正体を知るまでの長い道のり
ヴルカーノに戻ろうと決意したあとに、どうしてそんなことを言ってくるのか。
「ララ、どうして泣いているの?」
「わ、わかりません」
冷静に考えたらわかるはずなのに、頭の中がぐちゃぐちゃになっていて混乱状態になっているのだろう。
「ああ、そうだ。きちんと気持ちを伝えていなかったね」
マントイフェル卿は私から離れ、まっすぐ見つめてきた。
「ララ……いいや、グラシエラ。僕は君のことが好きなんだ。叶うのであれば、これからもずっと一緒にいたい。君だけでなく、フロレンシも一緒に幸せになろう」
それは私が心の奥底で願っていた未来であった。
マントイフェル卿は私に手を差し伸べてくる。その手を握ることなど、私に許されているのか。
「グラシエラ、お願い。君が傍にいないと、僕は不幸になってしまうから」
「ど、どうしてそんなふうに言うのですか?」
「同情を誘おうと思って」
正直な物言いに、涙が引っ込んでしまった。
脱力し、笑うしかなくなってしまう。
「ララ、僕を選んでよ。さっきみたいに、君の笑顔を引き出せるよう、一生努力するから」
「わたくしで、よろしいのですか?」
「君しかいないんだ」
その言葉が勇気となる。
一歩踏み出し、彼の手を取った。すると、手をぎゅっと握られ、そのまま引かれる。
マントイフェル卿の胸の中にすっぽり収まってしまった。
「ああ、やっとララに触れられる」
「あの、リオン様はけっこう頻繁に触れていませんでしたか?」
「あれでも自制していたんだよ。君は自分は既婚者なんだーって主張していたから」
その物言いを聞いて、ハッと我に返る。
マントイフェル卿の胸を押して距離を取って問いかけた。
「あの、リオン様はいつ頃から、わたくしがララ・ドーサではないとお気付きだったのですか?」
「あーー、難しい質問だね。まず、出会ったその日に、ララ・ドーサというヴルカーノの貴族についての調査を依頼したんだよね」
レイシェルの紹介とはいえ、侯爵夫人に近づき、頑なな態度で仕えたいと主張する私の存在は、マントイフェル卿にとって怪しく映っていたらしい。
「すぐに、ドーサ夫人とその夫についての報告書が届いた」
ふたりとも犯罪に手を染めており、騎士隊が行方を追っているという情報だった。
けれどもドーサ夫人の特徴と私が一致しなかったので、疑問に思ったらしい。
その時点で、私が犯罪者だと糾弾しなかったものだと感心してしまう。
「なぜ、わたくしを騎士隊に突き出さなかったのですか?」
「いやー、ララについては調査書のドーサ夫人と同姓同名の別人である可能性が高いって考えていたから。これでも人を見る目はあるからね」
念のため、私に監視をつけていたらしい。それが、我が家に出入りしていたメイドだった。
ゴッドローブ殿下は彼女を自分の配下だと思っていたようだが、実際はマントイフェル卿の手の内の者だったようだ。
マントイフェル卿にとって都合のいい情報だけ、ゴッドローブ殿下に流していたというわけである。
もちろん、そんな事情について知らされていなかった私は肝を冷やしたのだが……。
「ララがメンドーサ公爵家のグラシエラ嬢だって知ったのは、ゴッドローブとヴルカーノに外交に行ったときだったんだよ」
ビネンメーアからヴルカーノの探偵に調査を依頼しても、〝ララとレンという名の親子〟は見つからなかったらしい。
「どうしても君達について知りたかったから、似顔絵を描いて話を聞き回るっていう、初歩的な方法で探ったんだ」
マントイフェル卿は絵の才能があるらしく、記憶を頼りに描いた私やフロレンシの絵を使い調査したようだ。
「富裕層が出入りする集まりや商人を当たってみたけれど、皆知らないって言うんだ」
最後の最後に、上流階級の貴族が出入りするサロンに立ち寄ったらしい。そこで、私を知る貴婦人がいて、「彼女はメンドーサ公爵家のグラシエラ嬢ではなくって?」と教えてもらったようだ。
「ドーサという下級貴族の名前に引っ張られて、君が上流階級の生まれだって考えに至ってなかったんだ。普段の君の振る舞いを見ていたら、わかっていたはずなのに」
異国の地で必死に調査するあまり、自分で調査範囲を狭めていたようだ。
「そのあと、君の叔父についての噂を耳にして、詳しく調べるようになったんだ」
マントイフェル卿は叔父がメンドーサ公爵家の財産を狙い、私を捜し回っているという話を聞いたらしい。
「そこでようやく、ララが身分や名前を偽ってまで、ビネンメーアにやってきた理由がわかったんだよ。これまで大変だっただろう?」
「大変ではなかった、とは言えませんが、ビネンメーアの人達は皆親切で、思っていたほどの苦労はありませんでした」
「そうだとしても、弟を息子として育てるために、国を渡った君の決断力と勇気は、相当なものだよ」
マントイフェル卿に褒められ、なんともくすぐったいような気持ちになる。
「君について調査したおかげで、ゴッドローブについての情報も得ることができたんだ」
叔父と繋がっていたゴッドローブ殿下は、さまざまな悪事に手を染めていた。
「それを知ったとき、ああ、やっぱり……って落胆してね」
「ご存じだったのですか?」
「なんとなくだけれど」
マントイフェル卿は亡くなった母親から「あなたに対し無条件に甘い顔を見せ、重宝する者を信用するな」と言われていたらしい。
「その人物はもれなく、僕を利用する者だからってね」
口ではゴッドローブ殿下を信用する振りをして、心の中では常に疑っていたようだ。
「逆に、僕を不審がって遠ざける者はなるべく信用するように、って言われていたんだ。だから、王妃は僕を殺そうとしている犯人じゃないって気付いていたよ」
王妃については口では疑う素振りを見せ、心の中では信用できるだろうと確信していたと言う。
「ララも僕に対して、不審者を見るような目をしていたね」
「その節は大変な失礼を働きました」
「いやいや、なんだか嬉しかったよ。ほら、僕って顔がいいから、女性から無条件に心を許してもらってばかりだったし。ララの在り方は、世界中の女性にこうあってほしい姿だった」
マントイフェル卿は私の手を優しく握って微笑みかける。
「グラシエラ、君に会えて本当によかった」
マントイフェル卿の言葉に、再度泣きそうになりながらも頷いたのだった。




