犯人は誰なのか
侯爵夫人曰く、イルマは方向音痴らしい。王宮に出仕していたときも、しょっちゅう迷子になって騎士やメイドに道を聞いていた、なんて話をしていたようだ。
王族専用の庭は見張りがいて簡単に立ち入れるはずではないのに、行き先を間違え、うっかり迷い込んでしまったのだろう。
そこで彼女は、王妃が連れこんだ男との逢瀬を目撃してしまった。
もちろんそれがとんでもない状況だと、イルマはよくわかっていなかったのだろう。
「おそらくだけれど、イルマはそれが密会だと気付かずに、王妃殿下に声をかけに行ったんじゃないかしら?」
そして王妃と相手の男の慌てっぷりから、人目を避けてこっそり会っていたのだと察したのだろう。
「わからないのはそのあとの話ね」
記者はどこの誰だったのか。
三年前、王妃に関する醜聞は報じられなかったらしい。
「そもそも、記者ではない可能性もあります」
その人物は王妃派の人間で、マントイフェル卿の醜聞を餌にイルマを呼び出した可能性がある。
「口封じのために、イルマを殺したって言うの?」
「可能性はあります」
本当に記者だったら、すでに王妃の不貞は大々的に報じられているだろう。
それがなかったということは、最初からイルマの命が目的だったのだ。
「イルマが情報を握っているというのを知っているのは王妃殿下と相手の男だけれど、情報が知れ渡って困るのはきっと王妃殿下のほうよね」
ならば、王妃の命令でイルマは殺されてしまったと言うのか。
「相手は誰だったのよ」
「王妃殿下に近しい男性であることはたしかでしょうけれど……」
この前、私を訪ねてやってきた王妃の近衛騎士は結婚当初から傍にいた、なんて話を聞いていた。
彼と王妃が長年、関係があっても不思議ではないだろう。
「王妃殿下の近衛部隊の隊長でしたら、年も近いですし、いつも傍におりますので、親しい仲になるのも無理はないかもしれません」
「たしかに、彼は調査のさい、必要以上に熱が入っていた気がするわ」
なんでも近衛隊長はとある貴族の三男で、独身だと言う。
「結婚されていないのですね」
「ええ。貴族の生まれと言っても、長男以外に爵位や財産はないので、独身というのも珍しくないわ」
騎士として身を立て、生涯独身という貴族は、ビネンメーアの国内において意外と多いようだ。
「あの騎士ならば、王妃殿下の名誉を守るために、自ら動いた可能性も捨てきれないでしょう」
「そうですわね。命令もなく、独自の判断でわたくしのもとに話を聞きにやってくるくらいですから」
もしも関係が露見したら、王妃の名誉どころか、騎士自身の命も危うくなるだろう。
イルマが情報を漏らしてしまうことを恐れて手にかけたのだとしたら、殺人の動機はまったく不思議ではない。
「近衛騎士については、知り合いの探偵に調査を依頼しておくわ」
「ええ、お願いします」
これにて遺品整理は完了となる。
長時間籠もっていたからか、私と侯爵夫人は疲れ果てているような気がした。
「侯爵夫人、お茶を淹れましょうか?」
「ええ、お願い。あなたも一緒に飲みましょう」
「承知しました」
菓子職人が作ったサクランボのケーキを囲み、渋めに淹れた紅茶をいただく。
サクランボのケーキを目にした瞬間、侯爵夫人はハッとなった。
「侯爵夫人、サクランボのケーキはお嫌いですか?」
「いいえ、大好きよ」
「よかったです。菓子職人が、今日のケーキは最高傑作だとおっしゃっていたので」
サクランボはシロップ漬けだったが、とてつもなくおいしい。サクランボのシーズンになったら、採れたてを使って作るようで、さらにおいしいようだ。
「庭にサクランボの樹があるの。実が生ったら、レンやリオンと一緒に収穫しましょう」
「はい! 楽しみにしています」
