首筋に迫る刃
通常、悪意というものは目に見えないものだ。
けれども今、私の目の前に悪意の化身とも言えるゴッドローブ殿下が、不気味な笑みを浮かべていた。
「ドーサ夫人はファルケンハイ侯爵夫人にも取り入り、気に入られました。それだけでなく、リオンのことも誘惑し、思い通りにしようとしていたのです」
浮かれた様子を見せるマントイフェル卿を心配し、ゴッドローブ殿下は私について調査を命じたと言う。
「侯爵邸に私の息がかかったメイドを派遣しました。彼女はドーサ夫人に酷い扱いを受けながらも、真実を持ち帰ったのです」
まさか、コテージに出入りしていた心優しいメイドがゴッドローブ殿下の手下だったなんて。まったく気付いていなかった。
「彼女はドーサ夫人が王妃殿下の首飾りを身に着け、高笑いしていたと報告してくれたのです。信じがたいような情報が次々と明らかになるので、本当に驚きました。ドーサ夫人はまさしく、〝ヴルカーノの悪女〟だったのです」
止めだとばかりに、ゴッドローブ殿下はありもしない私の悪事を暴露する。
「ドーサ夫人はヴルカーノにいる親族の男と共謀し、ビネンメーアの貴族達からだまし取った品々を転売していたようです。王妃殿下の首飾りも、もしかしたらすでに売り払ったあとかもしれません」
親族の男というのは、叔父で間違いないのだろう。ここで、ゴッドローブ殿下は叔父と繋がっていたのだ、という疑惑が確信に繋がっていく。
すべての疑惑が、一点に集中してきた。
時間が巻き戻る前の不幸の根源は、ゴッドローブ殿下だったのだ。
ゴッドローブ殿下はまるで舞台俳優のように、スラスラと流暢に述べていた。
そんな彼を、怒りと呆れが混ざったような感情で私は睨みつける。
「彼女は王妃殿下の首飾りを手にするだけでは飽き足らず、事件について調査する私の命をも狙ってきたのです。つまり、昨日、私を暗殺しようと襲撃しに来た者は、彼女の差し金だったのです! ドーサ夫人こそが、事件の真犯人でした!!」
ゴッドローブ殿下は従えていた騎士を振り返り、静かに命令する。
「我が騎士達、ドーサ夫人を捕らえてください」
ゴッドローブ殿下の近衛騎士が私の元へ駆け寄ろうとした瞬間、よく通る声が響き渡った。
「――エンゲルベルト殿下及び、マリオン王女のおなりです!!」
我が耳を疑うような言葉が聞こえてきた。
視線を扉のほうへ向けると、エンゲルベルト殿下にエスコートされた、スノウホワイトのドレスに身を包んだ絶世の美女が登場する。
その姿を目にした瞬間、私は再度その場にぺたんと座り込んでしまった。
マリオン王女はどこからどう見ても、マントイフェル卿である。
彼は生きていたのだ。
もっとも驚いているのは、ゴッドローブ殿下だろう。
目が零れそうなほど、見開いていた。
「なっ――エンゲルベルト、いったいどうして!?」
「マリオンがどうしても、母上にお礼を言いたいようで、連れてきたのです」
「お、お礼? いったい何の……?」
マリオン王女は胸元に輝く首飾りにそっと触れた。
「なっ、それは!?」
「誕生日に母上から首飾りを貰ったようで」
盗まれたはずの王妃の首飾りを、マリオン王女が着けていたのだ。
「母上はここにはいないのですか?」
「王妃殿下は危篤状態のファルケンハイ侯爵夫人のもとにいるはず――」
「侯爵夫人、そうなのですか?」
エンゲルベルト殿下が振り返った先にいたのは、侯爵夫人であった。
「どうだったでしょう? 年のせいか、最近忘れっぽくて」
ここで気付く。この茶番劇を行うために、侯爵夫人は私よりも遅れてやってきたのだろう。
マリオン王女は扇を広げ、エンゲルベルト殿下にボソボソと耳打ちしている。
口にしたことをエンゲルベルト殿下が本人に代わって、ゴッドローブ殿下へ問いかけた。
「叔父上、マリオンが皆を集めて、いったいどのような楽しい話をしていたのか気になるそうです。教えていただけますか?」
「いえ、それは、王妃の首飾りについて――」
続けて、マリオン王女はエンゲルベルト殿下に耳打ちする。
「ええ、ええ。とても気に入っているそうですよ。ずっと大切にしまっていたそうですが、皆に見せたくなってしまい、今日、お披露目にやってきたわけです」
再度、ザワザワと騒がしくなる。近衛騎士達が静かにするように言っても、聞く耳など持っていないようだ。
それも無理はないだろう。
盗まれたかと思っていた首飾りを持っていたのが、同じ王族であるマリオン王女だったから。
ゴッドローブ殿下もここで引くわけにはいかなかったのだろう。
自分の意見を押し通すようだ。
「エンゲルベルト、マリオンがしている首飾りは、王妃殿下の手元から盗まれた品だと、騒ぎになっていました。それをご存じではなかったのですか?」
ゴッドローブ殿下の問いかけに答えたのは、思いがけない人物であった。
「どうやらそれは、私の勘違いだったようだ」
凜とした、よく通る声の持ち主が登場する。
それは公妾を引き連れた王妃だった。
「ゴッドローブよ、あの首飾りは私が酔っているときに、マリオン王女に贈った品だった。間違いない」
「なっ――!?」
「酔いが醒めたのと同時に、彼女へあげた記憶を無くしていたようだ」
ゴッドローブ殿下は瞠目し、言葉を失ったようだ。




