第100話 ユリエッティ・シマスーノ
また少しの日が経ち、その夜は久方ぶりに、ヴィヴィアがユリエッティの寝所を訪れていた。
双方の公務の折に顔を合わせること自体はそれなりにある二人、けれども、特にここのところは両者とも忙しく、夜を共にするのは中々難しく。どうにかタイミングを合わせられた今この時間を、ベッドの上で身を寄せ合って謳歌する。
「改めて、先日はお疲れ様です、エティ」
「ふふ、いえいえ……と言いたいところですが、確かにちょっと疲れましたわ」
膝を軽く立てて座り、その足のあいだに向き合う形でヴィヴィアを抱き込みながら、ユリエッティが笑んで言う。
ついに正式に始まり、その第一回目として王都の住人たちを対象とした追加解呪を、ユリエッティは二日前に終えたばかりだった。数日かけて行われたそれによって、王城の戦いでの解呪からこぼれた王都民のうち四分の一ほどが呪いから解放された。まずは今後数回に分けての王都民の完全解呪を最初の目標とし、その予後調査なども踏まえつつ、やがては国民全体の解呪へと手を広げていく……というのが、ネルヴォラニアの計画。
王城執務室で見せた超大規模な解呪は、術者と呪いに蝕まれたままの王族という二つの条件が必要であり、現状それを再現するのは難しい。であればやはり、取りこぼされた者たち一人一人にユリエッティが触れ、追加の解呪を施していくしかない。ユリエッティの体力の消費も鑑みつつ、少しずつ、けれども確実に、ことは進んでいた。
また、第一回の追加解呪完了に合わせて、ネルヴォラニアの正式な女王即位も公表された。
国が、国民全てが呪われていたという衝撃はまだ民たちの心に残っているが、それでも追加解呪の成功と、それを迅速に手配したネルヴォラニアの即位は、確かな吉報としてヒルマニア国内を駆け巡った。
その裏で、キシュルを実験台にファルフェルナが解呪を身につけようと励んでいるのもまた、知る者にとっては期待の持てる話。とはいえ、キシュルの力が戻ってしまえば言わずもがな危険なため、期限付きではあるが。
「アレの処刑も無事に確定しましたし……はっきり言って一安心ですわね」
「本当に」
度重なる協議の末、やはりキシュルは極刑に処すべきと両国の意見は一致した。彼を元首と据えていたヨルドも、隣国への非道な行いに国民への欺瞞、一つ間違えば自国にまで難妊体質が伝播していた可能性まで鑑みれば、かの男を許すことなど到底できないという結論に達したようであった。
万が一にもヨルドがキシュルを庇い立てするようなことがあれば、国家間の関係はいよいよ危ういものになっていた可能性が高い。そこを乗り越え、両国政府ともどうにか一息といったところ。
「今度こそ、ヒルマニアとヨルドが本当の意味で手を取り合えれば良いですわねぇ」
「ええ。国民感情もありますし、難しい状況ではありますが……そこをどうにかするのも王侯貴族の役目」
「ふふ、すっかり為政者の顔になって」
「お姉様に任せきりではいられません。微力ながら、わたしも手を尽くさないと」
現状、ヒルマニアの国政中枢はたった二人だけの王族を軸に動いている。ヴィヴィアの多忙ぶりは、その近くにいるユリエッティだからこそよく分かっていた。ヴィヴィアが身を粉にして励む、その理由の一端も。
「父と兄の過ちは、わたしとお姉様の振る舞いと成果で正していかねばなりませんから」
父と兄。あらゆる供述を引き出し終え、ついに斬首の日程が確定した親族二人を口にした瞬間の、ヴィヴィアの物憂げな表情をユリエッティは見逃さなかった。
「……ええ。わたくしもできる限り力添えいたしますわ。他の貴族諸侯皆々様だって。市井の者たちも皆、きっと」
ユリエッティの兄バルエットの絞首刑はすでに執行されている。追放前から奔放なユリエッティを嫌いほとんど交流のなかった兄、キシュルに与するという愚かな選択をした彼への情など残ってはいなかったが……けれどもやはり、肉親が極刑に処されること、血を分けた兄弟がそれほどの愚行に走ってしまったことそのものへのやるせなさはぬぐえない。刑の執行の瞬間に見た、父のほんの一瞬の悲しげな表情も。
