彼女が唯一望むこと
「ララ、ごめん。なんか一方的に喋ってしまって」
「いえ」
協力できることはないかもしれない。けれどもそれでマントイフェル卿の気持ちが軽くなるのならば、いつでも話し相手になろう。
なんて言葉を返すと、マントイフェル卿は嬉しそうに頷いてくれた。
「一方的に負担をかけるのもなんだから、ララの願いをひとつだけ叶えてあげる。何がいい?」
「それは――」
「なんでもいいよ。ララの旦那さんを闇に紛れて処分するとか、社会的に殺すとか!」
「いえ、夫の死はまったく望んでおりません」
そう返すと、マントイフェル卿はガッカリしたのか、肩を落としていた。
「じゃあ、王城で働く? ゴッドローブ殿下の近衛隊、隊長の専属茶師とか!」
「それってリオン様のお世話係じゃないですか」
「そうそう!」
お断りだと言ったら、衝撃を受けたように口元を手で覆っていた。
冗談なのだろうが、いちいち本気に見える反応を返さないでほしい。
今、私が個人的に願うことなんてひとつも思いつかなかった。
ただここで「何もない」と言ってしまったら、マントイフェル卿が気にするだろう。
しばらく考えた結果、私はあることを願った。
「では、ひとつだけ叶えていただきたいのですが――ある事件の調査について、協力いただけますか?」
「え?」
想定外だったのだろう。にこやかに話に耳を傾けていたマントイフェル卿の表情が、真顔に変わっていく。
「ララ、ある事件って何?」
「イルマ嬢が亡くなった事件について、ですわ」
「どうして君がその事件について調査したいと思ったんだ?」
「侯爵夫人が彼女の死を忘れられず、悲しみの中で暮らしているからです」
もしも隠された真実があるのならば暴きたい。
それが、私が唯一望むことだろう。
「ララ、あれはどうしようもない事件だった。騎士隊が調査した以上に、新しい情報なんて出てきやしないよ」
皆が皆、そう決めつけているだろうが、私はそうとは思わない。マントイフェル卿の言葉にも、首を横に振って否定する。
「皆が見落としている真実があるように思えて、なんだか引っかかるのです」
ここでマントイフェル卿に、私がメイドのローザから聞いた情報を伝える。
「まず、一番の違和感は、昼間でも薄暗くて恐ろしい裏庭の湖に、イルマ嬢が深夜にひとりで行く理由が、よく理解できません」
「それは――僕が彼女を冷たく拒絶してしまったからなんだ」
「イルマ嬢はたったそれだけで死を覚悟してしまうような、弱い女性ですか?」
話を聞く限り、イルマは明るく朗らかで、太陽のような女性だという認識である。
もしもマントイフェル卿に酷いことを言われたとしても、それが原因だと思われるような死に方をするだろうか?
「わたくしはイルマ嬢がリオン様を追い詰めるような死に方を選ぶとは思えません」
「だったら、物思いに耽るために湖に行って、うっかり足を滑らせてしまったんだ」
「その可能性はありえないと思います」
「どうして?」
もしも悩みをすっきりさせるために散歩するならば、裏庭は選ばないだろう。
そう伝えても、マントイフェル卿はそうだろうか? と首を傾げる。
「わたくしだったら外の寒さと裏庭のおぞましい雰囲気を前に我に返って、回れ右をして温かい布団に潜り込みます」
「そんなに恐ろしい場所なんだ」
「ええ。一度、確認なさいますか?」
「……」
イルマの遺体が発見された湖を、マントイフェル卿は一度も見ていないらしい。
現場に行こうと誘った途端に、表情が凍り付く。
やはり、マントイフェル卿もイルマの死に囚われているのだろう。
「行ったことがないのならば、余計に行くべきだと思いますわ」
そう言って立ち上がり、庭に咲いていたヒヤシンスを摘んで花束にする。
「リオン様、いかがなさいますか?」
「わかった。行くよ、イルマのもとに」
驚くほど固い声だった。
きっとマントイフェル卿はこれまで、イルマが死んだのは自分のせいだと責めていたのだろう。
「ララ、僕も彼女に花を手向けたいから、庭の花を摘んでもいい?」
「ええ、どうぞ」
コテージの庭は雑草が生え放題だったが、きれいに整えたら美しい花がいくつも植えられていることに気付いた。
そんな庭にある花の中で、マントイフェル卿はノースポールの花を選んで摘み取っていた。
ノースポールの花束を手にし、立ち上がったマントイフェル卿の顔からは、迷いが消えているように見えた。
「ララ、行こう」
「ええ」
空は晴天なのに、やはり侯爵家の裏庭は薄暗い。
昨晩、雨が降ったからか、余計にジメジメしているような気がする。
「ララ、地面がぬかるんでいるから、気を付けて歩いてね」
「ええ、わかりました」
マントイフェル卿は侯爵家の裏庭に初めて足を踏み入れたようで、目を見張っていた。
「それにしてもここ、こんなにも暗くて湿っているんだ」
「表の庭とは、ぜんぜん雰囲気が違いますよね」
「うん。ここは、夜はさぞかし不気味なんだろうね。たしかに、女性ひとりじゃ行くのにかなり勇気がいる」
昼間でも立ち入るのが恐ろしいと言った意味を、正しく理解してくれたようだ。
問題の湖の前で、マントイフェル卿はヒュッと息を吸い込んだ。
「これは――」
以前、ローザと共にやってきたときとは異なり、湖のほとりにスノーフレークの美しい花が咲いていた。
「ララ、あの花は毒草だ。近付かないほうがいい」
「そ、そうなのですね。知りませんでした」
スノーフレークはメンドーサ公爵家の庭にもあった。
春先になると、かわいらしい釣り鐘状の小さな花を咲かせるのだ。
湖から少し離れた場所に、彼女へ手向ける花を置いておく。
イルマの魂が穏やかになるように、マントイフェル卿と共に祈りを捧げた。
最後に、家から持ってきた革袋に入れていた水を振りかける。
「ララ、それは何?」
「ヴルカーノでは事故現場などに花を手向けるさいに、悪しき存在が近付かないよう、水をふりかけて魔除けをするんです」
「へえ、そうなんだ」
目的はそれだけではなかった。
湖でする予定だったが、スノーフレークがあるならば近付かないほうがいい。
すぐ近くに大きな水溜まりを発見する。これでも充分伝わるだろう。
「リオン様、イルマ嬢が湖に浮かんで発見されたのはご存じですか?」
「知っているけれど、それがどうしたの?」
「湖で溺れたのならば、翌日に浮かんで発見されるのはおかしくないですか?」
「……」
首を傾げるマントイフェル卿に、革袋を水溜まりへ浮かべる様子を見せる。
続いて、水溜まりの水を革袋に入れたものを水溜まりに落とした。すると、浮かばずに沈んでいく。
それを目にしたマントイフェル卿は、ハッと肩を震わせた。
「そうだ。溺れて死んだのならば、水をたくさん飲んでいるから、体は水底に沈むはずなんだ。つまりイルマは――!?」
遺体が浮かんで発見される理由はひとつしかない。
「誰かに殺されたあと、湖に放り込まれたんだ」
いったい誰がイルマを手にかけたのか。
犯人捜しが私達の課題だった。