侯爵夫人は寂しげな様子で、二度とサクランボの樹のもとに行くつもりはなかったと零す。
「イルマがね、サクランボが大好きだったの。庭師が採ってくるのを我慢できずに、毎年私にサクランボ狩りに行こうって誘ってきて――」
かごがサクランボでいっぱいになるまで帰ろうとしないので、収穫は大変だったと言う。
「しかも樹には毛虫がたくさんいるものだから、見つけるたびに大騒ぎをして、とっても賑やかだったわ」
ある年はサクランボが不作で、あまり実らなかった。イルマが残念そうにしていたので、サクランボ農家を雇って世話をさせたのだと言う。
「イルマが亡くなってからは、サクランボを見るだけで悲しくなっていたの。散歩に出かけて見かけるたびに胸が苦しくなって」
サクランボの樹を伐り倒すことも考えたようだが、当日になって中止を言い渡したらしい。
「その日、雨と雷が酷くて……。イルマが怒っているような気がして、止めたのよ」
料理長にはサクランボを使った料理を出さないように命じていたようだが、このケーキを焼いたのは新しく雇った菓子職人である。
侯爵夫人の事情を知らなかったのだろう。
「わたくしも、把握しておらずに申し訳ありませんでした」
「いいえ、いいのよ。とってもおいしかったから」
遺品整理をしたからか、気持ちに整理がつきつつあるらしい。
「これまではサクランボを見るだけでも嫌だったのに、今日は普通に食べられたわ。自分でも信じられない気持ちよ」
もう一切れ食べたいというので、切り分けてお皿に盛る。
侯爵夫人は一口頬張ったあと、おいしいと言った。
「こんなにおいしいものをずっと避けていたなんて、信じられないわ」
侯爵夫人の気持ちが前向きに進んでいる証拠だろう。
「今は事件についての真相を暴きたいの」
私も同じ気持ちだ。力強く頷き、初夏においしいサクランボを食べられるように頑張ろうと励まし合ったのだった。
◇◇◇
数日後――侯爵夫人が雇っていた探偵が調査結果を持ってやってくる。
報告書に目を通した侯爵夫人は眉間に皺を寄せ、険しい表情で読んでいた。
いったい何が書かれてあるのか。
読み終わったあと、私にも読むようにと差しだされる。
報告書に書かれていたのは、思いがけない内容であった。
王妃の近衛部隊隊長、ジル・フォン・ガルドベルド。年齢、四十五歳。
彼には十五年ほど前より交際していた女性がいて、現在は内縁の妻として一緒に暮らしている。
子どもは四名おり、子育てに専念したいので、夜の任務はすべて部下に任せていた。
つまり彼が王妃と密会する暇などなかった、というわけである。
どうやら王妃と関係を持っていた相手は別にいるらしい。
内心頭を抱え込んでいたが、侯爵夫人は想定していたのか。続けて探偵に依頼していた。
「では、王妃殿下の身辺を探っていただける?」
近衛騎士の隊長を調べるよりも高い報酬を請求されていたが、侯爵夫人は片眉をピンと上げただけで、そのまま依頼書に署名していた。
「ララ、こうなったら、徹底的に調べるわよ!」
頼りになる横顔を見せる侯爵夫人であった。
これで終わりかと思いきや、侯爵夫人が私に問いかける。
「あなたは気になることとか調べたいことはないの?」
そう聞かれ、ひとつだけ調べたいことがあったと思い出す。
「あの、出所について気になる毒があるのですが」
それは公妾の金庫に入っていた毒だ。
一時期、痩せ薬として流通していたものの、のちに毒が含まれていると判明した。
現在、国内での取引は禁じられているようだが、入手できるルートがあるらしい。
「どこで売られているのか、誰が購入していたのか、調べてください」
探偵は頷き、新しく契約書を作る。
依頼料はそこまで高価でなかったので、ホッと胸をなで下ろした。




