危ない橋を渡る
「べ、別人になるって、どういうことなの?」
「わたくしが一度ヴルカーノに戻り、おふたりの旅券を入手します。そのあと案内をしますので、身分を捨てて、別人として暮らしていけるように手引きをする、という意味です」
ビネンメーアで暮らすより、ヴルカーノで別人として生きるほうが安全かもしれない。そう思って提案してみた。
「別人として……」
公妾はしばし考え込むような素振りを見せていたが、侯爵夫人が待ったをかける。
「そのような危ない橋をララまでもが渡るのを、見過ごすわけにはいかないわ!」
「しかし、カリーナ妃とレオナルド殿下が生き残るためには、このような手段しか思いつかないのです」
「他にもあるわ」
皆の視線が侯爵夫人に集中する。
侯爵夫人はごほん、と咳払いし、ある提案をした。
「カリーナ妃はヴルカーノからやってきた夫を亡くした貴婦人、レオナルド殿下はその娘……その貴婦人はララさんの親友で、傷心旅行にやってきた客人で我が家に身を寄せている、という設定はいかが?」
つまり、侯爵夫人は公妾をここに匿ってくれると言いたいのだろう。
「侯爵夫人、よろしいのですか?」
「よくはないけれど、仕方がないわ」
「ありがとうございます」
思わず、侯爵夫人に抱きついてしまう。
「まあ、ララったら! 本当に困った子なんだから」
まるで自分の家族に声をかけるような温かい声に、胸がじんわりと温かくなる。
侯爵夫人に感謝したのは言うまでもない。
ひとまず、首飾りは私が預かっておくことにした。
侯爵家で預かろうと言ってくれたのだが、ただでさえ公妾を匿ってくれるのに、これ以上のリスクを託すわけにはいかないだろう。
ひとまず、公妾とレオナルド殿下は客間で暮らしてもらうことにしたようだ。
彼らの正体については、使用人でさえも隠すと言う。
眠気が限界を迎えていたので、私はフロレンシが眠る布団に潜り込み、朝までぐっすり眠ったのだった。
◇◇◇
公妾母子はなるべく部屋から出ないよう、噛んで含めるように言っているらしい。
変装道具も揃えたようで、公妾は喪服を纏っている。顔も黒いベールで覆っているので、彼女だと気付く者はいないだろう。
レオナルド殿下も少女の装いを受け入れていた。
そんな彼を見たフロレンシが「お姫様がいる!」と喜んでいたのだが、本当は王子である。
同じ年頃の子と接する機会がなかったフロレンシは、嬉しそうにレオナルド殿下に話しかけていた。
フロレンシには、公妾は私の友人でレオナルド殿下はその娘だ、と説明している。深く聞かずに、受け入れてくれたようだ。
こうして新たな住人が仲間入りし、平穏とは言い難い暮らしが始まった。
毎日届けられる新聞には、公妾とレオナルド殿下が行方不明になった記事が報じられている。王妃の首飾りの紛失と毒の混入事件と関わりがあるのではないか、と書かれていた。
街には大勢の騎士が派遣され、公妾の行方を捜しているらしい。
侯爵家にも騎士がやってきて公妾について話を聞いていないか、と調査にやってきていた。
侯爵夫人が応対したのだが、何食わぬ顔で「公妾については何一つ存じません」と返すばかりであった。
公妾は客間で大人しく過ごしているらしい。恋愛小説を読んだり、刺繍をしたりと、静かな時間を楽しんでいるようにも思えた。
レオナルド殿下はフロレンシと仲良くなったらしく、一緒に勉強を始めたらしい。
フロレンシよりもレオナルド殿下のほうがふたつ年上なので、わからない部分は教えてもらっているようだ。
私は王妃の首飾りをどうしようかずっと考えていた。
ひとつ、案が浮かんだが、それは侯爵夫人が口にした〝危ない橋〟とも言える作戦だろう。
ただ、実行はひとりではできない。
ゴッドローブ殿下と共にヴルカーノに行っていたマントイフェル卿が帰国したようで、会いたいという旨を書いた手紙を送った。
三日後――マントイフェル卿が私を訪ねてやってくる。
マントイフェル卿はなぜか、薔薇の花束を抱えていた。いったい何本あるのか。数えるのも大変そうだ。
「やあ、ララ。君のほうから熱烈に会いたいという手紙が届いて、やっとのことで参上できたよ」
「ええ、そうなんです」
私が嬉しそうに駆け寄ってきたので、マントイフェル卿は目を見開く。
「え、待って。会いたいとか言いながら、実は雑用を頼みたいって展開じゃなかったの?」
「本当に会いたかったのです」
マントイフェル卿の手を握り、ガーデンテーブルのほうへと誘う。
おいしい紅茶や焼き菓子もたっぷり用意していた。
「マントイフェル卿、その薔薇の花束はもしかしてわたくしに?」
「あ、うん、そうだけれど。あー、えっと、どうぞ」
「まあ、きれい。ありがとうございます。とっても嬉しいです!」
受け取った薔薇は傍にいたメイドに託す。家にある花瓶に活けておくよう頼んでおいた。
「僕、夢見ているのかな。ララにこんなに優しく迎えられるなんて」
「夢ではありませんわ。現実です」
そう言って、私はマントイフェル卿の手のひらに王妃の首飾りをそっと置いた。
「なっ、こ、これは!?」
「王妃殿下の盗まれた首飾りですわ」
「ど、どうしてララが持っているの?」
「深い事情があるんです」
これまであったことを打ち明けると、マントイフェル卿の顔色がだんだん青くなっていく。
「最悪だ。っていうか、優しかったのも、これがあったからじゃないか!」
そう言って、頭を抱え込んだのだった。
「実を言えばこの首飾りを、こっそり王妃殿下にお返ししたく思っていますの」
「いやー、それは難しいよ」
「でも、リオン様だったら、できますよね?」
マントイフェル卿の手を握り、にっこり微笑みかける。
そのまま頷きそうになったものの、途中で我に返ったようだ。
「あ、危ない! 今、思わずできるって言いそうになった! いくらララの願いでも、王妃殿下の寝所に潜り込んで金庫を開けて、首飾りを元に戻すなんて芸当はできないよ!」
「そこまでする必要はありません」
私が考えた作戦は、それよりもシンプルである。
「以前、東屋で女性の人影を見たのを覚えていますか?」
「あ、うん。そういえば見たね」
「その女性はおそらく王妃殿下です」
そして、公妾が我が家にいる今、王族が出入りできる庭に立ち入ることができる女性王族は王妃ただひとりである。
「それで、その東屋にこの首飾りを置いておけば、やってきた王妃殿下が回収してくれるのではないか、と思いまして」
「ああ、なるほど」
再度、マントイフェル卿と共に庭へ赴き、王妃の首飾りを置く。
そしてやってきた王妃が気付いてくれたら、事件をうやむやにできるだろう。
「ただ、置きに行くのを誰かに目撃されてしまったら大変なことになるよ?」
「その辺も問題ありません」
作戦の鍵を握るのは――。
『ニャア!』
ガッちゃんが挙手し、テーブルの上に置いていた首飾りを持ち上げる。
「あ、ガッちゃんが運ぶってこと?」
「ええ、そうなんです」
正確に言うと、蜘蛛細工を使い、糸を操って東屋まで運ぶのだ。
「なるほど。いいかもしれない」
マントイフェル卿も力を貸してくれると言うので、ホッと胸をなで下ろした。




