追憶のグラシエラ
公爵令嬢グラシエラ・デ・メンドーサの名と共に、この世に生を受けた私の、〝一度目〟の人生は壮絶のひと言だった。
父を亡くしてからというもの、公爵家は叔父ガエルに乗っ取られ、婚約者のアントニーは私を見捨て、従妹のソニアを愛するようになった。
叔父一家は私と弟フロレンシを、軽んじるようになっていったのである。
状況は日に日に悪くなっていった。
使用人が使っていた離れに追いやられ、労働を命じられるようになり、食事すら与えられない環境に置かれる。使用人達ですら、私達を価値がないものとして軽く見るようになっていたのだ。
叔父はしだいに私達姉弟に対して、離れを使う家賃を請求するようになった。
私個人の財産はないため、支払いに苦労する。
そんな状況を助けてくれたのは、私と契約している蜘蛛妖精、ガラトーナことガッちゃんだった。
彼女の蜘蛛の糸と、私の魔力と想像力で完成させる蜘蛛細工を用いてレースを編み、それを売って暮らすという毎日を過ごしていた。
そんな蜘蛛細工も、叔父が酷使させることにより、魔力が尽きかけて使えなくなった。
人々が生きるには、世界との繋がりとなる魔力が必要となる。これ以上蜘蛛細工を使ったら死んでしまう。そう訴えると、叔父は私に別の仕事を命じた。
その仕事とは、叔父が運んできた首飾りや耳飾りなどを、下町にある何でも屋〝禁断の木の実〟に売りに行くこと。
始めに受け取った首飾りは、叔父が手にできるはずもない、最高級品だった。
いったいこれをどこで入手したのか……わからない。
もしや盗品なのではないのか、という疑惑も脳裏を掠めたものの、当時、正常な判断ができなかった私は追及できなかった。
弟フロレンシが病に伏し、薬代が必要だった私は叔父の命令を聞き、下町へ品物を売りに行く
ボロボロになった体を引きずりながら生きていた私に、想像もしていなかった事態が襲いかかってくる。それは隣国ビネンメーアの王妃の首飾りを盗み、売り払ったという疑惑だった。
そこから私の運命は、崖を転がるように、急降下していく。
ビネンメーアの王妃の首飾りを盗んだ罪をなすりつけられ、一晩で処刑が決まった。
最悪なことに拘束されたのは私だけでなく、フロレンシもだった。
彼は私よりも先に処刑される。目の前で首を飛ばされたのだ。
どうして罪のないフロレンシが殺されなければならないのか。
嘆きの声が断末魔となる。
私は民衆の前に晒されながら処刑された。
罪人として死したこの体は、煉獄の炎に灼かれるのだろう。
なんて思っていたのに、私の時間は父が亡くなる前までに巻き戻っていたのだ。
最初は信じられなかった。
これまで起きた悪いことは夢だったのではないのか、と思ってしまったくらいである。
けれども父の病状がよくならない中、もしも亡くなってしまったら、同じような事態は起こりうるだろうと自らに言い聞かせる。
二度と、叔父にメンドーサ公爵家を乗っ取らせるわけにはいかなかった。
父が生きている間に、先手を打っておく。
最初に頼みこんだのは、フロレンシが成人するまで、メンドーサ公爵家の地位と財産を凍結するということだった。
これをしておけば、叔父に奪われることもない。
もうひとつ、私がしたのはアントニーとの婚約解消だ。
あとは、王都を離れて領地で過ごせばいいものか――なんて考えているときに、ビネンメーアの大公の娘レイシェルと出会う。
思いがけず彼女に恩を売ってしまう形となった。
レイシェルは私に何かあったら同じように助けるから、と約束してくれたのだが、すぐに彼女を頼ってしまった。
というのも、父の死が時間が巻き戻る前よりも早かったのだ。
メンドーサ公爵家の地位や財産を凍結してしまったので、運命が変わってしまったのか。
私を助けようとやってきた叔父を拒絶したところ、想像以上に激昂していた。
身の危機を感じた私は、弟フロレンシを連れてビネンメーアへ逃げることを決意する。
ただ、年の離れた異国人の姉弟というのは、ビネンメーアで目立ってしまうだろう。
ここでも、対策を打つ。
私とフロレンシは母子として身分を偽装し、ビネンメーアへ向かうこととなった。
その秘密について唯一知るのは、レイシェルだけである。
