第37話 夕餉
そうこうとしているうちに、流れで夕食を共にすることになった二人と一頭。ぶつくさ言いながらもネビリュラがそれを拒まなかったのはやはり、ユリエッティたちから敵意を感じなかったからなのだろう。母親の話で気が緩んだ隙をユリエッティが見逃さなかったから、というのもあるのだが。
とはいえ、二人がネビリュラという存在に悩んでいるのと同じように、ネビリュラもまた二人の態度に困惑している。互いがそれを感じ取りながらの夕餉は、探り合うような微妙な空気を夜闇に漂わせていた。
「…………」
「…………」
「…………」
焚き火にかけられた鉄鍋(ネビリュラが以前に返り討ちにした冒険者の忘れ物らしい)の中身は、干し肉や、森に自生するいくつかの木の実・根菜をすりつぶして練った団子などが浮かぶスープ。ネビリュラのいつもの夕餉であるそれに、今日はユリエッティらが持ち込んだ調味料が加えられ、さらには白パンまで添えられている。木彫りの器によそったそれを、少なくともシルエットはドラゴンな存在が行儀良く座って食べる姿というのは、やはり異様なものではあった。
「……いつもより、美味しい」
「それは良かったですわ」
ネビリュラが一口食べるごとに、具もスープも体内で数秒のうちに溶け消えてなくなるのが傍目に見ても分かる。まるっきり、雑食タイプの粘性生物の特徴。ムーナはその様子を、ユリエッティは細長い尻尾がゆっくりと揺れているさまをついつい目で追ってしまい、ネビリュラもまた、見られていると知りながら澄まし顔を貫く。飯が美味いことに免じて。
「……なあ」
「なに」
「服とかテントとか、その食器とかも、全部自分で作った……んだよな?」
「町で買い物ができるように見える?」
「いや、逞しいなと思って」
縫い物はアドビュラが教えたと言っていた。実際、素材の良し悪しは別として、服やテントの天幕などの出来は見事なものである。ユリエッティが看破したように、縫い目に母親と同じクセも見受けられる。一方で木彫りの器や丸太を加工した腰掛けなどは、それらに比べてやや作りが荒いように見えた。専門的なノウハウがあるわけではなく、とにかく必要だから作ったという風合い。勿論、実用には十分耐え得る代物ではある。
(“無いものは作る”という意識が根付いていますわね)
どんな人類種のものとも違うネビリュラの服を、初めて作ったのもアドビュラ。必要なものは自分で作るという母親の考えを、ネビリュラは服飾に留まらず受け継いでいる。でなければ、冒険者から逃げ続ける毎日の中で、こうまで文化的な生活は営めなかっただろう。アドビュラはネビリュラを捨てたが、しかしアドビュラの教えがネビリュラを生かしているのも確かだった。
(確かにこれが五歳児の所業だと言われれば、慄いてしまうのも無理はないかもしれませんが……)
知性・精神性が人類種に限りなく近く、だからこそ僅か四、五年でそれが成熟していることが恐ろしい。アドビュラが抱いていた恐怖の理由を改めて目の当たりにし、しかしそれでも。
「……食べ終わったら、さっさとどこかに行って。泉の近くは、夜はやめておいたほうが良いと思うけど」
二杯目をよそいながら言うネビリュラの言葉で、ユリエッティの意識が浮上する。やはりネビリュラが求めているのは、人類種と関わらない静かな生活なのだろう。当然だ。関わっても碌なことにならないと、本人が理解しているのだから。少なくともユリエッティには、声音や眼差しでそう読み取れてしまう。一方で瞳の奥に一抹の、物寂しさが見え隠れしていることも。
“いつもより美味しい”と、確かにそう言っていたのだ。だからユリエッティは、自身も二杯目をよそいながら返した。
「ええ、今日のところは」
「今日も明日も明後日も、ずっとって意味」
「こちらとしては、そうはいきませんの」
「…………」
はぁ、とため息をつく仕草までもが人間臭い、いや、くたびれた女性らしい。
「……じゃあもうなんでも良い。また逃げるだけ」
力ずくで追い払うでもなく、あまつさえ正直に逃走の宣言すらしてしまうネビリュラ。こうして共に夕食を囲んだことで、多少なり警戒は薄れている。それを確信したユリエッティは、小さな笑みを浮かべた。鷹揚で優美な、横目に見ていたムーナが(あーいつものやつ)と思ってしまうような、そんな笑みを。
「まあまあ、それは早計というものですわ」
「何が」
「この危険区域内に留まって、わたくしたちが討伐を請け負っている限りは、他の冒険者がちょっかいをかけてくる可能性は低いですわ。そして見ての通り、わたくしたちは少なくともすぐに貴女をどうこうするつもりはない」
「……油断させようとしてるだけかも」
「そんな回りくどいことをせずとも、二人がかりでなら正面からでも狩れますわよ」
あまりにも悪びれずに言うものだから、ネビリュラどころかムーナですら一瞬、じっとりとした目を向けてしまう。二人分の冷ややかな視線を浴びてもまるで意に介さず、ユリエッティは微笑み続けていた。
「わたくしは見極めたいのですわ。貴女という存在を、わたくしたちが貴女とどう向き合っていくべきなのかを。だから今しばらく、時間が欲しいのですわ」
「……その代わり、他の人達には手出しをさせない」
「ええ、ええ」
ああそれから、と、ほとんど空になった鍋を目で指し、ユリエッティは言葉を続ける。
「今日のように、食事もまたご一緒させていただきたいですわねぇ」
美味いものを食う。それは人にしろモンスターにしろ、どんな存在であっても抗いがたい魅惑。わざわざ調理までする者であれば、なおのこと。ネビリュラの赤暗い瞳が揺れ、尻尾も揺れ、体表すら僅かにさざめいたのを、ユリエッティは見逃さなかった。こりゃもう任せちゃって良いなと、ムーナは鍋に残った最後のひとすくいを自分の器に移し始めた。三杯目である。
「…………アナタは凄く、我儘なことを言っていると思う」
「自覚はありますわ。我が強いのは、わたくしの悪いところですわね」
「……でも、本当に逃げ回らなくて済むのなら、それに越したことはない」
「ええ」
「食事も、美味しいほうが良い」
「ええ、ええ」
また一拍、二人は沈黙した。ぱちぱちと火の爆ぜる音、ムーナがスープを啜る小さな音だけが聞こえる。こっちの四つ耳も大概図太いなと、そんな視線を一度だけ向けたのち、ネビリュラはユリエッティへと再び向き直った。くたびれ気味な、けれども柔らかな目尻がユリエッティの目を惹く。
「……だから、暫くのあいだくらいは」
「ふふ、ありがとうございますわっ」
何やらふんわりと、協力関係のような再会の約束のような、そんなものが交わされた。
白パンの最後の一欠片を口に入れ、スープを飲み、それらが体内ですぐに吸収されていくのを感じながら、ネビリュラは一息つく。少しだけ雰囲気が柔らかくなったように、ユリエッティには感じられた。
「……そういえば。最初に会った時から思ってたんだけど」
「なんですの?」
「アナタ、面白い喋り方ね」
「昔からの癖ですわ」
──そうして食事を終えたのち、ユリエッティとムーナはネビリュラの元から離れていった。木々を挟み茂みを挟んで、互いの姿はもう見えず。しかしなんとなしに気配は感じられるような、そんな距離で自身らのテントを張り。夜も更けきらないうちに、今日はムーナのほうから先に眠りについた。