あれをヴィヴィアとネルヴォラニアも味わうのだと考えればなおのこと、ユリエッティの心はきゅうと窄まる。知らずヴィヴィアを抱く力も強まり、胸の内に彼女を抱え込む形に。
「エティ……」
「ぁ、すみませんわヴィヴィア、つい力が……」
「いえ……大丈夫です、このままで」
頬を寄せれば、ユリエッティの胸中も深く読み取れてしまうもの。ヴィヴィアは力を抜いて身を預け、恋人の胸に埋もれる。ほんの少しだけ感傷に浸り、それから努めて話題を変えた。
「……そういえば、先ほどネビリュラさんの様子をうかがってきたのですが」
「あら、ふふ、母子共に順調ですわ」
「ふふ、彼女も同じことを言っていました。しかし透けて見えるというのは不思議でもあり、便利でもあり、ですね」
「ええ、本当に」
ネビリュラのお腹の子は、もうすっかり細部までも見えるほどに育ち、やはり形姿は竜の性質が濃い竜人……のシルエットをした粘人といった塩梅。目はじっと閉じたままときおり身動ぎするその様子を、母二人はもとよりムーナやファルフェルナ、ヴィヴィアも頬を緩めて眺める日々。
「今は何名かの、特に信の置ける侍女たちに、それとなくネビリュラのことを知ってもらっている段階ですわ。出産の際にはもしかしたら、彼女たちの手も借りることになるかもしれませんわね」
「ふふ、楽しみです」
子が生まれることも、正しくネビリュラを知る者が増えることも。
そしてさらには、その先にある一つの、夢のような可能性も。ヴィヴィアは顔をあげ、熱を帯びた声音と瞳で、ユリエッティを正面から射抜く。
「……しかしやはり、ネビリュラさんの子を見ていると思ってしまいます。わたしも、と」
「あら、まあ」
ネビリュラの子とチェリオレーラの言葉。両者を受けて魔力結合生殖の試行を提唱したのは、他ならぬヴィヴィアであり。勿論“果実”の影響から国民を救えればという考えからだが、しかし実のところ、そこには彼女のごく個人的な願望も混じっていた。
「わたしもいずれは、どこかに嫁ぐか、あるいは誰かを娶らなければなりません」
現状、王族が二人しかいないというのであればなおさら。キシュルから望まぬ執着を受けていたことを鑑みてか、今はそのような話は控えられているが……やはりいずれは、とヴィヴィア自身も分かっている。
「次代を繋ぐべく、また、ヒルマニアは呪いに打ち勝ったのだと示すべく。それもまた王族の努め。そしてその相手は、相応の者でなければならない。そうでしょう、救国の英雄様? シマスーノ家次期公爵様?」
「あらあらまあまあ」
「エティ、貴女と再会して思ってしまったのです。やはりわたしは、好きな人と結ばれたいと。本来であれば、王族には許されないことですが……」
「ふふ、わたくしのワガママがうつってしまいましたわねぇ」
そのワガママを叶えられる可能性、それこそが魔力結合生殖なのだと、ヴィヴィアが口に出さず言う。魔法によって生殖を──生命の理を呪うことができるのならば、逆に、魔力によってその可能性を広げることもできるはずだと。
「起こればそれは奇跡です。種族も性別もなく、子を成せる奇跡。ですが」
「ええ、前例はすでに二つ。起こせる奇跡、ですわ。きっと」
「ええ、ええ。してエティ、その奇跡の進捗は如何ほどでしょうか?」
「少しずつですが、進んではいますわ。間違いなく」
エルフ耳を介さずとも、ムーナもファルフェルナも、魔力による干渉を体で感じ取れるようになりつつある。ファルフェルナなどは、そこに自身の魔力を絡み合わせる……つまりまさしく魔力結合を、意図的に引き起こせないかと試行錯誤している段階。受けてムーナも魔法ではない魔力操作、傲握流の基礎にして真髄をファルフェルナから教わり始めている。
「それは重畳。ではそろそろ、ごく普通の……傲握流のほんの触りだけを修めた者も、“実験”に参加しませんと、ね?」
「ふふ……すっかり“実験”という言葉が流行ってしまいましたわね。わたくしたちのあいだで、ですけれども」
