第31話 『変異粘性竜』
「おい、しょっと」
危険区域の森へ到着してから三日目の午後。
キィキィと弱々しく鳴くムカデのようなモンスターに、ムーナは剣を突き立ててとどめを刺した。先に襲いかかってきたのは人間サイズのそいつのほうなのだから、慈悲を与える余地などはまったくない。討伐対象のドラゴンを探すこの三日間で二人は何度かモンスターに襲われ、その尽くを返り討ちにしていた。
「どいつもこいつも凶暴ですわねぇ」
「立ち入り制限されるだけのことはあるな」
「ええ、雰囲気からして他と違いますもの」
規模としてはそう大きくもない森。しかし苔むした不気味な雰囲気や、見たことのない実をつけた樹木など、今までに踏み入ったことのある森林とは明らかに違う。自然環境はヒルマニアとそう変わらないはずのヨルドにこのような場所があることに、ユリエッティは少しばかり驚いていた。
幸い生息するモンスターたちに特異個体などは見られず、既存の種が凶暴化しているような状態。虫系や四足動物系、植物への擬態系など種別こそいくつか見られたがどれも個体数は少なく、遭遇する頻度自体がそう多くない。だもので二人も、警戒はすれども危なげなく探索を続けられていた。
「っても、さすがに“途絶えの森”ってのはちょっと大げさな気もするけど」
「それはわたくしたちが十分以上の自衛能力を備えているから言えるのですわ」
「まあそりゃそうか」
近隣で昔から言い伝わっている呼び名は、力を持たない者たちからすれば誇張でもなんでもないのだろう。事実として周囲の村の住人たちはまず森へ踏み入ることはせず──そもそも共和国政府により立ち入りが制限されており──、ときおり政府所属の調査団らしき者たちが訪れる程度だという。
「とはいえこの感じですと、森の中で夜を過ごすのもありかもしれませんわね」
「奥まで探すんならそのほうが良いだろうしな」
最初のうちだからと慎重を期し日帰りで付近の村に戻ってはいるが、討伐対象が見つからないのであればアプローチを変える必要も出てくる。このくらいの危険度であれば、短期間なら野宿も不可能ではないだろう。勿論、森が持つ夜の顔も確かめてからの話にはなるが……
とまあ、小さな声でそんなやりとりをするユリエッティとムーナ。
探索を再開した二人が件のドラゴンを発見したのは、それからわずか数時間後のことだった。
◆ ◆ ◆
「──ストップ、なんかいる」
獣耳を震わせながらムーナが囁き、二人は一度足を止めた。
「音が今までのやつらと違う……粘性生物っぽい」
『変異粘性竜』と呼称される討伐対象の特徴に合致している。気を引き締め、グローブに覆われた両手を開閉させて具合を確かめながら、ユリエッティは静かに歩みを再開したムーナについていく。音を立てずに歩くこと少し、やがて彼女の耳にも、重量がありそれでいてすこし水っぽい音が聞こえてきた。
「……この先」
ほとんど吐息のような囁きとともに、しゃがみ込んだムーナがゆっくりと茂みをかき分ける。すぐ後ろから覗き込むユリエッティの視界に入り込んできたのは、木の実(こちらは他の森でも見覚えのあるもの)を腕いっぱいに抱えて歩く、資料にあった通りの存在だった。
『変異粘性竜』と、どちらともなく口の中だけで呟く。
翼のない前傾二足歩行。地面から頭頂部までを見ればそう大きくもなく、ユリエッティよりも頭二つほど高い程度だろう。しかし後ろ足はしっかりと安定感があり、全体的にはすらりとした体躯ながらも力強さを感じさせる。
一方で牙や爪、何より鱗といったドラゴンらしさは見られず……代わりにその体全体は、スライムに代表される粘性生物のような特徴を備えていた。薄暗く半透明な赤色の、形を保った液体を思わせる質感。手の先はドラゴンの中では珍しい五本指でありつつ爪のないシンプルな形状で、尻尾などは尾というよりもむしろ長い触手のようですらある。反して短めな首の先に乗った顔も、多少はドラゴンめいた刺々しさや角のようなでっぱりがあるものの……その全ての先端が丸く柔らかく、あまり威圧感がない。
「…………」
「…………」
ドラゴンとスライムのあいの子のような生物。まさしく粘性竜という名称が似つかわしい変異個体。しかしそれ以上に、その存在には二人の目を引く特徴があった。
(……服着てね?)
(ええ、着てますわね……)
アイコンタクトに困惑が混じる。外見は貰った資料と完全に合致している。知性の高さを示す特徴として“他のモンスターの素材等を用いたであろう外皮を纏っている”という記載もあった。だが実際に目の当たりにしたのは──首の下から尾の根本辺りまでを覆う、どうも縫製までされているようにも見えるそれは。ブーツのように足を包み込む、しっかりとした作りの履物は。少なくともユリエッティたちの目には外皮ではなく“衣服”のように映っていた。
勿論モンスターの中にも、皮や人間から奪った布切れなどを体に巻き付ける程度の知能を持った種はいくつか存在する。とりわけドラゴンの類は高い知能を持っているともされる。だがしかし、ここまで明確に被服と呼べる行為をするものなのか? これ知性が高いってレベルか? と、ムーナは首を傾げた。それに反応したわけでもないだろうが、『変異粘性竜』がゆったりと無造作に首を揺らし。
「あ」
知らず体を前のめりにしていたユリエッティと、視線があった。
「っ」
体色よりも濃く暗い赤色の瞳は、ドラゴンという恐ろしいイメージからはかけ離れた、目尻の柔らかな物憂げなもの。それでいて憔悴したような虚ろな光をたたえている。
──女性的ですわね。
と、ユリエッティは直感的にそう思った。もちろん資料には“雌”と性別が記載されていた。だがそうではなく、それこそまるで疲れ切った人類種の女性のような、今までに幾度か見たことのある目付き。
さしものユリエッティも、完全に動きが止まってしまっていた。資料の情報通りでありながら、あまりにも事前のイメージとは違う存在が目の前にいるのだから、仕方がないと言えば仕方がないのだが……しかし目があった状態でそんな隙を晒してしまえば、当然、初動を相手に譲ってしまうことになる。
命のやりとりをする場においては致命的なその一瞬、準A級冒険者が駆り出されるほどのモンスターである『変異粘性竜』は、全身を一気に波立たせ。
「ひぃっ……!」
小さく引き攣るような、あまりにも人間臭い悲鳴をあげて逃げ出した。




