心配性な男
「あ、そうだ。今日、初めてのデートを記念して、贈り物を持ってきたんだ」
いったい何を贈ってくれるというのか。
少し身構えてしまう。
「じゃーん! クリスタル・スノードロップの苗だよ」
目の前に差しだされたのは、水晶のように澄んだ蕾を付けたスノードロップだった。
「これは、なんですの?」
土に植えられているので、植物で間違いないのだろう。
けれども花は水晶を削って作った細工のような美しさがあった。
「魔法植物だよ。魔力が降り注ぐ夜に開花するんだ」
なんでもビネンメーアには、魔法使いが品種改良させた魔法の植物がいくつか存在するらしい。
「侯爵家の庭に植えたら、きっときれいな花を咲かせると思うよ」
「そんなお花があるのですね」
私が庭に出て、庭師の仕事を手伝っているのを見て、植物が好きなのではないか、と思ったらしい。
もしもこれが水晶の置物ならば受け取るのが負担だったが、侯爵家の庭に植えられる植物ならば素直に受け取れる。
「ありがとうございます。どんな花が咲くのか、楽しみにしております」
続けて、ガッちゃんにも小さな包みが差しだされた。
『ニャ!?』
「これはガッちゃんに。花の形をした砂糖細工だよ」
『ニャア!』
ガッちゃんは嬉しそうに受け取り、紐を解いて中身を確認する。
包まれていたのは、薔薇の形をした砂糖だった。
『ニャー!』
気に入ったようで、ガッちゃんは砂糖細工に抱きついていた。
なぜ、ガッちゃんの好みを把握しているのかと思ったのだが、なんでも侯爵夫人よりガッちゃんの好きなものを聞き出していたらしい。
「ガッちゃんにまで、ありがとうございます」
「いえいえ」
そんな話をしているうちに、目的地である劇場に到着した。
ビネンメーアは芸術に関心がある貴族が多いようで、ヴルカーノにあるものよりもかなり規模が大きい。
「ララ、もしかしてこういうところ、かなり久しぶり?」
「あ――ええ。実はそうなんです。おそらく、幼少期以来でしょうか?」
母は病気がちで外出できる日は少なかったし、父は忙しかった。そのため、演劇や歌劇を見た最後の記憶は、十代前半くらいだろう。
「旦那さんは連れて行ってくれなかったんだ」
「あ……まあ、そう、ですわね。その、ヴルカーノの貴族は、そこまで舞台鑑賞に興味がないんです。わたくしは好きですけれど」
「そう」
深く話を聞かれたらどうしようかと思っていたものの、マントイフェル卿はさらりと返事をするばかりであった。
劇場前にあるロータリーで馬車が停まる。
マントイフェル卿は先に下りて、私に手を差し伸べてくれた。
エスコートを受けながら御者が用意した踏み台を踏んだのだが、踵の高い靴を履いていたので、少し体がぐらついてしまった。
すぐさま、マントイフェル卿が抱き止めてくれる。
美貌が眼前に迫る形となり、ドギマギしてしまった。
平静を装おうとした瞬間、あることに気付く。
「あら、マントイフェル卿、お化粧をされているのですか?」
「うん、いつもしているよ」
なんでも肌が青白く、不健康に見えるので化粧をしているらしい。
「あとはシミとか、クマとかも目立つし、唇はすぐ紫色になるから、化粧で誤魔化しているんだよねー」
化粧をする男性との出会いは初めてである。まじまじと眺めていたら、マントイフェル卿は私の視線から逃れるように距離を取った。
「男が化粧をするとか変かな?」
「いいえ。とてつもない美意識に、尊敬の念を抱きました」
「本当? よかった!」
前に化粧をしていると知った女性から、女々しい趣味があるものだ、と言われたことがあったらしい。
「なんて言えばいいのかな。その言葉自体はどうでもよかったんだけれど、化粧をすることに対して非難するような物言いがショックだったんだ」
私の言葉を聞いて、自信が付いたという。
「ララ、ありがとう」
「お礼を言われるようなことではないと思うのですが」
「それでも、嬉しかったから!」
周囲には腕を組み、寄り添って劇場に入っていく男女ばかりだ。
そんな中で、マントイフェル卿は私の手を握って歩き始める。
「あ、あの、手を繋ぐのはちょっと」
「この人込みだったら、離れ離れになってしまうから、少し我慢してね」
我慢するように、と返されると、これ以上何も言えなくなる。
言葉選びが絶妙だ、と心の中で思ってしまった。
マントイフェル卿は個室になっているボックス席に案内してくれた。薄暗い中、ふたりきりで大丈夫なのか、正直なところ心配だった。
椅子は長椅子ではなく、一人掛けの椅子だったが、少しだけ手を伸ばしたら触れられるような距離にある。
