第97話 親になる
「──まあやはり、子供でしょうねぇ」
ネビリュラの体や生態については分からないことばかり。それでもファルフェルナが口にした通り、ネビリュラの腹に宿ったのは新たな命。それを疑う余地はなかった。
「まさかわたくしとの子供、とは……」
驚くべきはそれが、どうやらユリエッティとの子であるらしいという点。ムーナとチェリオレーラがよくよく注意を向けてみてようやく、ユリエッティと似た魔力やら気配やらが感じ取れた。
そしてまた、発見から今日に至るまでのひと月ほどのあいだに純粋な人類種のそれよりも早い速度で大きくなっていく胎児が(それでもまだ、ほんの小さな存在ではあるが)、ネビリュラと近しい形姿を残しつつも、少しずつ少しずつシルエットを竜人とも粘人ともつかないものへと──人類種に近しいものへと変えていく様子からも、その子が単なる粘性生物ではないことが窺えた。
「……理由、分かった?」
もっとも混乱しているのは間違いなくネビリュラ本人であり、自身の住処に集った面々へかける声もこわばっている。王宮書庫、貴族街の図書館を手分けして調べたユリエッティとファルフェルナ、エルフ耳で胎児の持つ僅かな魔力をつぶさに観察するムーナに加えて、話を聞きつけ忙しい中でどうにか時間を捻出したヴィヴィアまで。勿論、見えずともチェリオレーラも。ネビリュラを知る面子がシマスーノ邸の離れに集合し、現時点での知見を共有する。ベッドに腰掛けるネビリュラは、上に着た自分サイズのシャツをまくり上げ、しきりに胎児の様子を気にしていた。
「何分、貴女自身が前例のない存在ですから、推察になってしまいますが……」
糸目にいくらか真面目な色を乗せて、ファルフェルナが口を開く。
粘性生物の中には一部に、同種間で魔力の受け渡しを行い、二個体の魔力を混ぜ合わせる形で子を成す種が存在する。分裂や増殖といった単為生殖が多い粘性生物の中では珍しい生殖方法だが、ともかくそういったパターンもあるのだと、モンスターの生態に関する資料・文献から確度の高い情報を得られた。そしてなによりネビリュラ自身が、粘性生物の単為ではない生殖によって生まれた存在である。
「つまりは、貴女の体を構成する魔力と我が弟子の魔力とが結合し、こうなったのかと」
ユリエッティもムーナもネビリュラの母アドビュラの言葉に従って、ネビリュラの出自については誰にも、ヴィヴィアやファルフェルナにすらその詳細を明かしてはいなかった。ただ単に、人類種に匹敵する知性と意思を持った存在なのだとだけ告げていた。しかし、このような状況になってしまえば流石に、そのルーツに触れないわけにもいかない。胎児の発見に際して、細部はぼかしつつも、自分が竜人と粘性生物の間に生まれた存在なのだと説明したのはネビリュラ本人。当然ながら驚きに驚かれ、けれどもそのおかげで、ファルフェルナの言うような一つの推測が成り立った。
「正直なところ信じがたい話……ですが、ネビリュラさん自身もそうやって生まれたのだと考えれば……」
実際に胎児を目の当たりにするのは今日が初めてなヴィヴィアは、先ほどからネビリュラの腹部をじっと見据えたまま。いやさヴィヴィアに限らずとも、ではあるが。
ともかく、ネビリュラは前例のない存在であれども、この驚異的な事態の前例はそのネビリュラ自身である。他種族、それも人類種とすら子を成す特異な個体の特性を受け継いでいた。現時点でネビリュラに関して言えるのはその程度であった。
「一方で貴女が──粘性生物側が母体になっているというのが、貴女の出自とは異なる点です」
ネビリュラの場合はおそらく、粘性生物である父親が明確に生殖の意思を持って、竜人である母親の体内に自身の魔力を──それを帯びた体液を──注入した。だからこそ、アドビュラの目にも分かるほどに、父親はネビリュラの誕生に歓喜していた。しかし今回のネビリュラとユリエッティの場合は、両者ともまったくそんなつもりもなく、そんなことができるとも思ってはおらず、ゆえに何もかもが想定外。とにかく混乱しきり。やはりファルフェルナが、今度はユリエッティ側の要因へと言及する。
「これまた推測になってしまいますが……我が弟子、魔力とくればやはり」
「傲握流、かぁ……」
言葉尻を拾ったムーナでなくとも察しはつく。ユリエッティがネビリュラとの情事に際して自身の拳術を応用し、指先の魔力でもって彼女の体を愛でとろかせていることは、もはやこの場の誰もが知るところである。特に、似たようなことを自身のエルフ耳にされているムーナなどは、多少なりその快感に想像も及ぶというもの。
「まさかアレが、子作りになっていたとは……」
「開祖たる私にも、まったく想像がつきませんでした。流石は我が弟子というべきか」
「……で、でも。だからって指だけで孕まされるなんてこと……」
今日に限らずずっと不安げにしているネビリュラは、師弟の言葉にまだ半信半疑な様子。それを見たチェリオレーラが、思わずといったように声をあげる。
「今のてゃはもうバカみたいな規模の呪いに触れられるわけですし……それに当たり前すぎて受け入れちゃってましたけど、そもそもこのチェリオレーラに触れられるという時点で激ヤバです。それも傲握流の技術から派生したものだとすれば、他者への干渉という点で、てゃの指先はおそらく人類種の領分を逸脱しつつあります」
