偽りの王女殿下
脳天に雷がドーンと大きな音を立てて落ちたような、すさまじい衝撃を受ける。
マントイフェル卿がマリオン王女の正体だったなんて。
たしかに、言われてみれば肖像画に描かれた美少女の面影があった。
「なぜ、リオン様は王子ではなく、王女として育てられたのですか?」
問いかける声が震えてしまう。
これを聞いてしまったら、本当に元に戻ることができない。そんな恐怖から、怖じ気づいているのだろう。
マントイフェル卿はそれに気付いているのか、いないのか。淡く微笑みながら言葉を返す。
「それはね、命を狙われるからだよ」
耳にした瞬間、ゾッとしてしまう。それはにこやかに話す内容ではなかった。
「僕の母、アンネは公妾でね、国王陛下にとてつもなく愛されていたんだよ。王妃殿下を差し置いてね」
王妃よりも愛される公妾――それは現在の状況とそっくりだった。
「王妃殿下はずっと不妊に悩んでいて、子どもがいなかった。そんな中で、母は僕を妊娠したんだ」
国王は喜んでいたようだが、王妃はそうでなかったに違いない。
そんな王妃殿下の感情と関連があるかは定かではないようだが、妊娠発覚以降、アンネ妃は堕胎を促すような毒が食事に仕込まれる事件が起きていたらしい。
「中には命を落とすような毒もあったみたいだけれど、母はもともと疑い深く、勘が鋭い気性だったらしく、死には至らなかった」
戦々恐々とする中で、国にとって嬉しい報告が届く。
それは、王妃の妊娠だった。
「奇しくも、母の妊娠が明らかになった一ヶ月後に、王妃殿下も妊娠した」
以後、不可解なことに、アンネ妃の食事に毒が混入されることはなくなったと言う。
「王妃が妊娠してめでたし、めでたしではなかった」
国王はアンネ妃に「子どもが男児であれば、王位継承権を与えよう」と宣言したのだ。
「長年、後継者なる王子が産まれていなかったから、国王陛下もはしゃいでいたんだろうね。母や僕にとっては、迷惑の一言でしかなかったんだけれど」
その日から、アンネ妃は「子どもがどうか女でありますように」と祈った。
けれどもその願いは叶えられず――。
「男である僕が生まれてしまった」
王妃の子よりも先に生まれたので、実質的には第一王子となる。
けれどもアンネ妃は、乳母に金貨を握らせて命じた。
「生まれたのは王子ではなく、王女だと国王陛下にお伝えしなさい。そう、母は言ったんだ」
第一王子として王位継承権を得てしまったら、このままではせっかく生まれた子どもの命が危うい。咄嗟に判断したのだろう。
「お母様は、マントイフェル卿の命を助けるために、王女として育てる決意をされたのですね」
「まあ、自分を守る保身的な意味合いもあったんだろうけれど」
それから一ヶ月後に、王妃はエンゲルベルト殿下を生んだ。
マントイフェル卿が第一王女となったので、エンゲルベルト殿下が第一王子となる。
「母は王都から離れた土地で僕を育てたかったようなんだけれど、国王陛下が許さなかった」
国王はアンネ妃を深く愛していたらしい。マントイフェル卿だけでも遠くへ、という願いも叶えられなかったようだ。
「そんな状況の中で、僕は王女として育てられた。もちろん、順調に育ったわけではなかったよ」
マントイフェル卿は同じ年のエンゲルベルト殿下と比較し、どうして自分は女性物のドレスを着て、お淑やかに過ごさなければならないのか疑問だったらしい。
「王女として振る舞いたくないと反抗する僕に、母は男だとバレたら殺されるからだ、なんて必死な形相で言っていたんだ。王女の身であっても、危険は隣にあるようなものだって」
けれども彼が育った日々はいつでも平和そのもので、命を狙われるような危機は一度も訪れなかった。
「長年、僕を王女として育てる母が理解できず、正直なところ辛かったし苦しかった。だからね、母が亡くなったとき、悲しみもあったけれど、それ以上にもう王女として振る舞わなくっていいんだって、喜んでしまったんだ」
