりとした視線を向けるネビリュラ。いやさ二人にしてみれば、親に死を願われ今も命を狙われているネビリュラこそ飛び抜けて悲惨な境遇にいるわけなのだが。なんならユリエッティなどは、二人に比べれば自分ははるかに“軽い”とすら考えていた。
「確かに、ムーナとネビリュラさんは割合近い境遇かとは思いますけれども……わたくしはほら、もっと上手に立ち回れていれば追放は免れたでしょうし」
「無理だろ。だってユリの女好きって、生まれつきのものなんだろ? アタシのコレと同じで」
猫耳とエルフ耳の両方を指しながらのムーナの声は、一分も揺るがない確信に満ちていた。
「それはそうですけれど……ほら、ちょっと自重していれば──」
「いーや無理だね。アンタがそんなお利口ちゃんに振る舞えるわけがない」
「そんなぁ……」
何も言い返せない。父親から、せめて反省した、真っ当になった素振りだけでも見せろと言われそれすら突っぱねた末の追放処分なのだから、ムーナの言い分が完全に正しいことは疑いの余地もなかった。
そも、自重しなかったがゆえにヴィヴィアと、巡り巡ってムーナとも恋人になれたのだし。そして今、ネビリュラとも仲良く(少なくともユリエッティ目線では)なれているのだし。本当に“もしも”が有り得ただなんて、ユリエッティ自身も思っていなかった。ただひとえに、二人と比べれば振る舞いによる自業自得の面が大きい、と言いたかっただけで。
「……そんなに女癖が悪い?」
「ああ、かく言うアタシもその被害者の一人」
「あらあら、恋人になりたいと懇願してきたのはムーナのほうではないですの」
「うっせ」
「惚気?」
「違うが」
「惚気ですわ〜」
どう見ても惚気であった。けれどもネビリュラの胸に不快感はない。
母親は常に父に当たるモンスターを恨んでいた。忌避していたとも言える。それ以外の形の恋仲というものをネビリュラは見たことがなかった。だから漫然と、仲が良いならそれに越したことはないだろうと、そんなふうに二人の話を聞いていた。針を通す手元には何の狂いもない。形勢不利と見たムーナは、そのネビリュラの手つきに視線と話題を逸らす。
「し、しっかし凄いなその……手つきというかなんというか……」
「逃げましたわね。いえ、凄いことは間違いないですけれども」
「……そう?」
澄まし顔のネビリュラにとってはごく普通のことなのだろう。しかしその両手十指と尻尾まで使った手技は、裁縫に疎い二人にも尋常ではないと分かるほどのものだった。
「お母さんは魔法でこれと同じ……これ以上のことが出来てた」
淡々と語りだしたネビリュラ曰く──アドビュラは一品物を拵える際はミシンすら用いずに、手縫いを魔法で補助する古いやり方を好んでいたという。時間はかかるが、技量と魔法の精度が高ければそちらのほうが質は良くなるから、と。タイムパフォーマンスを軽視しているのは長命種らしい価値観ではあるが……とにかく、手ずから教わった娘もその方法を継承していた。全く同じではないにしろ。
「ワタシは魔法使えないから。代わりに、こう」
言いながら、ネビリュラの指先がぐにゃりと蠢いた。骨を持つ生物にはまず不可能な指を伸ばす・広げるといった仕草で布地を支え、細かく向きを調整し、尋常ならざる手つきで上へ下へと針を自在に泳がせている。生地の一部を尾に巻き付け、時折引っ張ったり緩めたりしているのは、布の張り具合の調整だろうか。なんなら、自身の手の甲を針山にもしていたり。
ドラゴンにしては小型とはいえ当然ながら通常の人類種より大きな体躯、となれば手指のサイズもそれに準じているはずなのだが。針仕事をこなす繊細な手つき。半流体がゆえのたおやかさ。それらがユリエッティに与える印象はやはり“女性らしい”という一点だった。
「魔法による補助を、身体で再現してる、と」
「そう」
「正直よく分からん……」
アドビュラはネビリュラの服の縫い目を「ワタシのと似てる」と評していた。ユリエッティの目にも、似たようなクセが見て取れた。しかし一方でそれが全く同じではなかったのは、ネビリュラが自分にしかできない手法を用いていたからなのだろう。あるいはそうまでして、母に教わったことを活かし続けている。
「大したものですわねぇ……」
「……そう」
まじまじと見られる機会など今までなかったためか、そう、としか言わなくなってしまったネビリュラの手元は、しかしやはり少しの狂いもなく。暖色に照らされるそれは、しばらくのあいだ雑談の華となっていた。




