書籍化記念ショートストーリー『ララとマリオンの静かな夜』
マリオン殿下が外交から一週間ぶりに帰ってきた。
「ただいま~~~~」
「おかえりなさいませ」
「フロレンシは? もう寝た?」
「ええ。一時間前まで頑張っていたのですが」
マリオン殿下の帰りを待つんだ! と言っていたものの、眠気には勝てなかったようだ。
「あとで寝顔だけ見てこよう」
「ええ、そうしてくださいませ」
フロレンシの寝顔は世界一かわいいので、きっと疲れが吹っ飛ぶことだろう。
「うう、ララを今すぐ抱きしめたいけれど、北風に晒されて冷え切った体だから、止めておこう」
「お風呂を温めますね」
「うん、お願い」
温めると言っても、ヴルカーノのように薪に火をつけて炊くわけではなく、湯船に彫られた呪文を摩るばかりである。一瞬で温まったようだ。
リラックスできるよう、ラベンダーの精油を数滴垂らした。
準備ができたと言うと、マリオン殿下は嬉しそうにやってくる。
「ララも一緒に入る?」
「わたくしはもう入りましたので」
「そっか、残念」
マリオン殿下の頬が真っ赤だったので触れてみると、氷みたいにキンキンだった。
一刻も早く湯船に浸かるよう勧めた。
マリオン殿下はじっくり長風呂を楽しんだようで、生き返ったようだ、と喜んでいた。
しかしながら、夕食を食べてしばし会話を楽しんでいる間に、足先が冷えてしまったようだ。
「リオン様は冷え性ですのね」
「そうみたい」
お風呂に浸かってじっくり体を温めても、一時間も経てば手先や足が冷えてしまうらしい。
ならば、と私は体が温まるある物を用意してあげることにした。
「ララ、何をしているの?」
「フットバスです」
足だけを温める、とっておきの薬湯である。
材料はマスタードパウダー、それからお湯だ。
桶に張った湯にマスタードパウダーを混ぜるだけの、簡単なものである。
「リオン様、このお湯に浸かってみてください。足先が温まりますので」
「わかった」
この湯に十分ほど浸かっていたら、きっと温まるはず。
「わ、すごい。なんだかポカポカしてきたかも」
「よかったです」
マスタードには疲労回復効果の他に、体を温める効果もある。
今日のマリオン殿下にぴったりなものと言えよう。
「ララ、ありがとう。さっきまで氷みたいだった足が、ポカポカになったよ」
「いえいえ」
「でも、よく知っていたね」
「父によく使っていたんです」
病気でお風呂にさえ入れない日もあったので、せめて体を温めることができたら、と思って作っていたのだ。
「そうだったんだ」
他にも、体が温まるものを用意してみた。
それは、ブランデーにお湯とレモン、蜂蜜を入れ、スパイスを入れたお酒だ。
「あ、これ、おいしい! ピリッとしていて、味わい深い」
私も味見をしてみたのだが、いい感じに仕上がっていた。
これはホットトディーという、体を温めるための伝統的なお酒である。
「たまにこれを作って、父とお酒を飲んでいたんです。あまりお酒は飲まないのですが、父が私との晩酌を喜んでくれたので」
「思い出の酒というわけだ」
「はい」
ホットトディーを飲みながら、父との思い出を語って聞かせる。
なんだか感傷的になるような夜だったが、マリオン殿下が一緒だからか、不思議と寂しくはならなかった。
マリオン殿下は私が酔って頬が赤くなっているのに気づくと、早く眠ったほうがいい、と言ってくれた。
手を引き、寝室まで送ると、額にキスだけして自分の部屋へと戻っていく。
紳士な態度しか見せないのはずるい、と思ってしまった。
こういうとき、彼が余裕のある年上の男性なんだ、と意識してしまう。
マリオン殿下にふさわしい女性になれるよう、努力を重ねなければ、と思った瞬間であった。




