真実
王妃の愛人について詳しく聞いていいものなのか。
これまで相づちを打つばかりだったので、不審に思われるかもしれない。
ここは疑問をぐっと呑み込んだ。
「愚かな私は夫とアンネ妃の関係に耐えきれず、その男との関係をズルズルと続けてしまった。彼は優しく、私に無償の愛を捧げてくれた――と、当時は考えていたのだ」
深夜、その男は隠し通路を使って王妃に逢いにきていたらしい。そのため、ふたりの関係が外部に露見することはなかったと言う。
「この私がもっともショックを受けたのは、アンネ妃の妊娠だった」
国王の愛だけでなく、王妃がもっとも望んでいた子までも手に入れてしまうなんて、憎たらしいとしか思えなかったらしい。
そんな状況の中、王妃の愛人は夜更けの微睡むような時間に、とんでもない提案を囁いたと言う。
「あの男はアンネ妃を殺そうか? と言ってきたのだ。憎たらしく、いなくなればいいと思えど、他人に対して死ねばいいと思ったことは一度もなかった。それは今もだ」
王妃は私の目をまっすぐに見つめながら話す。
「今思えば、先ほどのマントイフェル卿は私がドーサ夫人を手にかけないか心配だったのだろうな。だからあのように、牽制するような態度を見せたに違いない」
なんでもマントイフェル卿は王妃の弱みを握っているらしい。
「彼を殺そうと暗躍しているのも、私だと思っているのだろう」
王妃は「私ではない」とハッキリ宣言した。ただそれが嘘か本当か、見抜く能力は残念ながらなかった。
「マントイフェル卿が持つ情報は最強の剣だ。彼はその気がないので、揮おうとしないだけ。私はその剣に怯えながら生きてきた」
マントイフェル卿が最強の剣を持つことのみ知っている者達は、恐れるに足らないものだと言い切る。
「マントイフェル卿は、いったい何をお持ちなのですか?」
「彼が、王位継承権の第一位を賜っていたはずなんだ。それを公の場で主張したら、誰もが彼を次代の国王だと認めるだろう」
王妃は私の反応を見て「マントイフェル卿の正体を知っていたのか」と呟く。
「しかし、エンゲルベルト殿下は国王陛下と王妃殿下の間に生まれた、唯一の御子です。継承権の序列が揺らぐ心配はないと思います」
通常、王位継承権というものは国王と王妃の子にしか与えられない。
マントイフェル卿とレオナルド殿下が与えられたのは変則的なのだろう。
どうしてマントイフェル卿が最強の剣を持っていると言ったのか。理解できなかった。
「違う」
「え?」
「エンゲルベルトは…………継承権第一位に相応しくない者なのだ」
いったいなぜ、そのようなことを言いだしたのか。
王妃は顔色を真っ青にさせ、神父に告解する罪人のように私に縋りながら言った。
「エンゲルベルトは陛下の子ではない」
「そ、そんな! ありえないことですわ。だって――」
エンゲルベルト殿下は国王に顔立ちがそっくりである。ふたりが並んだら、一目見ただけではっきり血縁関係にあるとわかることだ。
国王の子で間違いないと言っても、王妃は首を横に振る。
「月に一度、陛下は私の寝所に通っていた。しかしながら、妊娠が明らかになった日から遡ると、ちょうど陛下が一度もいらっしゃらなかった月に当てはまってしまったのだ」
その事実に、国王は気付いていなかった。
どうやら妊娠について詳しく知らなかったらしい。
「陛下は隠し通路を使って私の部屋を訪れる日もあった。そのため、臣下もいつ寝所を共にしたか把握していなかったのだ」
つまり王妃が妊娠した期間は、愛人としか関係を持っていなかったというわけである。
「陛下は妊娠を喜んでいた。それなのに私はひとり、地獄にいるような心地を味わっていたのだ」
出産はアンネ妃のほうが先だった。
生まれるのは王女であってほしい。そんな願いが叶ったのか、子どもは王女だった。
「けれども国王は、その子に王位継承権を与えると宣言した」
初めての子なので、特別な物を与えたいなどと言いだしたようだ。
王妃が産む子どもが男であっても、愛人との間に生まれた子だと発覚すれば王位継承権は認められず、アンネ妃の子が継承権第一位となるだろう。