人と交わった粘性生物の特性と、人の領域を超えつつあるユリエッティの魔力干渉。両者合わさっての福音なのだと、精霊は上機嫌に笑っている。
「安心してくださいっ、チェリオレーラ的にこれは素晴らしいことですよ! なんだか人類種の変遷の気配が色濃く漂っていますからねっ!!」
この精霊、なんだかんだと言ってやはり倫理観が人類種とはズレている。ネビリュラはそう、チェリオレーラのいるであろう虚空をじっとりと睨みつけた。その視線に混じったいっぱいの不安に、ユリエッティが柔らかな笑みを浮かべる。
「……とまあ、せっかく集まっていただいたところ申し訳ないのですが。少し、わたくしとネビリュラの二人でお話がしたいのですわ」
その申し出に異議を唱える者などいようはずもなく。察して皆ぞろぞろと、ネビリュラの住まいをあとにする。「貴女もですわよ」と釘を刺されたチェリオレーラも泣く泣くその気配を消失させて。ものの数分と経たない内に、小屋の中はユリエッティとネビリュラの二人きり。
「…………」
胎児を発見して以降、口数のうんと少なくなってしまったネビリュラへと、ユリエッティが歩み寄る。大きなベッドの縁、ネビリュラのすぐ隣に腰掛ければ、マットが沈み体が触れ合う。もうふた息ぶんだけ間を空けてから、ユリエッティはゆっくりと、けれども確かな声音で語りかけた。
「……しかし、あれですわね」
「……」
「ネビリュラもゆくゆくは公爵夫人ということになりますわね」
「……は?」
「とはいってもまあ、内縁の妻という感じになってしまうのでしょうけれども」
現代のヒルマニアでは同性婚が認められていない。それくらいはネビリュラにも分かる。だから内縁の妻ということか。いやそもそも自分は世間的にはテイムモンスターなのだから内縁もなにもなく妻になどなれず、いやいやそうではなく。
「……なに言ってるの?」
とまあ不安も吹き飛ぶほどの混乱に見舞われ、もちゃりと開かれたネビリュラの口から出たのはごく短い言葉。受けてユリエッティはやはり、緩やかに笑んだまま。
「貴女を娶りたいと言っているのですわ。一緒に、その子の母親になりたいとも」
ユリエッティにとっても、子供というのはまったく想定もしていなかった事態だった。女としか愛し合わない自分にまさかそんなものが、と。けれどもこのひと月ほど、調べものをしつつもできるだけネビリュラと共に過ごし、彼女の不安げな顔とお腹の子とを見守っているうちに。
「チェリオレーラではないですけれども。どうにも、嬉しくなってしまったのですわ」
「……」
「わたくしたちが愛し合った結果として次代が生まれる。それはとても、ええきっと、とても素晴らしいことだと。そう思えてならないのですわ」
ネビリュラの不安の根因を、ユリエッティは知っている。ネビリュラ自身の出自がゆえに、人と人ならざる──少なくとも現代では人類種には区分されない──者とのあいだに生まれる存在が、はたして幸せなのかというそれ。親に化け物と呼ばれた悲しみが、どうしたって脳裏を過ぎるのだろうと。
しかし同時に、ネビリュラもまた、ユリエッティの喜びの表情を理解できた。ヒルマニアの抱えていた問題を、それが解決に向かいゆくさまを、一歩引いて見ていたからこそ。実感はできずとも、なんとなしに。きっと、子供が生まれるというのは幸せなことなのだろうと。
「それにわたくしも貴女も、その子を森に放り捨てたりなんかしない。そうでしょう?」
ああそうだ。
出自も形姿もなく、ごく当たり前のように自分を愛してくれたユリエッティを決して疑っているわけではないのだ。ただどうにも、不安になってしまって。ユリエッティと同じ、まったく想定していなかった“子供”という存在に、自分が母親になるのかという事態に、戸惑ってしまっていて。
だって。
「……ワタシまだ、六歳なんだけど」
尾を揺らめかせて言うネビリュラに、ユリエッティの表情も流石に引きつった。
「……ええ。正直そこが、一番マズい点だと思っていますわ……」
「……」
「……」
「……ふ、ふふ」
堪えきれずに、ネビリュラが笑う。
六歳だ。だが、六歳児ではない。そんなことネビリュラもユリエッティも分かっている。たったの数年で成体になるその特異性すらも、ユリエッティは受け入れているのだから。
「……家のひとたちには、なんて言うの」
「難しい話ですわね。まずは少しずつ、本当のネビリュラを知って貰うところから……でしょうか」
「生まれた子供が……この子が、ただの……モンスターだったら」
「それも難しい話ですわ。可能性がゼロとは言えない。なにが起こるか分かりませんもの。一緒にとことん、考えませんと」
「……つまり、まだなにも考えてない」
「うぐ……それは、まあ」
つまりは、何をするにもネビリュラの同意を得て、それから話を進めようとしている。ネビリュラの尾が、ユリエッティの腰にするりと絡みつく。触れられるだけ触れ合って、そしてようやく、腹をくくる。
「……まあ確かに、ずっとセフレっていうのもどうかと思ってたし」
「ええ」
「公爵夫人? っていうの、なってあげても良い」
「ええ、ええ」
「だからこの子のこと。ワタシと一緒に、大事にして欲しい」
「ええ、ええっ、勿論ですわっ」
自分の生態も生まれてくる子供のことも、何もかもが分からないことだらけで。不安が無くなるわけではないが。親になるとは案外そんなものなのかもしれないと、そう思える程度には、ネビリュラの心は上向いていた。




