第98話 可能性
「──一応わたくしも、“気が引ける”という感覚くらいは持ち合わせているのですけれども」
ユリエッティの私室、ベッドの上で部屋の主とファルフェルナとが言葉を交わす。夜も深まる頃合いに、女二人が寝所で何をするかなど言うまでもなく。しかし珍しく、サラリと上質な生地のネグリジェを纏ったその片割れ、ユリエッティのほうが微妙な表情を浮かべている。
「まあまあ、良いじゃないですか。第一婦人も理解を示してくれていることですし」
ネビリュラが──娶ると決めた相手が子を宿している今ほかの相手と寝るというのは、傍目にはおそろしく不誠実な振る舞いである。ネビリュラのお腹の子供はまだ小さく、けれども透けて見えるがゆえに日々の成長がよくよく分かる。だからこそさしものユリエッティも、気が引けてしまうというもので。しかし今日のお相手、師匠ファルフェルナはまったく悪びれもしないいつも通りの態度。
「それにこれは……いわば探求。新たな可能性の模索。後ろめたいことは何もありません」
“これ、人類種同士にも転用できたら良いんですけどね”
ネビリュラとユリエッティの特異極まる生殖と育っていく胎児を見守るうちに、ぽろりとチェリオレーラの口から漏れた言葉である。やはり人間とはズレた価値観が垣間見えるその台詞は、居合わせていた皆にとっては彼女が精霊であると再認識できる発言であり、そしてヴィヴィアにとってはある種の天啓とすら言える言葉でもあった。その時の王女の反応を思い出しながら、ファルフェルナは言葉を続ける。
「これもまた国の為。次期公爵様として、お国への奉公は大切でしょう? ねぇ、我が弟子よ」
「それは、そうですけれども……」
ヒルマニア国民を蝕む、子の成しにくさ。その根因であるキシュルの呪いはユリエッティの拳によって破壊可能であると証明された。国の向かい行く先は決して暗くない。しかし同時に、かの男が追い打ちのように蔓延させていた精力剤の影響は、まだ民の体に色濃く残っている。
もちろん薬それそのものはすぐに使用中止となり、回収・廃棄が行われている。けれども、果樹園管理者の女から得た情報の通り、原料の“果実”が生物に及ぼす影響は蓄積し、世代を越えて長く残り続ける。百年あまりをかけて国民の体に根を張った難妊体質は、薬の服用を止めたからとてすぐに改善するものでもなく、何代かに渡っては引き継がれてしまう可能性が高い。“果実”の調査は急ピッチで行われてはいるが、それでもその薬害を取り除く術はまるで分かっていないのが現状。だからこそ、国政に携わるものとして、ヴィヴィアはチェリオレーラの言葉に反応した。
「それに、私としても非常に興味深いですし」
魔力結合による生殖は、肉体による生殖とはまるで異なる。肉の体同士では本来混じり得ない二つの種が、破綻せずに次代を成せる。その可能性がネビリュラと、彼女とユリエッティの子という形で示されていた。
“果実”の効果はユリエッティの拳でも破壊できない──つまり、魔力ではなく肉体にのみ作用しているもの。であれば、肉体ではなく魔力の結びつきで生まれる子には、その難妊体質は受け継がれないのではないか。そんな仮説も立てば、次は人類種同士で魔力結合が可能なのかという話に。
「ネビリュラの妊娠は彼女と我が弟子、双方の特異性が合わさってのこと。当然、ただ人類種同士でそれを再現するのは難しい。で、あれば」
己が魔力の扱いに長けた傲握流の使い手同士であれば。魔法に成形せず魔力そのままで相手に干渉できる者同士であれば。ヴィヴィアがすぐにそう思い至り、息巻きながら皆に告げたのは、彼女自身が傲握流に触れているから。
勿論、半ばただの思い付きである。だからこそまずはこうして、傲握流の開祖と、他者への魔力干渉にもっとも長けたその弟子とで試してみようという話になり。乗り気なファルフェルナに対してユリエッティは、これが少しでもヒルマニアのためになる可能性があるのであればという気持ちが半分、とはいえ流石に絶賛妊娠中のネビリュラに悪い気がするという気持ちが半分の、なんとも複雑な面持ち。
当のネビリュラは「まあ、ユリエッティだし」程度のものだったが。自分とお腹の子を蔑ろにしないのであれば別になんでも良いと、表情に乏しい顔に大きく書かれていた。
「ほらほら我が弟子よ。褥の折には他の女のことなど考えない、というのが貴女のモットーではなかったのですか」
「それは……そうですわねぇ」
