巨大感情
イルマはレイシェルよりひとつ年上だったが、幼少期から病弱で、食も細かった。そのため、双子のように体格や背丈がそっくりだったらしい。
「小さい頃は、よく遊んでいたし、仲がよかったわ。一番の親友のように思っていたときもあったの。でも――」
レイシェルの表情が暗くなる。イルマとの間に、何かがあったのだろう。
「イルマは体が弱いくせに元気いっぱいで、外で遊びたがったの」
それは十数年前――イルマが七歳、レイシェルが六歳の頃の話だった。
今でも鮮明に思い出せるほど、印象に残っていた出来事だったようだ。
イルマは風に当たるとすぐに熱を出してしまうので、乳母から禁じられていたらしい。
けれどもレイシェルがきたときは、乳母の監督の目が薄くなる。
「それで、外に遊びに行こうって誘われて、庭へ散歩へ出かけたの」
イルマとレイシェルは楽しく遊んでいたようだが、数時間後、思いがけない事態になる。
「その日は少し寒い日だったわ。元気な子どもならばなんてことのない気候なんだけれど、病弱なイルマは違った」
熱を出し、寝込んでしまったようだ。
「イルマのお母様やお祖母様に、とっても叱られたの。私が連れ出したせいだって」
当時のレイシェルに、口答えなんて許されていなかった。
イルマから誘われて庭に出たなんて、言えなかったわけである。
「とても悔しかったけれど、次は気を付けたらいいと思っていたわ」
けれども、似たような出来事はその後も多発する。
「高価なティーカップを割ったり、ドレスを汚してしまったり、野良猫を屋敷に招いたり――すべてイルマがやったことなのに、最終的に私が悪者にされてしまったの」
いくらイルマが自分でやったと訴えても、レイシェルを庇う優しい子としか認識されなかったようだ。
「イルマは何をしてもいいように取られて、私は何もしていないのに悪く取られる。対照的だったわ」
いつも遊んでいたのが侯爵家で、レイシェルの味方がいない状況だったのも原因のひとつだったのだろう。
「イルマはたくさんの人に愛されて、お姫様のように育ったの。大公家の娘として厳しく育てられた私とは、天と地ほども扱いに差があったわ」
家格はレイシェルの実家のほうが上である。
本来ならば侯爵家の者達は、大公の娘であるレイシェルを丁重に扱わないといけない。
そうしなかったのは、皆が皆、イルマを盲目的に愛していたからなのだろう。
貴族女性の在り方としては、厳しく教育されたレイシェルのほうが正しいのだ。
「だんだんと、イルマへの感情は醜く歪んでいったわ」
お茶会の主催ですらまともにできず、レイシェルに付き添いを頼んでくる始末である。
それなのに、イルマの周囲にはたくさんの人達がいて、笑顔が溢れていた。
「自分のことは棚に上げて、私はいつしか彼女を憎むようになったの」
イルマはずっとレイシェルを頼っていたのだが、ある日を境に取り合わなくなった。
「ひとりで夜会に参加して、倒れたなんて話を聞いたときは、少しせいせいしたわ」
いつもはレイシェルが寄り添い、休ませたり、ダンスの誘いを断ったりしていたらしい。
けれどもひとりで参加したイルマは、加減がわからずに体力が尽きるまで踊ってしまったようだ。
「でもその日、イルマのことをマントイフェル卿が助けてくれたようなの」
イルマはレイシェルがいなくても、必ずどこからか助けの手が差し伸べられる。
いかなる状況でも、本当の意味で困った状況にはならなかったのだ。
「まるで、都合のいい恋物語の主人公のようだと思ったわ」
誰かに虐げられていても、体調不良に陥っても、王子様が颯爽と現れて手を差し伸べてくれる。
長年、イルマを支えてきたレイシェルの目には、衝撃的な光景に映ったようだ。
「私なんかいなくても彼女を助けてくれる人は大勢いるし、望みは口にせずとも自然と叶えてしまう。この世界はイルマのためにあるのではないか、と思った日もあったわ」
イルマは夜会で助けてくれたマントイフェル卿の名前を聞きそびれ、やきもきした毎日を過ごしていたらしい。
そんな状況の中、侯爵家のお茶を飲みに来ていた彼と運命的な出会いを果たす。
マントイフェル卿のことで頭がいっぱいだったイルマは、彼に恋をしていたことに気付いたようだ。
「王族に嫁がせるために教育を受けていたはずなのに、イルマとマントイフェル卿の婚約はすぐに認められたわ。貴族女性が自ら結婚相手を選ぶなんて、前代未聞よ。それを聞いて、私は彼女と絶縁することにしたわ。だってありえないじゃない。今までたくさんの時間とお金をかけて叩き込んできたものを、一瞬で無駄にするような人と、お付き合いなんてできないから」
ふたりの婚約は仮初めのものだった。という話を、レイシェルは知らないようだ。
聞いていたら、イルマに対する感情も別のものになっていたかもしれない。
「愛する男性、友人や知人、幸せな環境――何もかも手にするイルマが、妬ましかった。絶縁すると決めたのに、彼女のことばかり考えていたわ」
なかなか婚約者が決まらないレイシェルは、侯爵家である場面を目撃してしまう。
それは、マントイフェル卿と幸せそうに寄り添いながら歩くイルマの姿だった。