ビネンメーアの歴史に女王はいなかったが、国王唯一の子ならば、周囲も認めざるをえない。
その当時、王妃は出産間近だった。
陣痛の痛みに耐えながら、自ら国王に会いに行ったと言う。
「私は必死になって王位継承権を与えないようにと陛下に懇願した」
王妃の願いは叶えられ、ひとまず保留となった。
「その後、私は子どもを産んだ」
ビネンメーアの誰もが望んでいた、王子だった。
「陛下はこれまで私に見せたことがないほどの笑みを見せていた。面差しが自分にそっくりだと喜びながら――」
これまでさんざん苦しんでいた王妃は、国王に素直に打ち明けようと考えていた。
妊娠、出産できたのだから、今度は国王との子を作ればいい。
そんなふうに考えていた。
けれども喜ぶ国王を前にしたら、何も言えなくなってしまったのだと言う。
「私の中にあった最後の良心が、砕け散った瞬間だと言っても過言ではないだろう」
エンゲルベルト殿下は成長するにつれて、国王に似ていったという。
幼少期の肖像画にもそっくりだと、臣下の間で評判だったらしい。
「エンゲルベルトが生まれてからというもの、国王の気持ちは少しだけアンネ妃から離れて行った。私のもとへ通う日も増えていったのだ」
そんな日々を繰り返すうちに、王妃の中で燻っていた罪悪感も薄れていったようだ。
「エンゲルベルトと陛下と、家族三人で過ごす毎日は本当に幸せだった。ようやく私に訪れた平穏だったのだ」
その幸せは永遠に続くと思っていた。アンネ妃が亡くなる日までは。
「これまで大人しくしていたアンネ妃の子、マリオン王女が急に話があると言い、陛下と私を呼び出したのだ」
そこで明らかになったのが、マリオン王女が実は男で、王子だったということであった。
「エンゲルベルトよりも先に生まれた彼は、間違いなく王位継承権第一位を持つ、正統な後継者だった」
王妃はショックのあまり寝込んでしまったと言う。
「そんな私を見て気の毒に思ったのか。あの男がマリオン王女の暗殺を目論んだのだ」
あの男、というのは王妃の愛人である。
エンゲルベルト殿下が生まれてからも関係を断ち切れずにいたようだ。
「彼は私のためだと言って、マリオン王女の命を狙った……」
もしもマリオン王女が王子であると広く知れ渡ったら、エンゲルベルト殿下の立場が揺らぐかもしれない。
そう囁かれたら、それ以上何も言えなくなってしまったのだと言う。
「その後、マリオン王女は〝リオン・フォン・マントイフェル〟と名前を変えて、騎士となって私達の前に現れるようになった」
国王がマントイフェル卿をエンゲルベルト殿下の騎士にしようと提案したときは、死刑宣告を受けたかのような衝撃を受けたらしい。
必死になって止めたからか、周囲の者達はマントイフェル卿に何か問題があるのではないか、と囁くようになったのだとか。
「マントイフェル卿には悪いことをしたと思っている。けれどもあのふたりを傍に置くことなど、とても容認できないと思ったのだ」
それからというもの、いつマントイフェル卿が正体を明かし、エンゲルベルト殿下より先に生まれていると主張しないか怯える日々を過ごしていたらしい。
「だから、あの男がマントイフェル卿の命を狙っていても、何も言えなかったんだ」
マントイフェル卿に対し死んでほしいと願っていなかったことはたしかだが、その命を守ることもできなかったようだ。
「マントイフェル卿があのように、真正面からケンカを売ってきたのは初めてのことで、驚いてしまって」
そこまで関係が深くない私に、すべての不安を吐露してしまったのだろう。
「お辛かったのですね」
王妃は大粒の涙を流しながら、何度も頷いていた。
それにしても、エンゲルベルト殿下は国王の子ではないのになぜそこまで似ているのか。
ふと、国王に面差しがそっくりな人物の顔が頭に浮かんだ。
その瞬間、ゾッと悪寒が走る。
エンゲルベルト殿下の父親であり、王妃と関係があった男は――ゴッドローブ殿下だ。




