第36話 探索と発見
結局、夜が明けるまで特に異変もトラブルも起きることはなく。謎の声の正体も分からずじまいで、やはり気のせいだったのかとユリエッティも自分を納得させた。
そんな、朝霧がうっすらとかかる中で始まった二日目の探索。小規模とはいえ森は森、たった二日でその全てを調べ上げることなど勿論できはしない。最深奥までの探索ではなく、今回はあくまでも、これまでよりも深く踏み入って手がかりを探すといった塩梅。そんな中でムーナが聞きつけた僅かな水の音を辿り、小さな泉のような場所を発見できたのは、まさしく幸運といえた。
「水場……」
「ああ、それにほら」
湧き水によるものであろう泉のふち、ムーナが指さした先には微かな足跡があった。無秩序に残るモンスター共のものに混じった、ブーツの底のような足跡が。自分たちのそれと比べても、明らかに大きな足跡が。
「……間違いありませんわね」
背負った大きなリュックから以前回収したネビリュラのブーツを取り出し、その足跡へとあてがうユリエッティ。細かな形は違うが大きさは完全に一致している。この森の中でこのサイズの、靴による足跡となれば他に該当する存在はいないと考えて良いだろうと、二人は顔を見合わせて頷いた。
「うっすいけどまあ、追えなくはないな」
「ええ」
ムーナは目を凝らして足跡を辿り、ユリエッティはついて歩きつつ周囲の警戒。そんな役回りで二人は、ネビリュラのものと思しき痕跡を追っていく。足跡以外にも、枝葉の微妙な折れや、採取中に落としたと見られる不自然に地面に転がった果実など。それらは自分たちが来たのとは概ね反対方向、つまりより森の奥へと続いていた。
この時点で、早朝から始まった二日目の探索ももう昼と夕暮れの中間の頃合いまできていた。夜になればこれ以上の森歩きは難しく、三日目は帰路に当てられる。できることならこの痕跡は逃したくない。そんな思いから二人はより精力的に歩を進め、そして遂に、それを見つけた。
「…………テント、だよな?」
「テント、ですわねぇ」
少し開けた空間で、周囲の木々も利用して設営されたそれは、どう見てもテントだった。なめしたモンスター皮、骨、丸太などで構成された野性味あふれる外観は、しかし同時に誰かに拵えられた物であることをこれでもかとアピールしている。そのサイズはムーナとユリエッティの感覚からするとかなり大きく、また近くには焚き火の跡なども見て取れた。なにより付近の地面は、あのブーツの足跡で踏み均されている。
「……これはまた随分と」
「逞しいな……」
身を伏せて茂みに隠れつつ、驚くやら感心するやら同時にどこか納得もするやら、目を丸くするユリエッティ。ムーナも同意しながら、耳を向けて様子を探る。
「……多分、中にいるけど……どうする?」
「…………」
思案するユリエッティの視界の端々に、赤みを帯びた木漏れ日が見えていた。脳裏には、こちらに全く攻撃を仕掛けてこなかったネビリュラの姿が。また同時に、一目散に逃げていく後ろ姿も。ムーナの、判断を仰ぐような視線も感じる。少し考え、もう少し考え……そして彼女は選択した。
「……ひとまず、返すものを返しましょう」
「……りょーかい」
そう言ってユリエッティは、リュックからネビリュラの衣服とブーツを取り出す。そのまま立ち上がり、ゆっくりと茂みから身を晒して。少しだけ進んだところで足を止め、大きく息を吸った。
「──ネビリュラさーんっ。わたくし、二ヶ月ほど前にお会いした冒険者ですわーっ。覚えていらっしゃるかしらーっ。あの時はいきなり襲いかかってしまい申し訳ありませんわーっ。服と靴をお返ししたいのですわーっ。あとできればちょっとお話とかもしたいのですわーっ」
「ですわー」
構えも取らず返却物を掲げながら、離れた位置からそう声を張り上げてみる。ムーナも隣に立ち、剣は背負ったまま両手を上げて追従。
「どうかご一考お願いいたしますわーっ」
「ますわー」
「…………」
「…………」
少しの……いや、それなりに長めの沈黙が、テントの周囲に漂う。
「…………何なの」
かと思えば、おっかなびっくりといった様子でスライムのようなドラゴン──ネビリュラが、テントから顔をのぞかせた。
◆ ◆ ◆
「……ここのところ、前の人達は追ってこなくなった。あなた達が引き継いだっていうのは、本当」
「ええ、まあ」
日もほとんど暮れかけ、薄暗くなってきた森の中で、三者が焚き火を囲んでいる。
ユリエッティとムーナは持参した小さな折りたたみの腰掛けに、ネビリュラは倒木……を少し加工した椅子のようなものに座りながら。その慣れた様子から、普段使いしていることが窺えた。
「そのあなた達がまた来なければ最高だった」
「そういうわけにもいきませんの」
未だ警戒は解いていないのか微妙に距離は空けつつも、ちゃっかりと返された衣服は受け取ったネビリュラ。今はそれとはまた別の前閉じのベストと短パン、ブーツを組み合わせた格好をしている。どちらもやはりモンスター革製で、それとなく眺めるユリエッティに(もしや……夏のへそ出しスタイルですの?)などと思わせた。へそは見当たらなかったが。
「……問答無用で襲ってくるよりは、ましだけど」
「あー、とりあえずはな……」
正直なんにも考えず狩っちゃったほうが楽だったかもしれないけど……とはムーナも口には出さず、曖昧に頷くのみ。それをじっとりと睨めつけるネビリュラの目付きは、最初に遭遇したときよりも多少は健康的になっているように見えた。ああなるほど、目尻の形なんかも母娘らしい。ユリエッティがそう気付くほどに。
「……貴女のお母様、アドビュラさんに会ってきましたわ」
「……そう」
不意に切り出したユリエッティに対し、ネビリュラの反応は小さなもの。前回のやりとりと、こうして間を空けて話し合いに来たという現状だけで、その可能性も思い浮かべてはいたのだろう。やはり、人類種と遜色ない知性が感じられる。そして同時に、五歳にしては成熟しすぎているとも。だから知らず知らず、ユリエッティの振る舞いは段々と──戸惑いは消えずとも──、一人前の女性と接する時のそれへと近付きつつあった。
「貴女の生い立ちも聞かせていただきまして……正直、迷っていますわ。討伐など、しても良いものかと」
「正直すぎる。本人に言う? 普通」
「それはアタシも思った」
「うぐ……どうにも答えが出ないのですわっ」
「ワタシの主張は変わらない。悪い事はしてない。だから放っておいて」
ブーツに覆われた足をぷらりと伸ばす、ゆらりゆらりと尾を揺蕩わせる、そのシルエットは異形のドラゴン。勿論、ヒト種よりもマズルの目立つ顔の形も。
「…………」
「…………」
「…………お母さん、元気そうだった?」
「あー……ええ、まあ」
「そう、良かった」
けれども淋しげに微笑む表情は、ユリエッティらの目には、あまりにも人間らしく映っていた。