「それを見た瞬間、私は願ってしまったの。〝彼女がこの世から消えてなくなってしまえばいいのに〟って」
奇しくもその日の晩、イルマは行方不明となる。
レイシェルが目にした最後のイルマは、マントイフェル卿に告白した当日のものだったようだ。
当人達はまったく幸せではなかったのに、端から見たら順調に愛を深める婚約者同士に見えたのだろう。
イルマがいなくなった、という話はレイシェルの耳にも届いていた。
「どうせ、マントイフェル卿のもとにこっそり行ったんじゃないかって思っていたわ。事態を軽く見ていたの」
翌日、彼女は遺体となって発見された。
「イルマの死を祈ったから、本当に死んでしまったの! 愚かな私のせいだったのよ!」
「それは違いますわ!」
「間違いないわ! 私が、私がイルマを殺したの!」
レイシェルは頭を抱え、悲鳴にも似た声で訴える。
顔面蒼白で、額には汗がびっしりと浮かんでいた。
彼女を抱きしめ、そうではないと耳元で囁く。
「あなたは悪くありませんわ。どうか、責めないでくださいませ」
落ち着きを取り戻したレイシェルは、イルマの死後について語り始めた。
「私は自分の罪を償うように、イルマがしていた慈善活動を引き継いだの」
周囲が止めるほど、レイシェルは慈善活動に打ち込んでいたようだ。
「養育院にはイルマを慕う子ども達がたくさんいて、もう来ることができないと言ったら悲しんでいたわ。どれだけ同じように慈善活動をしても、彼女の代わりにはなれなかったの」
けれども、レイシェルは子ども達にすぐに受け入れられた。
「イルマが私について、子ども達に話していたようなの。〝とても優しくて、年下なのにお姉ちゃんみたいな、世界一すてきな女性だって〟……。それを聞いた私は、子ども達の前だったのに、声をあげて泣いてしまったわ」
イルマがどれだけレイシェルを愛していたか、亡くなったあとに知ったという。
「私はどうしようもなく嫉妬深くて、卑屈で、愛される努力をしていないのに、いつだってイルマを妬んでいた。大公の娘だからって、傲慢に生きていたところがあったの。そんな私が、イルマと同じように愛されるはずもないのに、気付いていなかったのよ」
謝りたくても、イルマはこの世にいない。
墓前で話しかけても、言葉なんて返ってこないのだ。
「脇目も振らずに慈善活動をしていたら、いつの間にか〝ビネンメーアの聖女〟なんて呼ばれていたわ。本来ならば、イルマが得るはずだったのに、私が奪ってしまうなんて皮肉よね」
「いいえ、そうは思いません。聖女という異名で呼ばれるほど、慈善活動に精を出していた事実はたしかにあるのですから」
レイシェルは瞳を潤ませる。ぱちぱちと瞬きをしたら、涙が零れた。
「ララさん、ありがとう」
ビネンメーアの聖女に、このような理由があったなんて思いもしなかった。
レイシェルも長年イルマの死に囚われていたというわけである。
「ごめんなさい。こんな話をするつもりはなかったのに」
「いえ」
「いろいろ言ったけれど、イルマのことは気にしなくてもいいわ。ララさんはすてきな女性だから、マントイフェル卿も心を開いてくれるはずよ」
「ありがとうございます」
落ち着きを取り戻したレイシェルは、私を侯爵家に導いた理由についても打ち明けてくれた。
「ララさんをここに連れてきたのも、贖罪みたいなものだったわ。イルマが亡くなってからのお祖母様は、見ていられないほど弱りきっているのに、他人の力を借りようとしないから。イルマについて知らないララさんだったら、頼ってくれるかもしれない。そんな目論見があったのよ」
レイシェルは私の手を握り、感謝の言葉を口にする。
「いつもお祖母様を支えてくれて、ありがとう。ララさんのほうこそ、私達にとって聖女だわ」
「聖女だなんて、私には過ぎた言葉です」
「謙遜しないで」
それからレイシェルは、ぽつり、ぽつりとイルマについて話を聞かせてくれた。
「イルマったら、本当に要領がいい娘で、私がなるはずだった王妃殿下の侍女にも抜擢されたのよ」
良家の娘にとっての花嫁修業として、王妃の侍女を務める慣習があるらしい。
期間は一週間ほどで、そこまで長くはない。
話が上がった当初はレイシェルが行く予定だったのだが、婚約者が決まっていないからとイルマが行くことになったと言う。
「決定が直前で、私はもう準備もし終えていたのになんで!? って憤ってしまったわ」
イルマはレイシェルが用意した花嫁修業の道具を持って、王宮に向かったと言う。
「本当に腹立たしかったけれど、私の花嫁修業もすぐに決まったの」
イルマから何度か「王妃殿下のもとに行く前に会いたい」と言われていたようだが、すべて断っていたらしい。
「王宮へ行く前日に、一通の手紙が届いたわ。そこにはある忠告が書かれていたの」
それは、深夜に庭の西にある東屋へ行ってはいけない、というものだった。
「男女の幽霊が出るのですって。なんだか不気味な話だったわ」
もちろん真面目なレイシェルは幽霊を確認になんて行かず、一週間もの間、王妃の侍女を立派に勤めあげたようだ。