以前、抑圧された環境で育った、なんて話を聞いていた。
彼は明るく話していたが、想像を絶するくらい追い詰められた環境で育ったに違いない。
喪が明けたあと、マントイフェル卿は国王夫妻を呼び出し、自らの秘密を打ち明けた。
「国王陛下と王妃殿下は驚いていたよ。それから、長年辛かっただろうって、優しい言葉をかけてくれた」
これからは王子として暮らせばいい。そんなふうに言ってくれたと言う。
さすがに第一王子と名乗れはしないが、第二王子として公表する許可を出してくれたようだ。さらに、新たに継承権も与えられたらしい。エンゲルベルト殿下に続く、第二位だったようだ。
「理解してもらえて、王子として認められて、おまけに王位継承権まで貰えたものだから、酷くホッとした。同時に、僕はすっかり油断していたんだよ」
第二王子としてのお披露目会当日、マントイフェル卿の身に生まれて初めての危機が迫る。
「控え室にあった軽食に、毒が仕込まれていた」
即死するような毒が、ふんだんに盛られていたらしい。
「しっかり食べてしまったんだけれど、味に異変を感じてすぐに吐き出したんだ」
ほんの少し口に含んだだけでも死ぬような猛毒だったらしい。
何度も嘔吐を繰り返し、最終的には血を吐いていたのだとか。
「普通の人だったら、すぐに吐いたとしても死んでいたんだって。でも、僕は生き残った」
それには理由があったと言う。
傍付きをしていた侍女曰く、マントイフェル卿の食事には幼少期から少量の毒が含まれていたという。
「知らないうちに、僕の体は毒に耐性があったんだ」
それでも、死ぬような思いをして生き残った。
「そんな状態になって、初めて王子であることの危うさや、このまま第二王子として生きていたら、今日みたいな事態に襲われることに気付いたんだよ」
毒で意識がぼんやりする中、マントイフェル卿は国王陛下を呼び出し、第二王子として生きることを断念すると伝えた。
「もちろん、王位継承権も丁重にお返ししたよ」
お披露目会は中止。もともと王妃の着想で、サプライズ報告する予定だった。そのため、各方面に影響はなかったらしい。
「サプライズにしたほうが皆が驚いて楽しいから、なんて言っていた王妃殿下の発言が不可解だったんだけれど、殺されそうになったら、これが狙いだったんだ、って察してしまったよ」
王位継承権を返上し、第二王子として生きる道を断念したマントイフェル卿だったが、マリオン王女に戻るつもりはさらさらなかったらしい。
「王女に戻るくらいだったら、一般人のただの男として生きるほうがマシだ。そう主張する僕に、国王陛下はリオン・フォン・マントイフェルという名を貸してくれたんだよ」
偽名は国王公認で名乗っているようだ。
彼についてよく思わない人達が、裏組織の人間だなんて噂話を流したのだろう。
「それからの僕は騎士になるために、訓練に明け暮れた」
もともと王女時代から、自分の身は自分で守れるよう習っていたらしい。
「王女でなくなった僕に残っていたのは、剣だけだったんだ」
リオン・フォン・マントイフェルとして生き、一人前の騎士として認められた彼に、想定外の決定が下される。
「国王陛下がエンゲルベルト殿下の護衛騎士として、任命しようとしたんだ」
命令に従おうとしていた中で、王妃が反対しているという話がマントイフェル卿の耳にも届いた。
「僕みたいな公妾の子を、大事な未来の国王の傍に置くことができないんだってさ」
王妃に強く言われ、国王はそれを認める形になった。
「ショックだったよ。せっかくリオン・フォン・マントイフェルとして生きようとしていたのに、公妾の子としてしか見てくれなかったから」
返す言葉が見つからず、代わりに小さく震えていた彼の手を握る。
信じられないくらい冷たい手だった。