マントイフェル卿が席を外しているうちに、ガッちゃんを指先に移動させた。指輪のようにしがみついてくれる。
もしもマントイフェル卿が触ってきたら、針のように鋭くさせた糸で刺すようにお願いしておく。
戻ってきたマントイフェル卿は、パンフレットを私に差しだす。どうやら売店まで、買いに行ってくれたらしい。
表紙の分厚い紙には金の箔押しでタイトルが印刷されていて、中には役者の絵や劇中歌の歌詞、演出家のインタビューなど、読み応えのある一冊だった。
幼少期に行った覚えのある舞台でのパンフレットは、ふたつ折りにされただけの印刷物だったような気がする。
こういうパンフレットも、舞台作品に注目が集まることが多いビネンメーア独自の文化なのだろう。
パンフレットをパラパラ捲っているうちに、開演を知らせる鐘の音が響き渡る。
背筋を伸ばし、舞台上に視線を送った。
上演される作品はビネンメーア国内で長年人気を博している喜劇だった。
久しぶりに声をあげて笑ったような気がする。
父が亡くなってから一ヶ月しか経っていないのに、こんなに笑っていいのかと思ってしまったが、我慢もよくないと思って素直に楽しんだ。
思いのほか、舞台に夢中になり、独自の世界観に引き込まれてしまった。
それはマントイフェル卿も同じだったようで、肩を揺らして笑っていた。
最後まで彼が私に触れてくることはなく、どうやら自意識過剰だったようだ。
終演後はマントイフェル卿のお気に入りだという喫茶店に連れて行ってもらった。
そこは美しい庭が自慢で、今の季節は水仙が満開だった。
ここも個室になっていて、他人の目を気にせずに紅茶や自慢の菓子を楽しめると言う。
劇場から個室だったのだが、初めて行く先々は人の目があるところにしてほしい。
こういうところは普通、親しくなってから行くものなのだ。
「ララ、ここは三段重ねのパンケーキがおいしいよ」
勧められたとおり、パンケーキと紅茶のセットを頼む。
運ばれてくるまで、舞台の感想を言い合った。
「あの場面、本当に面白かったよね」
「ええ、久しぶりにお腹を抱えて笑いました」
「そっか、よかった」
マントイフェル卿は頬杖をつきながら、甘ったるい顔で私を見つめていた。
愛しい人を眺めているかのような視線だったので、気まずくなって慌てて顔を逸らす。
「楽しんでくれたようで何よりだよ。ずっと心配だったんだ。君は自分のために生きていないような気がして、人生を楽しめていないんじゃないかって思っていたから」
その言葉を聞いた瞬間、思わず口に手を当てる。どうしてそのことに気付いたのか。
驚きのあまり声をあげそうになった。
「ララ、君はもっと、自分を大切にしたほうがいいよ」
「わかっています。レンもおりますので、健康を第一に――」
「違う。君は君のために、自分を大切にしないといけないんだ。それが人生というものなんだよ」
誰かのために生きていたら、知らぬ間に自分という存在を雑に扱い、酷く消耗してしまうのだと指摘される。
「僕もかつて、母のために生きなければいけない期間があった。けれどもおかしいと気付いたときには、大きく歪んでいたんだ」
そもそも自らの異変は自分で気付かないといけない。
けれどもその当時のマントイフェル卿は、自分自身の歪さを自覚できていなかったようだ。
「ゴッドローブ殿下に拾ってもらってからは、まあ、マシになったかな。それまでたらい回しに遭って、落ち着かない毎日が続いていたんだ」
私を見ていると、昔の自分のようだと言われてしまう。
無理しているように見えるのが痛々しくて、放っておけないようだ。
「もっと楽に生きなよ。人生は長いんだから」
私は今度こそ、フロレンシと共に生き抜く決意を固めた。
そのためには、肩の力を抜く期間というのも大切なのかもしれない。
「そう、ですわね。わたくし、少しだけ頭が固くなっていたのかもしれません」
ただ、今は苦しみの中で生きているわけではない。
ビネンメーアという国で、優しい人達と共に幸せに暮らしている。
「わたくし、思っていたよりも世界が優しいことを知ったんです。今の暮らしにもとても満足していて、これ以上何か望むものなどないくらいで――」
時間が巻き戻る前と比べて辛くはないし、苦しくも悲しくもない。
私達姉弟を虐げる人達はいないし、ガッちゃんが酷使されるような仕事を振られることもない。
幸せだと言えるだろう。
「ですから、そこまで心配なさらないでくださいね」
「うん、わかった」
ここで初めて、マントイフェル卿は安堵したような表情を見せてくれた。