ユリエッティは笑みの色を変え、熱を返すべくヴィヴィアを見つめる。腰にうなじにと回した両手の十指には、早くも微量の魔力が循環し始めていた。今はまだ、ヴィヴィアにそれは感じ取れないが、けれどもまさしく、今日までの“実験”で可能性は示されている。
モニタリングという名目で、今日も隣室から四つも耳を立てて盗み聞いているのだろうムーナ。“実験”が進展するたびに「うおぉぉぉぉっ!」「これこそ来たれり人類の変遷!!」「グッド騒乱! グッド騒乱!」「ひゃっほほほっほいっ!!!」などとやかましいチェリオレーラ。一瞬だけ彼女らがユリエッティとヴィヴィアの脳裏に浮かび、けれどもすぐに、互いへの熱に押し流されていく。
「さあヴィヴィア。わたくしの指先に、意識を向けて……」
「はい、エティ……」
結局のところ、お題目などさておいて。
抱き抱かれるその瞬間は、相手のことだけを考えていれば良いのだから。
◆ ◆ ◆
翌、早朝。
早くから公務に励むヴィヴィアを送り出してから、ユリエッティは朝のルーティンをこなす。
自室で目覚ましがてらのストレッチと基礎トレーニング、それが終われば庭に出て、同じく体を温め終えたファルフェルナと軽く拳を打ち合う。まだうす明るい程度の、すっかり冬になった朝の空気も、汗の浮かぶ体には心地良い。
そうしてひとしきり鍛錬を終えてから、一人シャワーを浴びる。
専属の侍女もつけず、けれどももうそれが当たり前になってしまったユリエッティにとっては、なんの不便もなく。交流の再開した元側仕えからは「なんならうちの子を派遣しましょうか?」などと言われたものだが……ともかく、やはり貴族らしからぬかと苦笑しながらも、清めた体で厨房へ顔を出し、いつも通り二人分の朝食を包んでもらう。
持って再び庭に出て、起き出してファルフェルナから傲握流の手ほどきを受けるムーナとも朝のやりとりを済ませてから、向かう先は離れのネビリュラのもと。やはり通常の人類種とは異なるのか、身重とは思えないほどにいつも通り──食欲は増しているようだが──のネビリュラと、そのお腹の子供の様子を窺う。成長速度から予測される出産のタイミングも、もうそう遠くはない。
いつも通り二人に自称聞き専のチェリオレーラも合わさって、来る日の展望を語りながら朝食を終えれば、そう長居するでもなく、けれども名残惜しくも離れをあとにするユリエッティ。これまたいつも通りに四人+一精霊での昼食の約束を取り付け、本邸へ戻りがてら、まだ修練に励んでいるファルフェルナ、ムーナともう二、三言葉を交わし。その後、自室に戻っていかにも貴族然とした格好に着替える。
午前は父とシマスーノ家の今後について、午後は女王らと次の追加解呪について、その合間にも細々と、貴族らしいともいえる予定が詰まっている。ユリエッティとしては、また時間を見つけて冒険者ギルドにも顔を出したいものなのだが。見知った事務受付統括にも会いたいし、なんなら依頼を受けて体を動かしたい気持ちもある。しかしやはり、今は中々それも難しい。
冒険者をしていた頃のような自由はなくなってしまったが、同時、逃げ隠れしていた頃のような切り詰めた生活からも解放された日々。舞い戻ってみて再認識するのはやはり、貴族という生活基盤の安定感。追放前と変わったのは心持ち。この生活を享受するにふさわしい責務を、自分なりの形ではあるが、少しでもこなせているだろうかという前向きな意思。
それになにより、愛する者たちがそばにいる。
究極的には、冒険者だろうが貴族だろうがそれさえ変わらないのならなんだって良い。やはり根っこのところはワガママだと、その自認がユリエッティの中から消えることはない。
さりとて、だからこそ満ち足りて、その足取りは今日も軽く。とはいっても、急かず焦らず鷹揚に。こつりこつりと靴音を鳴らし、ユリエッティ・シマスーノ公爵令嬢は父の書斎へと向かっていった。
本日、このお話のあとにもう一話更新しています。




