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【完結】泥船貴族のご令嬢、幼い弟を息子と偽装し、隣国でしぶとく生き残る!  作者: 江本マシメサ
第三章 ビネンメーアの王妃と公妾

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爽やかな朝

 目まぐるしい一日がようやく終わった。

 フロレンシは疲れたのか、隣でぐっすり眠っている。

 環境の変化についていけるか心配だったが、食欲はあるししっかり睡眠も取れている。想定していた以上に頼もしい子だ。

 私はまだ眠れそうになく、何度も寝返りを打っていた。

 勤務初日である今日が勝負だ、と意気込んでいたからか、体が頑張りの反動を受けているのかもしれない。

 侯爵夫人と出会った当初はどうなるものか、と思っていたものの、フロレンシの存在が私を救ってくれた。

 まさか侯爵夫人があそこまでフロレンシを気に入るとは想像もしていなかった。

 彼が飛び抜けてかわいいのは、姉の欲目だと思っていたのだ。

 ただ、フロレンシの愛される力に頼ってはいけない。私自身もお気に召していただけるように、努めなければならない。


 私の努力云々でどうにもならないのは、マントイフェル卿の存在だろう。

 侯爵夫人のお茶飲み友達で、近衛部隊に所属している騎士だと聞いていたので、てっきり若くても三十代後半くらいだと思っていたのだ。

 私の想像はことごとく外れ、マントイフェル卿は二十六歳の見目麗しい青年だった。

 まさかそんな彼に言い寄られるなんて、誰が想像できたか。

 二十五歳子持ち、人妻という設定がなければ、侯爵夫人から結婚するように言われていただろう。

 人妻という設定に助けられるとは、夢にも思っていなかった。

 母子という関係でビネンメーアにやってきて正解だったわけである。

 それにしても、マントイフェル卿の言動が欠片も理解できない。

 人妻だから、関係が深入りされることもなく、気軽に遊べる相手として見ていたに違いないのはわかっているが……。

 後腐れのない既婚女性は都合のいい〝お友達〟なのだろう。

 かわいい、だなんて異性から言われたのも初めてだった。

 婚約者だったアントニーは「お前はかわいげがないな」なんて言っていたし、堅苦しい雰囲気がある、と評された覚えもある。

 そんな私をかわいいと言うなんて、マントイフェル卿の認識は大きくズレているのかもしれない。

 と、ここまで考えてハッとなる。

 無意識のうちに、マントイフェル卿が言った「かわいい」が胸に響いていたようだ。

 正直に言えば、ほんの少しだけ嬉しかった、という気持ちもある。

 同時に、かわいいという言葉に対して「どこが!?」と反感もあったのだが。

 彼について気にするのは止めよう。

 私はただ、フロレンシのことだけを考えたらいい。

 未来ある弟を、明るい道へ導けるようにしなければ。

 なんて考えているうちに、深く寝入ってしまった。


 ◇◇◇


 今日は朝からチュロス作りを行う。ヴルカーノでは朝食の定番である。

 侯爵夫人が朝、ビスケット一枚で済ませると聞いていたので、簡単に食べられるものを、と考えたときにチュロスを思いついたのだ。


 侯爵家の厨房に立ち、エプロンをかける。


 作り方はそこまで難しくない。

 鍋にコップ一杯の水と塩をひと匙入れて沸騰するまで加熱し、ぐらぐらしてきたら火から下ろす。

 続いて鍋に小麦粉を入れ、泡立て器で素早くかき混ぜる。すると、生地がどんどんまとまってくるのだ。

 よく混ざった生地は絞り袋に入れ、しばし休ませておく。

 その間、鍋にオリーブオイルを注いで火にかける。温まったのを確認すると、絞り袋の生地を絞って油に落とす。

 木の枝みたいに細長く絞るのがポイントだ。

 キツネ色になるまでしっかり揚げたら、ヴルカーノの伝統的なチュロスの完成だ。

 このチュロスに合わせるのは、ホットチョコレートである。

 ミルクに入れて作るサラサラとしたチョコレートではなく、チョコレートを溶かした濃厚なものだ。

 このホットチョコレートに、チュロスを付けて食べるのがもっともおいしい食べ方だろう。


 ホットチョコレートは保温魔法がかけられたカップに注いでおく。こうしておけば、チョコレートは固まらない。

 ヴルカーノではチョコレートが固まったら、バターナイフで掬わなければならなかった。もったりと重たく固まったチョコレートを取るのは、とても大変だ。ここではその苦労はしなくていいらしい。

