拒絶反応
首飾りを目にした瞬間、目が眩んで頭が真っ白になる。
嫌な感じで胸がバクバクと高鳴り、吐き気にも似た気持ち悪さがこみ上げてきた。
すぐにでも横になりたいものの、今は王妃の前にいる。
最後まで背筋をピンと伸ばして、やり過ごさなければならない。
ガッちゃんは私の異変に気付いたのか、気遣うように小さな声で『ニャニャ……』と鳴いていた。大丈夫、とばかりに微かに頷いておく。
王妃は首飾りに触れながら、持ってきた理由について話し始めた。
「以前会ったときに、この首飾りを熱心に見ていただろう? 気に入ったのならば、ドーサ夫人に譲ろうと思ってな」
私の不躾とも言える視線に、王妃は気付いていたようだ。そういう意味で見ていたのではない、と首を横に振る。
「わたくしは、そのようなお品を受け取る権利などありません」
「しかし、このようなよい品を受け取っておきながら、何も返さないのは誠意に欠けるだろう」
王妃は心から肩掛けをお気に召してくれたようだ。今も嬉しそうに触れている。
「そちらの肩掛けは、王妃殿下に対するご挨拶みたいな品なんです。それ以上の意味はございません」
くらくらする状況の中で、絞り出すように言葉を返す。
「しかし、この肩掛けはこの首飾りに匹敵するほどの品だろう。ドーサ夫人はレースが〝糸の宝石〟だと呼ばれているのを、知っているだろうか? この国では絹自体が大変貴重で、こういった精緻なレースを編める職人は稀少、他国より極めて高値で取引されているのだ」
王妃からの話を聞いて、私は間違った行動をしてしまったのだと気付く。
まさか、レースの価値がヴルカーノとビネンメーアでは異なっていたなんて。
ヴルカーノではレース編み職人が大勢いて、屋敷に囲っている貴族も多い。
蚕糸業も盛んで、各地で養蚕、製糸が行われていた。
「ビネンメーアの温暖な気候は養蚕に向かない。そのため、絹製品は他国から買い取るしかないのだ」
王妃の話を聞きながら、蜘蛛細工は他人に知らせるべきではなかったのだ、と後悔する。
まさか、レースがそこまで貴重だとは思ってもいなかったのだ。
「この首飾りを受け取ってくれないと、私も納得がいかない」
「それでも、わたくしはいただくわけにはいかないのです」
王妃の片方の眉がピンと跳ね上がる。
好意を無下にするような発言をしたので、無理もないだろう。
このままではいけない。そう思って、弁解する。
「わ、わたくしはヴルカーノからやってきた、新参者です。そんなわたくしがお品物をいただいた、と王妃殿下をお慕いする人達が知ったら、どうしてこのような女が? と疑問に思うかもしれません」
事実、王妃派ではないのに、王妃より首飾りを下賜されたことが広まったら、私は針のむしろに座るような視線をこれでもかと味わうだろう。
「物事には順序がございますので」
「ならばドーサ夫人が私を支持する立場になればいい。ああ、そうだ。侍女として連れているならば、誰も文句など言わないだろう」
どうしてそうなってしまうのか。もう、体が限界を訴えていた。
この問題については一度、持ち帰ろう。どうすべきか、侯爵夫人に相談したい。
「ドーサ夫人よ、つべこべ言わずに持ち帰れ!」
王妃はそう言って、侍女に視線を送り何かを促す。王妃の手足となって動く侍女は首飾りを手に取り、私に付けようとした。
ヒヤリとした冷たい金属が首筋に触れた瞬間、記憶が鮮明に甦る。
それは、私の命を奪うためにもたげる死神の鎌によく似ていて……。
「――ッ!!」
舞台照明が落ちるように、私の目の前は真っ暗になった。
◇◇◇
『ニャア……』
ガッちゃんのか細い声で目を覚ます。
瞼を開くと、辺りが真っ暗なことに気付いた。
「ガッちゃん?」
『ニャ!!』
ガッちゃんが私の体によじ登り、指先にヒシッと抱きつく。
どうやら心配をかけてしまったようだ。
「ああ、目を覚ました?」
続いて、マントイフェル卿の声も聞こえてきたのでギョッとした。
すぐに顔を覗き込まれ、美貌が眼前に迫る。
「痛かったり苦しかったりしない?」
「は、はい。平気です。その、わたくしはいったい何をやらかしたのでしょうか?」
「王妃殿下と話をする中で、倒れてしまったそうだよ」
侯爵家に連絡をしようかと騒ぎになっている中、偶然マントイフェル卿が通りかかり、身元を引き受けてくれたようだ。
「ご迷惑をおかけしたようで」
「そんなことないよ。僕とララの仲じゃないか」
いったいどういう仲なのか。聞いたら脱力してしまいそうだったので、今は聞き流す。
「その、助けてくださり、ありがとうございました」
「気にしないで」
ひとまず侯爵家へは私が倒れたということは伏せて、帰りが遅くなる、という旨を知らせてくれたらしい。
「おかげさまで、侯爵夫人やレンに心配をかけずに済みました」
マントイフェル卿が手回ししてくれてよかった。改めて感謝する。
起き上がろうとしたら、マントイフェル卿が私の手を握り、背中も支えてくれた。
「ララ、水を飲んで。お腹は空いていない?」
「いえ」
一杯の水を飲んだら、少しだけ頭がスッキリした。
「それにしても、王妃殿下相手に派手な立ち回りをしたそうだね」
穴があったら入りたい。そんな気持ちに駆られる。
「あの場で倒れていなかったら、君はあの首飾りを押しつけられていただろう」
「考えただけでもゾッとします」
「でも、どうしてそこまで強く拒絶したの?」
あの首飾りだけは受け取るわけにはいかない。
どう説明しようか迷ったが、伝えても差し障りのない形に変えて説明してみた。
「夢をみたんです」
「夢?」
「はい。あの首飾りに似た品を、売りに行くように頼まれて持っていったのですが、そのあと、それは盗品であり、ビネンメーアの王妃殿下の私物だと発覚して――」
弁解など許されず、私の命は奪われてしまった。
そんな〝夢〟でみた話を、マントイフェル卿に聞かせる。
ポタ、と手の甲に雫が落ちてくる。何かと思ったら、それは私の眦から零れたものだった。
考えるだけでも恐ろしいことなのに、口に出してしまったのだ。恐怖のあまり、涙してしまったのだろう。
「わ、わたくしは――」
涙を拭おうとした瞬間、マントイフェル卿が私を抱きしめる。
「ララ、大丈夫。それはただの夢だから、気にしないで」
マントイフェル卿の優しい声が、胸にじーんと沁み渡った。
私は既婚者という設定で、夫以外の男性とこのように密着することなど許されていない立場にいる。
そうでなくても他人に甘えてはいけないのに、今日は弱りきっているからか、マントイフェル卿を押し返す力なんてなかった。