瞳の窺えない糸目のまま、けれども流し目と分かる不思議な表情で、ファルフェルナはユリエッティを嗜める。師匠の飄々とした笑みを受けて、弟子はようやく気持ちを切り替えた。
「それに、どうせ誰彼と大勢に手を出している時点でろくなものではないのですから」
「今更ながら、まったく言い返せませんわ」
皆、そういう女だと分かっていてユリエッティのそばに留まった。ネビリュラも、分かっていて妻となることを受け入れた。ファルフェルナの表情に釣られるようにして、ユリエッティの顔にもいつもの笑みが浮かぶ。鷹揚な、そして夜の寝所で見せる妖艶なそれが。
「しかし師匠。この試みが万に一つ成功してしまえば…………つまり、その覚悟があるということで良いんですのね?」
「ええ勿論。私も少しばかり、第一婦人が羨ましくなってしまいましてね」
勿論両者とも、そうあっさりと人類種同士の魔力結合ができるだなんて思ってはいない。今日のこれはいわば、ネビリュラやムーナの耳にしていたような愛撫を他の人類種にやってみたらどうなるかという、その程度のもの。それでも生殖に端を発し、そしてそれを目指しての行為であることに違いはない。だからそのやりとりは、師弟の心にある本能的な部分を刺激する。
「それに、私はネビリュラやムーナの耳などのような、魔力への高感受性を有してはいない。つまり、出力をあげねば愛撫にすらなりえない。魔力結合など夢のまた夢」
「ええ、まあ。わりとガチでぶん殴る……ときと同じくらいの気持ちでやるつもりですけれども」
「そうつまり、久しぶりに加減なしの貴女に組み敷かれるということ」
嬉しそうに、被虐の色を見え隠れさせながら、ファルフェルナは囁きかけた。
諸々落ち着いてシマスーノ邸に住むことになってからすぐ、ファルフェルナはもう随分と久しぶりに、ようやく、ユリエッティに抱かれていた。五年か六年かという長い長いお預け期間を経ての、手練手管の洗練された弟子との情事。当然それはファルフェルナにめくるめく快感を与え、穴という穴が緩むほどの法悦をもたらし、またその後幾夜も彼女を満足させている。そこに不満などあろうはずもない。
だがそれと同時に、思い出してもしまうのだ。上手に女を抱く術を身に着けた、今のユリエッティと比するほどに。情動のままに、荒々しく、相手を貪り尽くすように抱き壊してきた、加減を知らない幼少期のユリエッティの素晴らしさを。快楽の果てに死すら幻視したその原体験を、ファルフェルナはいまだ忘れてはいない。
そういう意味でも、今日のこの“実験”はファルフェルナにとって都合が良かった。
「……そうですわねぇ」
師の策略に気付き、しかしいまさらもう逃れられはしない。ユリエッティのほうだって、そう煽られては応えねばと思ってしまったのだから。
「ではわたくしも久しぶりに、少しだけ童心に返るといたしましょうか」
言いながら、ファルフェルナの肩を掴んで押し倒す。普段はあまり見せない荒っぽい手つき。ファルフェルナの口から上擦った吐息が漏れる。両手に伝わる師匠の、その筋肉質な腕にユリエッティは思い出す。
初めて押し倒したときと変わらない感触。
本人はそんなつもりではなかったなどと言っていたが、まだ幼く純真だった理性を壊してしまう程度には。ファルフェルナのその豊満な肉体は、毎日の修練で漂う汗の匂いは、飄飄と余裕ぶった声音は。そして、ごくまれに見せる紺色の瞳は、ユリエッティにとってよく効くのだ。
「ふふ……師匠なら振りほどけると思うのですけれども」
ずっと昔にそうしなかったのが、ファルフェルナの人生で最大の油断であり。
じゃれていると思い違いし、「ふっふ、どうしたのですか我が可愛い弟子よ?」などと呑気にあえて押し倒され、そうして一時間後には完全に屈服させられた。初めての獣性に目覚めた幼ユリエッティは、それから半日はファルフェルナの体を離さなかった。ベッドはマットレスごと駄目になった。
それこそが人生で最大の幸福だったのだと、ファルフェルナは信じて疑わない。
「ふっふ……ぁあ、まさか我が可愛い弟子に対してそんなこと、できるわけがありませんよ」
だから今宵も、薄目を開いて愛弟子を受け入れ──
──そして夜明けの少し前には、沼のようにぬかるんだベッドの上で仰向けにひっくり返る羽目になった。「お゛ぉ゛っ♡」「死ぬ゛♡ し゛ぬ゛ぅ゛っぉっ♡♡」とかなんとか、人とは思えない叫びが一晩中、盗み聞かずとも聞こえていたというのは、隣の部屋のムーナの弁である。




