愚かな野心を抱く者
突然、目の前に手が差しだされる。
優美なレースの手袋に包まれたそれは、近くで見たら大きくてゴツゴツした男性の手だった。
顔を上げると、マリオン王女が美しい微笑みを私に向けていた。
もう大丈夫、と言ってくれているようで、泣きそうになる。
その手を握り、私は立ち上がった。
マリオン王女は私を胸に引き寄せ、キッとゴッドローブ殿下を睨みつける。
その視線に気付いたゴッドローブ殿下は、取り繕うように話しかけた。
「マ、マリオン、ドーサ夫人は悪女で、触れてはいけません」
「悪女じゃないし、ドーサ夫人でもない。彼女の本当の名前は、グラシエラ・デ・メンドーサ。ヴルカーノの高位貴族だ」
マリオン王女が男性のような低い声で言葉を返すので、事情を知らない者達は驚いているようだ。
正体がバレてもいいのか。マリオン王女改め、マントイフェル卿を見上げる。
すると、大丈夫だとばかりに頷いていた。
「彼女はメンドーサ公爵家を乗っ取ろうと画策する叔父から逃れるために、命からがらビネンメーアへ助けを求めにやってきた女性だ。そうだよね、ガエル・デ・メンドーサ?」
ギャアギャアと騒ぐ聞き覚えのある声の主が、縄でぐるぐる巻きにされた状態でやってくる。
間違いなく、叔父ガエルだった。
叔父は私を見るなり叫んだ。
「グラシエラ!! お前はなんてことをしてくれたんだ!! メンドーサ公爵家の爵位と財産を凍結してくれたおかげで、私が継ぐはずだったものが継げなかったではないか!!」
マントイフェル卿がこっそり耳打ちする。
叔父は私とフロレンシを捜しながらビネンメーアの王都を彷徨っていたらしい。
まさか叔父がこんなに近くまで迫っていたとは……。
グラシエラとしてこの国へやってきていたら、すぐに見つかっていただろう。
「ゴッドローブ殿下――叔父上はこの男と共謀し、グラシエラに罪をなすりつけ、悪事を働こうとしていた。そうだったよね、ガエル・デ・メンドーサ?」
「あ、ああ、そうだ! ゴッドローブ殿下の言うことを聞けば、ヴルカーノへビネンメーア軍が侵攻し、侵略したあと、要職に就けてやる、と約束していた!」
「う、嘘を言わないでください!! 私がヴルカーノへ侵攻するなんて、考えるわけがないでしょう!?」
「自分の息子であるエンゲルベルト殿下が即位したら、傀儡にしてやろうって、考えていたんでしょう?」
「――!?」
王妃が隠していた最大の秘密を、マントイフェル卿は暴いて明るみに出した。
国王も知らなかったことである。
王妃は腹を括ったのか、静かに聞いていた。
一方、国王は驚愕の表情でゴッドローブ殿下へ問いかける。
「お、おい、ゴッドローブ、嘘だろう? エンゲルベルトがお前の子だったなんて」
差し伸べられた国王の手を、ゴッドローブ殿下は叩き落とした。
彼は人のいい仮面を投げ捨てたように思える。
「ええ……。陛下、ご存じありませんでしたか? エンゲルベルトは私と王妃の間に生まれた子です」
国王は糸が切れた操り人形のように、その場に力なく膝をつく。
自分の息子だと思っていたエンゲルベルト殿下が、弟の子だと知ったのだ。そうなってしまうのも無理はないだろう。
「ゴッドローブ、な、なぜそのようなことをしたのだ?」
「何もかも手にしていたあなたには理解できないかもしれませんが、何も持たない私が唯一、すべてを手にする手段だったのです」
ゴッドローブ殿下が何よりも手にしたかったもの。
それは玉座だった。
「公妾の子である私には、王位継承権が与えられませんでした。たとえ私が陛下を手にかけても、国王にはなれないのです」
たとえ簒奪しても、臣下や国民は国王だと認めないとわかっていたようだ。
「ならば、あなたの大切な存在を奪おう。そう、考えていました」
国王がもっとも大切にしていたのは、王妃だった。
それに驚いたのは、王妃自身だった。
「おや、気付いていなかったのですか? 陛下はずっと、あなたに片想いしていたのですよ?」
大切にするあまり、心の距離を縮められず――長年、静かに想いを寄せるだけだった。
「控え目な陛下は、強情なあなたとの付き合い方がわからなかったようです」
王妃と不貞関係になったゴッドローブ殿下は、気付いてしまった。
「権利が与えられないのであれば、自ら奪いにいけばよいのだと」
それからゴッドローブ殿下は善良な王弟の仮面を被りながら、裏では暗躍してきた。
エンゲルベルト殿下を即位させ、意のままに操り、ゆくゆくはヴルカーノも侵攻しようと計画を立てていたらしい。
叔父と繋がっていたのは、野望を叶えるためだったようだ。
「その男をメンドーサ公爵にさせてヴルカーノ国内を掌握しようと考えていたのですが、まさか失敗していたとは……」
私がメンドーサ公爵家の爵位と財産を凍結してしまったので、ゴッドローブ殿下のヴルカーノでの計画は破綻状態にあったらしい。
「もう少しで上手くいきそうだったのに、その女のせいで――!」
ゴッドローブ殿下は腰に佩いていた剣を抜き、私に迫る。
けれどもその刃は私に届かなかった。
マントイフェル卿が隠していたナイフを握り、ゴッドローブ殿下の剣を弾き飛ばしたのだ。
それだけでなく、利き手をナイフで貫通させていた。
「ぐはっ――!! き、貴様!!」
王妃の声が響き渡る。
「その男を捕らえろ!!」
ゴッドローブ殿下の周囲は騎士に囲まれ、拘束される。
彼は恨み言を叫びながら、連行されていった。
続いて、叔父も騎士達に連れて行かれる。
「なっ!? なぜそのように乱暴に扱う!? 話が違うぞ!」
騎士のひとりが叫んだ。
「ビネンメーア国内での詐欺行為及び、窃盗の罪で拘束する!」
どうやら叔父はビネンメーアでいろいろな悪事に手を染めていたらしい。一家の恥である。
「ララ――いや、グラシエラ、大丈夫?」
心配するように私の顔を覗き込むマントイフェル卿だったが、顔色が悪い。
化粧をしていて尚、このように顔色が悪ければ、顔面蒼白状態だろう。
「わたくしよりも、あなたのほうが――」
言いかけた瞬間、マントイフェル卿が腹部を強く押さえているのに気付いた。
スノウホワイトのドレスが、真っ赤に染まっていた。
マントイフェル卿の体がぐらりと傾く。
「だ、誰か、お医者様を!!」
どうやら彼は、本当に命の危機の中にいたらしい。