慈善活動に熱心なことから、ビネンメーアの聖女とも呼ばれていた彼女の心優しい気質を利用し、秘密を守ってもらっているのだ。
良心がズキズキ痛むものの、フロレンシを守るためである。
この世界に唯一存在するフロレンシの家族として、彼が立派に育つまで、なりふりなんて構っていられないのだ。
私は二十五歳の一児の母、ララ・ドーサという、名前や年齢を偽った状態でビネンメーアへ入国する。
フロレンシはレンという名で、私の一人息子としてやってきた。
幼い彼には、父が亡くなったことが辛いので、母子ごっこをして悲しみを乗り越えよう、と言っている。
聡いフロレンシは私の目論見について気付いている可能性があるものの、何も言わずに母子ごっこに付き合ってくれる。
住む場所と仕事は、レイシェルが用意してくれた。
ビネンメーアの王都の郊外に位置する、自然豊かな邸宅、ファルケンハイ侯爵家。
ここには人間嫌いな貴婦人、デルマ侯爵夫人が住んでいた。
彼女はレイシェルの祖母で、使用人を傍に最低限しか置かないほど、気難しい人物らしい。
一度誰もいない屋敷で倒れていたこともあり、レイシェルは心配だと言う。
私に傍付きをするように頼みこんできたのだ。
ドキドキしながら侯爵夫人と会ったのだが、傍付きなんて必要ないとばっさりお断りされてしまう。
けれども私とフロレンシが気の毒な立場にあると知っていたからか、庭にある小さな家で暮らすことを許してくれた。
ただ、好意に甘えるばかりでは申し訳ないと思い、翌日も侯爵夫人の説得を試みる。
その日も断られてしまったのだが、想定外の人物と出会ってしまった。
突然、私の前に現れたのは、銀色の髪に緑の瞳を持つ美貌の青年、リオン・フォン・マントイフェル卿――。
彼は侯爵夫人のお茶飲み友達で、頻繁に侯爵邸を訪問しているようだ。
事前にお茶飲み友達についてレイシェルから話を聞いていたのだが、二十代半ばくらいの青年だったので驚いてしまう。
若くても四十前後だろう、と勝手に思い込んでいたのだ。
そんなマントイフェル卿は、私の想像の斜めをいく行動にでてきた。
あろうことか、既婚者という設定である私に対し興味を示してきた。
私が頑なな態度を取るので、面白がっているのだろう。
そう思っていたのに、とんでもないことを口にする。
マントイフェル卿は「僕の家に住めばいいよ」なんて言ってきたのだ。
つまり、愛人になるように提案したのだろう。
私の個人的な感情はひとまず措いておき、今、すべき行動は助けの手を差し伸べてくれた侯爵夫人に恩返しすることである。
なんとしてでも侯爵家に残り、侯爵夫人の役に立ちたい。
そんな頑固とも言える主張を繰り返していたのが功を奏し、侯爵夫人の傍付きとなることを認めてもらった。
それからというもの、フロレンシの活躍もあって、侯爵夫人に受け入れてもらえた。
マントイフェル卿が私をからかうことについては頭を痛めていたものの、叔父一家の悪意に比べたらかわいいものである。
侯爵夫人の態度は日に日に軟化していき、心を開いてくれた。
王妃殿下の誕生日パーティーへの名代を任せるほど、私を信用してくれるようにもなった。
思いがけずビネンメーアで社交界デビューをすることとなったのだが、どうやら大きな問題を抱えているようだ。
というのも、現在、ビネンメーアの社交界の勢力は真っ二つに分かれている。
王妃派と公妾派だ。
なんでも国王の寵愛が強い公妾が勢力を伸ばし、王妃派を脅かしているらしい。
王妃と公妾、どちらも息子がいることから、双方の王子を次期王に、という声も高まっているようだ。
幸いにも、王弟ゴッドローブ殿下が率いる中立派も存在する。
異国人である私は、どちらかにも属さないほうがいいと判断し、静かに過ごそう。
そう思っていたのに、王妃派である公爵令嬢リーザからケンカをふっかけられたり、王妃派と公妾派の騒動に巻き込まれそうになったり、ととんでもない目に遭う。
止めだとばかりに、王妃のもとで、時間が巻き戻る前に売って罪に問われた首飾りを目撃してしまった。
フロレンシが処刑された瞬間の記憶が鮮明に甦り、酷い眩暈に襲われる。
冷や汗と動悸が治まらず、今にも倒れてしまいそうな私を助けてくれたのは、マントイフェル卿だった。