 生活に根付いた魔法に感謝したのは言うまでもなかった。 


 チュロスとホットチョコレート以外にも、食事のバランスを考えてゆで卵や温野菜のサラダ、スープなどを用意してみた。


 朝食の準備が整ったので、屋敷中に張り巡らされているガッちゃんの糸を指先でピンと弾く。

 これはガッちゃんとの連絡用に作ったもので、私の声を伝えることができるのだ。

 今頃ガッちゃんはフロレンシを起こし、着替えをさせている最中に違いない。朝食ができたと伝えると、糸に振動が返ってきた。わかった、と言いたいのだろう。


 少し渋めの紅茶を淹れ、侯爵夫人のもとへと運ぶ。

 寝室の扉を叩くと、すぐに返事があった。


「ララ、おはよう」

「おはようございます」


 すでに着替えは済んでいて、今からコンサバトリーで朝食を食べようかと考えているところだったと言う。


「あの、ご迷惑でなければ、私が作った朝食はいかがでしょう?」

「朝食? ごめんなさい。私、朝からパンだとか、オムレツだとか、ボリュームがある物は食べられないの」

「ええ、そうだと思いまして、ヴルカーノの伝統的なチュロスを作りました」

「チュロス?」

「はい。カリカリに揚げた生地に、温かいチョコレートを浸して食べるんです。とってもおいしいですよ」


 一度見てみるだけでもと訴えたら、侯爵夫人は深々と頷き、「そこまで言うのならば」と返してくれた。

 食堂にはすでにフロレンシがいて、侯爵夫人を見るなり元気よく挨拶をした。


「侯爵夫人、おはようございます!」

「ええ、おはよう」


 朝から眉間に皺が寄っていた侯爵夫人であったが、フロレンシを見た途端に表情が和らいでいた。


「侯爵夫人、お母さんが作るチュロスはとーってもおいしいんです」

「そう、楽しみだわ」 


 フロレンシのおかげで、食べる方向へ進んでくれた。


「ねえ、ララ。このチュロスはどうやって食べるの?」

「簡単ですよ」


 チュロスを指先で摘まみ、ホットチョコレートを掬うように付けて食べる。

 カトラリーなんて必要ない、ごくごくシンプルな食べ方だった。


「そんなふうに食べるのね」


 手掴みなんて、と侯爵夫人は驚いていたようだが、フロレンシと私が食べる様子を見て、覚悟を決めたようだ。

 慣れない様子でチュロスを摘まみ、チョコレートに付けて食べる。

 すると、瞳を大きくさせた。


「まあ、おいしい!!」


 どうやらお気に召していただけたようだ。

 いつもはビスケット一枚しか食べないようだが、五本のチュロスを平らげた。

 それだけでなく、ゆで卵に温野菜のサラダやスープも食べてくれた。


「ララ、ヴルカーノの朝食、とてもすばらしかったわ」

「もったいないお言葉です」


 お褒めの言葉に、感極まってしまった。


 それからというもの、侯爵夫人と私、フロレンシの穏やかな毎日が過ぎていった。

 元気いっぱいなフロレンシに侯爵夫人は感化されたのか、日に日に顔色がよくなっているような気がする。

 活発的にもなり、昨日はフロレンシと庭を散策しに出かけた。

 ローザ曰く、侯爵夫人がああして出歩くのを見るのは、数年ぶりだと言う。

 イルマが生きていたころは、毎日のように彼女と散歩していた、とこっそり教えてくれた。

 いい方向に変化しているようで、何よりである。

 私が作ったチュロスは好物になったようで、三日に一度は作るように言われている。

 チョコレート以外にも、ジャムやキャラメルなど、ディップするソースを充実させていきたい。

 心配していたマントイフェル卿はなかなかやってこなかったので胸をなで下ろしていたところに、彼は訪問してきた。


「やあ、ララ!」

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