公妾へ贈り物を
いますぐにでも帰りたかったのだが、手土産としてハンカチを持ってきていたのを思い出す。
公妾との出会いが衝撃的で、すっかり失念していたのだ。
「あの、こちらを、よろしかったらカリーナ様にと思って、持って参りました。受け取っていただけますか?」
鞄の中から取りだし、ハンカチですと申告しつつ、遠慮がちに差しだした。
すると、公妾の表情がパッと華やぐ。
「まあ! 私のために、贈り物を用意してくれたのね! ハンカチだなんて、嬉しいわ!」
国王や親交のある貴族から、山のように贈り物を貰っているだろうに。
ハンカチでここまで喜ぶのは意外だった。
「こういうささやかな贈り物をいただくのは、実は初めてなの。他の貴族の女性達はみんな意地悪で、お茶会を開いても私を無視するし、こういうお品なんて、誰も用意しないわ」
公妾派からもご機嫌取りのような贈り物が届くようだが、首飾りや耳飾り、ティアラやドレスなど、高価な品物ばかりだと言う。
「実は、こういうお品物のやりとりに、憧れていたの。気を遣わない者同士で、センスがいい物を贈り合うのって、すてきじゃない? 私も、ドーサ夫人に何か用意しておけばよかったわ。まさか、こんな品を用意してくれていたなんて、夢にも思っていなかったから!」
想定していた以上に、贈り物を喜んでくれたようだ。
「いったいどんなハンカチなのかしら?」
わくわくした様子で、公妾は包みを開く。
リボンを解き、包装紙を開いた瞬間、公妾の瞳はキラリと輝いた。
「まあ、なんて美しいハンカチなの! とっても気に入ったわ! ドーサ夫人、本当にありがとう」
「お気に召していただけたようで、何よりです」
公妾はハンカチをシャンデリアの明かりに透し、うっとりとした表情で見つめている。
「このレースの精緻な模様がきれいだわ。使うのがもったいない。観賞用にしようかしら」
公妾が侍女にもハンカチを見せたところ、とても繊細で上品なレースだと評していた。
普段から多くのレースを見ているであろう侍女に褒められると、なんだか嬉しくなる。
うちのガッちゃんが作ってくれたんだ、と自慢したくなった。
「ねえ、このハンカチ、私も買いたいから、どこのお店で購入したか教えてくれる?」
「あ――こちらはその、城下町の小売店で購入した品なのですが」
「そうなのね。ねえ、マリ、今から二十枚ほど買いに行ってくれる?」
公妾は侍女にハンカチを買うよう命じる。慌ててそれを止めた。
「あの、申し訳ありません。ハンカチは購入した品ですが、レースはこちらで施した手作りの品なのです」
「ドーサ夫人が、このレースを編んだというの!?」
「正確に言いますと、わたくしだけではなく、妖精の力を借りて完成させたレースになります」
私の力だけで編もうとしたら、このレースは一ヶ月あっても作れないだろう。
妖精と聞いた公妾は目を丸くし、驚いているようだった。
「ドーサ夫人、あなた、妖精さんとお友達なの!?」
「え、ええ」
「すごいわ! 優しくて気が利くだけじゃなくて、こんな美しいレースが作れるなんて。ますます私の傍に置きたいわ! あなたと妖精が編んだレースでドレスを作ったら、とってもすてきだと思うの」
レース作りに関しては、ここで自分の考えをはっきり表明する。
「申し訳ありません。わたくしはレース編みを仕事にするつもりはございません」
「どうして!?」
「妖精の力を使って作るレースは、魔力を消費します。それだけでなく、大量に作るとなれば、妖精自身の負担も大きいです」
時間が巻き戻る前の世界で、私はたくさんのレースをガッちゃんと作った。
私だけでなく、ガッちゃんの重荷も相当なものだっただろう。
胸飾りの振りをしているガッちゃんに、指先でそっと触れる。
すると、ガッちゃんは小さな手を重ねてくれた。
「そうだったの。無理を言ってしまって、ごめんなさいね」
「いえ」
ガッちゃんが使う蜘蛛細工は、私が必要なときだけ使おうと決めているのだ。時間が巻き戻る前のように、お金を稼ぐ手段として使うつもりはない。
今回のハンカチも、公妾へ敵意がないと伝える手段だったので、自分のためだと言える。
そういうふうに言ってもらえたこと自体は嬉しかった、と公妾に伝えた。
「そろそろお暇いたします」
「長い間引き留めてごめんなさいね。ハンカチ、本当に嬉しかったわ。ありがとう」
立ち上がって会釈し、公妾の部屋を出る。
侍女の先導で、王宮の長い廊下を歩いた。
行きとは違う道だったので、キョロキョロと周囲を見ていたら、肖像画がずらりと並んだ空間に出てきた。
国王の大きな肖像画の隣には、若かりし頃だと思われる王妃の絵が飾られていた。
その隣に、公妾の絵があったのでギョッとする。レオナルド殿下らしき赤子を胸に抱き、美しい微笑みを浮かべていた。
普通、こういう場は正式な王族以外の肖像画が飾られることはない。
国王がどれだけ公妾を特別扱いし、心から愛しているのか知ることとなった。
公妾の隣はエンゲルベルト殿下である。これは十五歳の成人の儀を迎えたときに描かれたものだろうか。
今より幼い印象があった。
その隣に飾られていたのは、初めて目にする女性王族であった。
年頃は十五歳くらいだろうか。
プラチナブロンドの美しい髪に、陶器のような肌を持つ美少女だ。
目は伏せているので、瞳の色などはわからない。
「あの、こちらの絵は?」
思わず立ち止まって聞いてしまう。
「そちらのお方は、マリオン王女です」
体が弱く、一度も社交界に姿を現したことがない、深窓の王女らしい。
そういえば、そんな話を聞いた覚えがあった。
「マリオン王女は先代公妾アンネ様のひとり娘でして、母君が亡くなってからは、西の静養地で療養されているとのことです」
「そうだったのですね」
先代公妾についても、国王の寵愛は相当なものだった、なんて過去を耳にしていた。
二代続けて公妾を深く愛するなんて、王妃が気の毒になってしまった。
王族や貴族の結婚なんてそんなものだとわかっているが、国王のように愛を隠さずに人目を憚らないケースは極めて稀だろう。
会話が途切れたのと同時に、侍女は歩き始める。
おそらくだが、彼女は公妾の肖像画を見せるために、わざわざこの道を選んだのだろう。
公妾の社交界における影響力は大きい。味方になれば、大きな益をもたらすと知らしめる目的があったに違いない。
侍女と別れ、馬車に乗りこむ。
たった一時間半ほどの間にたくさんの情報を得たので、混乱状態である。思わず頭を抱えてしまった。