彼に大きな借りを作ってしまったわけである。
もう二度と、ビネンメーアの社交界に深く関わらないようにしよう。そう決意した日の話でもあった。
ビネンメーアでの毎日は思っていたよりも穏やかで、優しい時間が過ぎていた。
そんな中で、思いがけない話を耳にする。
侯爵夫人が愛していた孫娘イルマについてだった。
彼女は王族に嫁がせるため、幼少期から侯爵夫人が唯一目をかけ、目に入れても痛くないほど可愛がっていた孫娘である。
そんなイルマは今、侯爵邸に姿を現さない。その理由は、三年前に侯爵邸の裏庭にある湖で溺死してしまったから。
深夜、足を滑らせて湖に落ち、そのまま溺れて亡くなる。翌日、湖に浮かんだ状態で発見されたようだ。
壮絶とも言えるイルマの死が、侯爵夫人の心に暗い闇を落としていたのである。
イルマと深い関係にあったのは侯爵夫人だけではない。
マントイフェル卿はイルマの元婚約者だったようだ。
彼は侯爵夫人と共に、イルマを亡くした悲しみを慰め合っているのか。なんて思っていたが、どうやら違ったらしい。
マントイフェル卿はイルマの愛を拒絶していたようだ。
ショックを受けたイルマはその日の晩行方不明となり、湖に身を投げたのではないか――。
そんな疑惑が浮上した。
しかしながら、私はある日気付いてしまう。
もしも湖で溺れたのならば、たくさんの水を飲んでいるはずだ。
そんな状態で亡くなったとしたら、遺体は湖の底に沈んでいるだろう。
けれどもイルマの遺体は、湖に浮かんでいた。
もしかしたら誰かがイルマを手にかけ、湖へ落としたのではないか……。
裏庭は昼間でも薄暗く、不気味な場所だった。
そんな場所に深夜、ひとりで向かうわけがない。
仮にマントイフェル卿に呼び出されたのならば、イルマは向かっていただろう。
つまり、イルマを殺したのは――?
そこまで考えて、思考を停止する。
決めつけるには、マントイフェル卿について知らないことが多すぎた。
私はマントイフェル卿の人となりを把握するために、デートに出かけた。
そこで彼が思っていた以上に繊細で思慮深い人だと認識を改める。
これまで見せていたいい加減で無責任な様子は、彼が被っていた化けの皮だったようだ。
イルマを拒絶していた理由が何かあるかもしれない。
もっとマントイフェル卿について知る必要がある。
なんて思っていたところに、想定外の事件に巻き込まれる。
私があげたパンケーキを食べたマントイフェル卿が、吐血したのだ。
なんと彼は、何者かの手によって呪われていたらしい。
毒を食事に仕込まれることは日常茶飯事で、マントイフェル卿は口にするものに対し最大限の警戒をしていたようだ。
以前、彼が「眠るように自然と死ぬのって、とっても幸せなことじゃない?」と言っていたのを思い出す。
聞いた当初はなんて恐ろしいことを口にするのか、と思っていたが、命の危機に晒されることが多かった彼にとって、死については身近な問題だったのだろう。
マントイフェル卿の命に別状はなく、呪いも解呪できた。
目を覚ました彼は、私が近付いた目的がイルマの死因だった件について気付いていた。 以前から妙に勘が鋭いところがあったが、そこまで見抜いていたとは……。
さらに一部の者達から、イルマを手にかけた犯人として疑われていることについても把握していた。
マントイフェル卿は私に、「僕が極悪人でないか、しっかり君の目で確認してほしい」と言ってくる。
もちろん、そのつもりだったので、彼の言葉に頷いた。
ビネンメーアにやってきてからというもの、とんでもない騒動の渦中に自ら飛び込んでいったような気がして、頭が痛くなってくる。
けれども、この問題が解決したら、侯爵夫人だけでなく、マントイフェル卿の心が救われるように思えてならない。
少し前までフロレンシのために生きようと意気込んでいた。
でも今は、自分が望むことをしてもいいのではないか、と思うようになっていた。
ビネンメーアでの人との出会いが、私を変えたのかもしれない。
もしも何かあっても、私にはフロレンシやガッちゃんがいる。
それ以外にも、優しい人達は大勢いるのだ。
二度目の人生の風向きは、いい方向に吹いているように思えてならなかった。




